第89話
月光が実に眩しそうに、千花さんはゆっくりと瞳を開けた。
「モモ姉様、少し、大きくなりましたの」
「千花、ボクがわかるです?」
千花さんの顔に落ちた涙を指で拭いながら、百花さんが言った。千花さんは、ゆっくりとした動きで自分の顔に触れている百花さんの指を掴むと、にっこりと微笑んで見せる。
「ワタシが、姉様の事がわからなくなるなんて、あるわけないですの」
「う、うぅ…良かった。本当に、もう大丈夫なんですね?」
「よくわからないですの。でも、姉様が一緒だから、きっと、大丈夫ですの」
百花さんは、やっと千花さんと会う事が出来たんだ。救出されたあの夜以来、千花さんの意識がはっきりと戻る事はほとんどなかったと聞いている。意識が戻っても、朦朧とした状態でほとんど会話にならなかった。それでも、千花さんと会話ができる事を百花さんは喜んでいた。
それが、わずか一週間で再び昏睡状態になり、そして、炎神の構成員に攫われてしまった。百花さんの心労は想像もできない。
意識がはっきりした千花さんと会話をするのは、2年ぶりになるんだろう。
良かったですね、二人とも。九十九さんも、きっと喜んでくれると思いますよ。できれば、このまま全員無事に研究所まで帰れれば良いのだけど。
「今のとこ上手く行ってるっすよ。千花さんの様子を見る限り、予定以上の収穫っすからね」
「はい。本当に、ありがとうございますです」
「本当に良かったっす。今の浅間さんには、エロインなんて言えねえっす」
なんでこのタイミングでそんな事言っちゃったんですか?感動の再会の余韻がぶち壊しじゃないですか!
「エロインって、なんですの?」
ほら!よりによって千花さんが食いついちゃいましたよ。
「最近は、くノ一の事を、そう呼ぶ、です」
「そうなんですの? 忍びも、横文字が使われるようになったんですのね。ワタシも、姉様に負けないエロインになりたいですの」
アタシは知りませんからね。思川さんと百花さんの責任です。でも、九十九さんのエロインにならないように、しっかり指導して欲しいです。
「これ以上ライバルが増えたら、本当にヒロインから降格しちゃいそうっすもんね」
そうですそうです。今回もほぼ空気の扱いなんですから、これ以上ヒロイン級の女の子が出てきたら、アタシ完全に忘れられちゃう。
「それより、さっきの儀式を見ていて、確信したっす。和泉君の……」
『ズズゥン…ドドォン』
背後から大きな爆発音が響き渡ったのは、その時だった。慌てて窓から音のあった方を見ると、祭壇があった場所が轟轟と燃え上がっていた。
「な、何があったです!」
「ちょっと飛ばすっすよ。おそらく、炎神の人たちにとっても不測の事態っす」
燃え上がっているのは、間違いなく祭壇があった場所の全域に至っている。あの炎で、炎神の構成員が生き残っているとは、とても思えなかった。以前神楽坂が使役していた時には従順だったように思えたのだが、あの爆発は誰かの指示で行ったものなのだろうか?仲間割れ、とか?
「それはないっすよ。誰かが指示したとしても、生身であの熱量には耐えられないっす。最後の目的も果たしていないのに、殉教なんてしないと思うっす」
最後の目的。それは九十九さんを殺す事だ。それも、灰も残さず蘇生不可能な状態で殺す事。絶対、そんな事はさせない。九十九さんは、アタシが護るんだから。
「笠間さん、後ろの警戒はあたしがするんで、和泉君たちの捜索をお願いするっす。浅間さんは、攻撃を受けた際に脱出できるよう、いつでもサークルチェンジできるようにしといてください」
思川さんの指示で、アタシは周囲を見渡した。周囲は月明りがあるとは言っても暗く、木ばかりで目印になりそうな物なんて一つも無い。先ほどのように水柱が上空に巻き上がってくれればすぐにわかるのに、そんな気配は全く無い。捜索範囲が広すぎて、どこにいるかが全然わからない。
でも大丈夫だ。きっと、アタシのヒロイン力ですぐに見つけられるはず。
「見つけたです!」
がーん!どうして外を見てもいない百花さんが発見できるんですか!
