第91話
無事みんなと合流出来て安心したせいか、すごく眠くなってきた。ひどく寒い気がするが、春の終わりの夜なら、こんなものなんだろうか。必死に俺を抱えてくれている二人には申し訳無いが、少しだけ寝ちゃおうかな。
「つっくん、つっくんしっかりしてよ! 目、ちゃんと開けて」
澪はどうしてそんな顔をしてるんだ?作戦は全部終了したんだ。もう少し喜んでも良いはずなのに、どうして泣きそうな顔をしてるんだ?
「ごめん、澪。ちょっとだけ、寝かせてくれよ。俺、眠くって」
「寝ちゃダメだよ。もうすぐ病院に着くから、それまでは寝ちゃダメ!」
もうすぐって、まだ山の中腹だよ?一眠りする時間くらいあるんじゃない?
「和泉さん、申し訳ありませんが、上空の警戒をお願いします。我々は前しか見えませんので」
それもそうか。炎神は上空にいた。もしかしたら、壬生では無くこちらに向かって来る可能性だってゼロじゃない。今の俺にできる事があるのなら、やった方が良いだろう。
そう思って、霞む目を必死に開けて上空を見つめる。そして、それはまるで狙ったタイミングで現れた。
急速に飛来する炎の塊、それは俺たちを通り越して、わずか前方に地鳴りとも爆発音とも言えない轟音を上げて墜落した。
最悪の状況だ。炎神は壬生と戦闘をしないでこちらへ来てしまったのか。せっかく壬生を説得したというのに、無駄骨になってしまった。
「いえ、和泉さん。壬生はどうやら、戦ってくれたようです」
珍しく動揺した口調で、所長さんは言った。俺には、その言葉の意味が理解できないのだが、ちらりと見えた澪の顔も、驚いたような怯えたような、複雑な表情を浮かべていた。
「所長さん、どういうことです?」
「……壬生は、死んだようです」
所長さんがそう告げた瞬間に、俺の横に立っていた木に何かが突き刺さる。どうにか視線だけを動かしてそちらを見ると、先ほどまで俺が対峙していた、水の神剣が突き刺さっていた。その柄を、おそらく壬生の物であろう腕が二つ、しっかりと握りしめていた。
俺たちが別れたのはつい先ほどだ。俺たちがあれほど苦戦して足止めした相手を、こいつは文字通り瞬殺したというのだろうか。
「ぶおおおぉぉ!」
炎神の大地を揺るがすほど低く響き渡る咆哮が、俺たちの体を委縮させる。歴戦の猛者である所長さんでさえ、あれを見て硬直してしまっている。ここからでもわかる。あれは、以前俺が倒した時よりもずっと、禍々しい雰囲気を纏っている。
「あの時の…クソガキ共……だな。よくも…俺を……殺してくれたな」
「しゃべった!」
以前はただ目の前の物を壊そうとするだけだったあの化け物が、言葉をしゃべった?仮に思考を持って行動する事が出来るのであれば、あれは目標を達するまでここから去ることは無いだろう。
それも、壬生を容易に殺す事が出来るんだ。皆が全員でかかっても、生き残る事すら困難なはずだ。だったら、あいつの目的だけ置いていけば良い。
「所長さん、俺をここに……」
「て、撤退します!」
俺が言葉を紡ぐ前に、所長さんは踵を返して走り出した。所長さんもまともにやり合っても勝てないと感じている証拠だ。
「逃がす…わけねえ……だろおがああぁぁ!」
炎神の咆哮と共に、周囲一帯が炎に包まれる。以前のような炎であれば、これを突破するまでに全身が燃え尽きてしまうだろう。
「所長さん。俺を置いて、離れてください。目的が俺なら、俺を殺せば満足していなくなるかもしれないです」
実は、壬生の剣を受けた時からわかっていた。この傷では、俺はもう助からない。あのまま病院へ運ばれていれば助かった可能性もあったかもしれないが、あいつに捕まった以上、もう無理だ。
だったら、最後くらいみんなのために時間を稼ごう。思川さんなら、この状況でも脱出できる方法があるかもしれない。
「クソガキ…お前……何か勘違いしてやがるな。俺は…俺をこんな姿にした奴……全員を許さない。あの時…お前が俺から……生命力さえ奪わなければ…こんな事にはならなかった。だから…お前は最後だ。お前から……全部を奪ってやる」
こいつは何を言ってるんだ?俺があいつから生命力を奪った、とはどういうことだ。確かに俺は炎神を消滅させた。全てを奪ったと言われても、その通りだ。だけど、生命力なんてものは奪っていない。
「あなた……神楽坂、ですか?」
「…そうだ。そこのクソガキのせいで……俺は炎神に全て飲み込まれた…生命力も……魂もだ」
所長さんの問いに、炎神はそう答えた。神楽坂だと?あいつは全身を焼きただらせて死んだはずだ。それがどうして、ここに居るというのだ。
「本人が言った通りだと思うっす。炎神と体を同化した時に、その魂までもが溶け合ってしまった。その欠片が、炎神の双剣に残っていたんでしょ」
いつの間にそこに居たのか、俺の横で思川さんが自分の仮説を話してくれた。炎の神剣とかいって、やっぱりろくでも無い代物だったよ。俺が装備していたら、本当に呪いのアイテムとかになっていたんじゃないか?
