第87話
澪はかなりのダメージを負ったようだが、拳での攻撃だったため、致命傷にはなっていないようだ。出来る事なら、このまま澪を担いで撤退したいところなのだが、壬生がそれを許してくれないだろう。
桜観斬月流ではあり得ない大上段での構えをとり、壬生は俺を見据えている。
「それじゃあ、死合いましょうかい」
壬生がそう言った瞬間に、全身が凍り付くような寒気が走った。壬生から噴き出す闘気が、殺意を孕んで俺に突き刺さるようだ。
先ほど壬生と対峙した時には感じられなかった恐怖が、全身を硬直させた。足が根を生やしたように動かない。重りでも背負っているかのように、体が重い。意識の中に、壬生が人を斬り殺した映像が駆け巡る。
そう思った瞬間に、壬生は俺に突撃し、大上段から斬りかかってくる。壬生の振り下ろしの直前に、どうにか体を動かし、左に転がって一刀を躱すが、そこにさらに追撃が襲い掛かる。
「うぐ」
前に飛び込んでそれを躱そうとするが、横に薙いだ剣の切っ先が、俺の背中をかすめた。幸い皮を斬られた程度で済んだが、これが絶妙な痛みを与えてくる。
「さすが坊ちゃんだ。この速度を躱されちゃあ、後はこうするしかねえな。水牢!」
「な、なんだこれ?」
俺の足元に、ポコポコと水が沸きだし始める。その異変に、立ち上がって逃げようとするが、手をついた瞬間にそこは水溜りと化して俺の全身を飲み込んだ。
その中で俺の体はグルグルと回転し、気が付けば俺は、壬生の正面に向き合うように拘束されていた。水の中にいるせいで、呼吸はできず、体も思うように動かせない。
「すまんね。男同士の死合いは生きるか死ぬかだ」
壬生の全身から、殺気の塊が溢れ出す。薄れ行く意識の中で、本能が告げていた。
俺は、この男に斬り殺される。
そう覚悟した瞬間に、乾いた炸裂音が周辺に響き渡った。
「ライトニングバレッド」
後一歩、壬生の踏み込みが深ければ、俺の左腕は斬り落とされていたかもしれない。
壬生の足元には、地面の焼け焦げた跡と、一発の弾痕が残っている。所長さんが撃ち込んでくれた弾が、壬生の踏み込みを止めてくれたのだ。
そのおかげで、俺は左肩から腹部にかけて斬られただけで済んだ。だけ、と言うには深く斬りつけられているが、四肢が繋がっているだけ儲けものだと思う。
全身の力が抜けていくのと共に、水の檻も解け、俺は地面に転げ落ちた。げほげほとむせかえりながら、激痛が走る左肩に手を当てると、べとりとした温かい感触があった。
「和泉さん、大丈夫ですか!」
頭の上で、所長さんの声が聞こえる。どうやら、潜伏していた所長さんが飛び出して来ざるを得ない程、重傷を負っているのだろう。
心臓が高速で跳ねる度に、傷口から血が噴き出していくのが分かる。吐く息がこんなにも熱いのに、体はどんどん冷たくなっている。
「和泉さん、早く下がってください」
そう言われても、横になった自分の体を、自分で起こすことができない。力を入れると、傷口から血が噴き出して、そのせいで力が抜けてしまう。
「坊ちゃん、すまねえ。今、楽にしてやるよ」
この位置では、所長さんの援護も期待できない。例え壬生の体に弾丸を撃ち込んだところで、水の膜に弾き飛ばされてしまうだろう。もはや踏み込みの必要も無い距離だ。先ほどのように浅く入ることも無いだろう。
殺されるなら、一瞬で楽にして欲しいものだ。痛いのも、苦しいのももう嫌だ。
せめて、千花さんが元気になった姿を見たかった。
壬生が神剣を高く振りかぶり、俺の首目掛けて振り下ろす。その様子が、スローモーションで映し出される。死ぬ瞬間は、物事がゆっくりと進むというのは本当だったんだな。
そう思って目を閉じようとした瞬間に、視界の端を白銀の光が走った。
「ホーリーシールド」
白銀の膜が、壬生の振り下ろした剣を弾き飛ばす。その勢いに、壬生は後退を余儀なくされた。
