第95話
俺の拳は空を切った。直前で痛みに体が硬直したのがいけなかったのか。それとも完全にスキルを見切られていたのか。それを考えるのは、もう無意味な事だった。
炎神の拳は俺の腹を貫いている。即死にはならないが、先ほどの出血もある。もう数分ともたないだろう。
せっかく十六夜が苦労して治療してくれたのに、わずかな時間も稼ぐ事はできなかった。
「九十九さん!」
「つっくん!」
「九十九クン!」
彼女たちの声が聞こえる。
俺はただ、あいつらを護れればそれで良かった。
あいつらが大切な物を護りたかった。
あいつらの日常を護りたかった。
けど俺には、そのための力が無かった。
面倒事から逃げ、危険から逃げ、戦いから逃げ続けた。それでも今まではどうにでもなってきた。逃げ続ける事で、あいつらを護る事だって出来た。
でも今は、死んでこの世から逃げてしまえば、あいつらを護る事は出来なくなってしまう。
護りたい!護りたい!護る力が欲しい!
そう思った瞬間、世界は停止した。
俺の視界は白銀に包まれて、ただ一人の女性が、目の前に立っていた。
「あなたの運命を選びなさい」
そう俺に告げた女神スフィアは、いつものバグっぷりは欠片も無い。真剣に、ただ俺の瞳を見つめてくる彼女は、いつものように後光も神々しさも無かったが、それでも本当の女神のようだと思った。
「女神様、俺は」
「あなたの運命を選びなさい」
「炎神を倒す力が欲しいんです」
「あなたの運命を選びなさい」
「……」
「あなたの運命を選びなさい」
本当の女神っぽいって思った俺の気持ち、返して。
様子が違っても、会話が成立しないのは通常運転のようだ。ただ一つ違うのは、彼女のセリフである。いつもは転職できる職業を持って来てくれるはずなのに、今回は運命を持って来てくれた?つまり俺、死んで天に召されたって事?せめて後数分は生きられると思ったんだけど、ダメだったのか。
完全に通常運転の女神様が指を一振りすると、目の前にお馴染みのウィンドウが表示される。そこには、よくわからない内容が表示されていた。
『マジとっととくたばれば良い和泉九十九の今後の運命』
① このまま死ぬ
② 戦ってから死ぬ
※女神スフィアちゃんのおすすめは①よん!
今回はふざけないと思ったら、ウィンドウでふざけてきやがった!って言うか俺、どっち選んでも死ぬんじゃん。女神様が出てきたから、この前みたいに回復してくれるのかと、ちょっとだけ期待しちゃったじゃん!
※追記
和泉九十九は呪い状態なので、スフィアちゃんにも回復できまっしぇ~ん!
だからウィンドウでふざけるの止めてくれよ!死ぬんなら、コミュニケーションとれるのこれが最後だと思うんだけど、このお方は俺とコミュニケーションとるつもりは無いらしい。
それにしても、だ。今死ぬか、戦ってから死ぬか。おすすめは今死ぬ事だと仰られているが、それでもあいつらを助けるために、少しでも時間を稼いでやりたい。
どうせ死ぬんだ。あと少し、あいつらのために苦痛を耐えてやろうじゃないか。
俺は迷う事無く、②を選択する。
『狂戦士に転職しました。転職に伴い、パッシブスキル『オートヒール』『狂化』を取得しました』
あれ?なんで転職したの?最後の最後にほんのちょっとの時間をくれたんじゃないの?