「さって所長さん。向こうさんの狙いはあたしたち全員みたいっすけど、どうするっすか? もちろん黙って殺されるつもりは無いっすけど、勝ち目も無いっすよ?」
「そうですね。私たち二人で、未来ある子どもたちを逃がす、というのはどうですか?」
勘弁してくれ。俺は良い、どうせもう助からない。でも、所長さんや思川さんは別だ。逃げられる可能性があるのなら、俺を捨ててさっさと逃げてくれ。
「それが一番無理っすよ。和泉君を残していくと、テコでも動かない人が三人もいるっすから」
「おやおや。私も和泉さんが残るのなら、一緒に残るつもりですよ?」
「おっさんまで誑し込むとは、和泉君は恐ろしいっすね」
そこまでしてもらう価値、俺には無い。世の中なんて、自分が全てだろ?自分が生きるためなら、他人なんて平気で切り捨てる。護るのは、せいぜいが自分の身内だけ。それ以上を求めてはいけない。
多くを求めれば、全てが手から零れ落ちてしまう。それが今だ。余計なものなど、とっとと放り出して逃げてくれ。
「アタシは、九十九さんとずっと一緒だって言ったじゃないですか」
「つっくんは絶対に死なせないよ。あんなつっくん、もう見たくないって言ったでしょ?」
「ボクは、ボクたちを救ってくれた九十九クンを見捨てないです」
本当に、こいつらはバカだな。ここで俺を見捨てたって、誰に責められるわけでもないのに。
「若人を逃がすのは、難しいようですね。ならば大人として、彼らの道を作りましょう。和泉さん、申し訳ありませんが、しばらく座ってお待ちください」
そう言った所長さんは、澪と一緒に少し歩くと、火の手から免れた大きな木に俺をもたれかからせるように座らせた。
そして彼は、背中に背負っていた二丁のサブマシンガンを片手に一丁ずつ装備する。
「笠間さんは和泉さんと千花さんを護ってください。まずは私が前衛で炎神の動きを止めますので、他の皆さんは追撃をお願いします」
サブマシンガンを装備した所長さんは、つかつかと炎神に歩み寄り、三メートルほどの距離で停止してその銃口を炎神に向けた。
「皆さん、行きますよ。バブルバレッド」
そう言って引き金を引いた所長さんのサブマシンガンから、大量の泡が絶え間なく降り注ぐ。泡は炎神に触れる前に弾け、新たな泡もまた弾けを繰り返し、いつしかそれは、周囲に霧を発生させた。
「お前…あの時の……スナイパー…だな。俺の…右腕を……吹き飛ばした奴だ」
「アイシングバレッド」
炎神の言葉を無視して、所長さんは冷気の弾丸を連射する。それは周囲に発生した霧を、少しずつ凍結させていく。
「なんだ……これは」
炎神の体は凍らせることは出来ない。しかし、周囲の空間までは別だ。所長さんの攻撃によって、周囲は氷の檻となり、炎神をその中に閉じ込めた。中から炎神が炎によって氷を溶かそうとするが、溶けた矢先に冷気の弾丸によって再び凍結させていく。
「さあ皆さん。化け物退治といきましょうか」
そう言ってにやりと微笑んだ所長さんの言葉を合図に、俺のバカな仲間たちは一斉に炎神に飛びかかった。
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