「九十九さん! あなたのメインヒロインが、絶体絶命のピンチに九十九さんを助けに来ましたよ。あなたのメインヒロインが!」
そんな声が、上空から降り注ぐ。上空には、白銀に輝く月に照らし出された漆黒のワゴン車が、翼をはためかせながら浮かんでいた。その車から上半身を乗り出して叫んでいるのは、自称俺のメインヒロイン、十六夜さんだった。
ワゴン車があそこにあるという事は、無事に千花さんを救出してきたのだろう。ここまでは作戦通りになったという事か。だったら、こんな死にぞこないは見捨てて、とっとと逃げてくれれば良いのに。
「なんでい、あのうっさい嬢ちゃんは。この盾は、あの嬢ちゃんの仕業か!」
態勢を立て直した壬生が、再び俺に向かって斬りかかる。一度、二度、三度目で全体にヒビが入り、四度目で白銀の膜は粒子となって消えて行ってしまった。今度こそ終わりか、そう思って身構えた。
「今度こそ、もらったぜい」
「させないよ!」
振り下ろされた壬生の剣を、颯爽と現れた澪の刀が受け止める。主人公のピンチに駆けつけた、まさにメインヒロインの風格だった。
「澪さんを回復させたのはアタシです! メインヒロインはアタシですよ~!」
十六夜の叫びなど耳にも入らないようで、澪と壬生は刃を重ねている。拮抗していたのはほんの一瞬で、肩を負傷している壬生が澪に力負けし、後方まで弾き飛ばされた。
「壬生さん。どうやら間も無く、あなたの求めていた炎の神剣がやってくるようです。これ以上、我々と戦うのは体力の無駄だと思いますが?」
俺の元までやって来てくれた所長さんが、壬生にライフルの銃口を向けながら言った。それを見た壬生は、神剣を降ろしてこちらに歩み寄ってくる。
「どうやら、炎神を俺に倒させたいってえのは本当だったようだな。それで、あんたらは俺っちが炎神を倒したら、神剣を横取りでもするつもりか?」
「いえいえ。こちらは早急に撤退します。和泉さんの治療をしなければなりませんからね」
「……そうかい。じゃあ、俺っちは祭壇に向かわせてもらうぜ」
そう言って、壬生が俺たちに背を向けようとした瞬間に、上空で大きな爆発音が響いた。どうにか音の方に視線を向けると、先ほどまで車が浮遊していた場所に、轟轟と炎が燃え上がっていた。
「まずいです。桜山さん、一緒に和泉さんを抱えてください。大至急、ここから撤退します」
「わかった。壬生、いずれまた、あなたを倒しに行くからね」
澪と所長さんは、俺の足と上半身を抱えながら、走り出した。視線を上手く移動させることは出来ないが、視線の端では依然として上空で燃え上がっている炎が映っている。あれは、皆が乗っていた車なのではないか。皆が、炎神に燃やされてしまったのではないか。不安ばかりが思考を巡っている。
「大丈夫ですよ。車には思川さんも浅間さんも乗っています。警戒していれば、一撃でやられる事は無いでしょう」
所長さんの言葉を聞いて、少しだけ安心した。確かに、素行に問題があるが万能な思川さんと、同じく万能な百花がいれば、不意打ちでもされない限り一撃でやられる事は無いはずだ。
「そうです。ボクは優秀なのです!」
「なんすか? 今のはあたしの功績じゃないんすか?」
「ぶ~、アタシは九十九さんのピンチを救えたからそれで良いんです!」
そう言って続けざまに聞こえてくる仲間の声。死の間際に聞こえる幻聴とかじゃないと良いな。
「んじゃ、浅間さんのおっぱいでも揉んでみるっすか?」
「な、なんでボクなんです!」
「百花さんが、ヒロインじゃなくてエロインだからですよ」
「も~、やっぱりイジメです~!」
どうやら、本当に皆無事なようである。声だけじゃなくて、顔を見せて欲しいところだが、今は逃げるのが優先だ。感動の再会はまた後で、いくらでもできるだろう。
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