「死より辛い苦痛の中で、戦い続けなさい」
最高に不穏な職業と言葉を残して、女神様は消えて行った。白銀の世界は徐々に崩れ落ち、元の世界へと戻って行く。
そして、時間が再び動き出した時、俺の意識は完全に正気を失ってしまった。
「ぐわああぁぁぁぁ!」
炎神に腹を貫かれたまま、和泉九十九は咆哮した。その叫びは、およそ人の上げる叫びとは違っていた。
「ふん……気でも狂ったか。つまらねえな」
炎神は九十九を貫いた腕を引き抜き、九十九の体を蹴り飛ばす。倒れた九十九はにやりと微笑みながら、ゆっくりと立ち上がる。その直後に腹部の傷が白銀に輝いたかと思うと、一瞬で修復された。
「ぐわああぁぁぁぁ!」
九十九は再び咆哮すると、炎神に向かって突撃する。まるで瞬動を使用したかと思うほどの速度で炎神に詰め寄ると、自らの拳で殴りかかる。
動かなかったはずの右腕も、炎神の体に向かって拳を振るう。その度に、九十九の拳は焼けただれ、原型すらもあやふやな程損傷するが、その損傷は白銀の光と共に一瞬で治癒していく。
「こんなもの…虫ほどにも効かねえぞ!」
無意味ともとれる攻撃に業を煮やした炎神は、九十九の顔を殴りつけて吹き飛ばす。地面に何度も叩きつけられながら飛ばされたというのに、九十九は笑みを絶やす事無く、再び炎神へと向かって行く。
「うざってえ……クソガキがあ!」
炎神は、九十九の攻撃にあわせて炎を纏った拳を打ち出した。炎の拳は九十九の右腕を吹き飛ばし、焼き尽くした。一瞬ふらりと後退ったが、その直後に九十九の体を白銀の光が包み込み、失った腕さえも一瞬で再生させた。
「なんだ……どうなってやがるんだ!」
人間では決してあり得ない回復力と常軌を逸した九十九の様子に、炎神は恐怖した。その恐怖に抗おうとするべく、炎神は紅蓮の炎を何度も何度も九十九に叩きつける。その度に九十九は直撃を受けるが、九十九の歩みは止まらない。何度も皮膚が焼けただれるが、その度に回復していく。
「ファントム………ラッシュ」
突如そう告げた九十九の体は、20にも増殖し、炎神を取り囲む。
にやにやと禍々しく微笑む九十九の集団は、一斉に炎神に飛びかかる。
「ぐ…離れろ…近づくんじゃねえ……やめろおおおぉ!」
炎神は全ての九十九を燃やし尽くすべく、全方位に向けて炎を放出する。しかしその炎は、全ての九十九を燃やし尽くすには足りなかった。
「崩……拳!」
燃え残った4人の九十九が、炎神を囲むように必殺の拳を炸裂させる。
「ば、バカな……どうして…この俺が……二度もこんなガキに……」
九十九の拳は炎神の頭を吹き飛ばし、左腕を消滅させ、胴体に穴を開け、両足を消し去った。程無くして、炎神の炎は炭と化してさらさらと崩れ落ち、再び完全に消滅した。
「ぐわああぁぁぁぁ!」
炎神が消え去った山に、九十九の咆哮だけが響き渡る。その叫び声は、実に雄々しく、しかし苦痛に歪んだ悲鳴であった。
「た、倒した? 九十九さんが、炎神を? これで、全部終わった」
全員の治療を終えて事の顛末を見届けていた十六夜は、ポツリとつぶやく。しかし彼女のつぶやきは、その通りにはならなかった。
安堵の気持ちで九十九に駆け寄ろうとした十六夜に、抗い難い殺意が向けられる。十六夜は、動けなくなってしまう。それは、あまりに強すぎる殺意のせいでは無い。自分に殺意を向けている者が、自分が最も護りたいと思う相手だったからである。
「ぐわああぁぁぁぁ!」
「逃げるです!」
放心状態の十六夜を抱えて、百花が後方へと走り去る。直後、十六夜が先ほどまで立っていた場所に、巨大なクレーターが出来上がっていた。
「九十九さん! どうしちゃったんですか! アタシです。十六夜ですよ。もしかして、アタシの事がわからないんですか!」
「ダメです、十六夜ちゃん。今の九十九クンは、普通じゃないです」
必死に九十九へ呼びかける十六夜を抱き抱えたまま、百花は九十九から距離をとっていく。そして、少しでも事情が理解できそうな人物のところまで移動した。
「思川さん、教えて欲しいです。九十九クンは、どうなってしまったです?」
百花が尋ねると、氷の中で眠っていた思川は、ガラガラと氷をどかしながら起き上がった。
「あれは、炎神なんかよりずっとやべえっす。史上最悪の上級職業、狂戦士っす」
「職業なんかどうでも良いです。どうすれば、九十九クンを止める事が出来るです?」
「……狂戦士は、殺すしかねえっす」
告げられた言葉を、十六夜も百花も、理解する事が出来なかった。
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