「ボク、サーチっていうスキルを持ってるです。広範囲を索敵できるスキルです」
ここで『愛の力です!』なんて言われてたらさすがにドン引きだったので、スキルで良かったです。本当に。
「あ、ああ、愛の力も、なくはなくもないというか、なんというか……」
「愛の力ってなんですの? 姉様、もしかして好きな人が?」
千花さん、二年ぶりに目が覚めて、いきなりこんな状況だっていうのに、結構余裕があるのかな?それとも、不安だからみんなの会話に混ざろうとしてるのかな?
千花さんの事も心配だけど、今は九十九さんたちだ。
「百花さん、正確な場所を教えてください」
「もうすぐ真下に入るです。思川さん、高度を落として欲しいです」
「あいあい~」
山に立ち並ぶ木々の頂が近づいてきたところで、やっと人が視認できるようになった。剣を振りかぶった男が一人。
その数メートル後方に、木にもたれかかる様にどうにか立っている澪さん。かなりのダメージを受けているようで、立っているだけでもきつそうだ。
男の正面からややずれた木の上に、所長さんが立っている。両手にはライフル。背中には二丁のマシンガンが背負われている。
でも、九十九さんの姿が無い。いつも通りに逃げ回っているのだろうか?スキルが使えない以上、高速での移動はできないはずだから、アタシでも目で捉える事が出来ると思うんだけど。
「十六夜ちゃん、男の人の正面です!」
「正面? 所長さんはいるけど、正面には誰も……」
そう言いかけた瞬間、雲の切れ間から刺した月の光に照らし出された、九十九さんの姿を見つけた。仰向けに横たわっている彼は、今にも男に首を絶たれようとしていた。
「ホーリーシールド」
ギリギリで間に合った。アタシの展開した盾は、男の剣を弾き返した。これ、メインヒロインっぽくないですか?
「すぐに和泉さんを見つけた、浅間さんの方がヒロインっぽいっす。何だかんだで、愛の強さが違うっすね」
も~、なんで?助けたのはアタシだもん。ここはしっかりアタシが助けた事を公表しなければなるまい。
「九十九さん! あなたのメインヒロインが、絶体絶命のピンチに九十九さんを助けに来ましたよ。あなたのメインヒロインが!」
「主張が激しすぎて、好感度が落ちそうっす」
「そんな事より、澪さんを回復させてあげて欲しいです」
そうだ、澪さんは立っているのも限界そうだった。九十九さんがどうして倒れていたのかも気になるけど、まずは澪さんの治療をしないと。
「ホーリーヒール」
澪さんに回復魔法を使用すると、どうやら元気になったようで、こちらに向かって軽く手を振ってくれた。その直後に彼女は九十九さんの元まで移動していった。
「笠間さん、浅間さん。こっちもやべえっす。炎神がこっちに来てるっす」
思川さんの声に、アタシと百花さんは揃って後ろを振り返った。まだ少し距離はあるようだが、炎の塊がこちらに向かって飛んで来ている。
「あたしが一発かましてこっちに注意を惹きます。その間に、浅間さんは一人ずつ下に降ろして欲しいっす」
「みんなで飛んで降りるのはダメなんです?」
「そしたら、あいつの的になるっす。炎神には、この車を標的にしてもらった方が生存率は高いっす」
そう言われて、百花さんは懐から四本の短剣を取り出した。自然に出てくるけど、一体どこに収納されているんだろう。胸の谷間?
「そんなわけないです! それに、谷間に物を仕舞えるほど大きくないです」
そんな否定をしながら、百花さんは下に向かって短剣を投げ捨てた。
「十六夜ちゃん、最初に降りてもらって良いです? その後千花を降ろすので、ボクが行くまで見ていて欲しいです」
「わかりました、お願いします」
アタシは軽く目を閉じて、スキルが発動するのを待つ。
「サークルチェンジ」
百花さんの声と共に、体がふわりと浮かび上がる。その直後に、肌に当たる空気が変わったのがわかった。もう大丈夫かと思って目を開けると、目の前に一本の木が立っていた。どうやら無事に移動できたようである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます