200年後の世界



 その時、重たい扉がゆっくり開く。



「アベル様……?」



 綺麗だ。

 彼女の姿を目の当たりにした俺は、思わず構築途中だった魔術を解きそうになってしまった。


 それくらい、綺麗な女性だった。 


 眼の色は青。

 水属性の魔術を得意とする《碧眼》だ。


 シルクのように艶やかな銀髪と雲のように白い肌。

 突然、線の細い彼女は、手に持っていた木編みのバスケットを落としてしまった。



「ずっと、こんな日を。……ずっとっ」



 おいおい。おいおいおい。


 俺は途方に暮れていた。


 何故か?

 それというのも目の前の魔族の女が、涙を零しながらその場に座り込んでしまったからである。



「ごめんなさい。アベル様。ずっと、お待ちしていたもので」



 俺を待っていた?

 いや、待て。こんな美人、全く見覚えがないぞ。


 自慢ではないが前世の俺は魔術の研究に没頭するあまり、異性とは全く縁のない人生を送っていたからな。


 しかし、この涙が本物なのだとしたら大した演技力だ。

 本当に、俺のことを待っていたとしたら。誰だ? 魔族に知り合いなんていたか?



「ああ……。そうか……。そういうことか……」



 ふと、既視感に見舞われた。

 見たことがある。泣きじゃくりながら俺を見上げるその顔。



『アベル! 正気か! そいつは幼いとはいえ魔族だぞ!』


『信じられない! その子はアタシたち人類の敵なのよ!』



 その日のことは今でも鮮明に思い出すことができる。

 魔王を倒した翌日、俺は気まぐれで1人の魔族の娘の命を救ったことがあったのだった。


 運悪くも城の中で逃げ遅れた彼女は、『魔王の娘』という理由だけで殺されそうになっていたのである。


 そうだ。俺はこの娘の名前を知っている。



「――久しぶりだな。リリス」


「はい。アベル様の方もお変わりがないようで何よりです」



 なるほど。

 200年の時間が経過すると、ツルペタだった魔族の幼女も20歳くらいの外見年齢に成長するのだな。



「200年前、命を助けて頂いた時からずっと。貴方様にご恩返しをする気でいました! 勇者パーティーから外れ何処かに消えたとお聞きして……。100年以上も世界を探し回ってようやくこの場所を見つけたのです」



 そうだったのか。

 魔族に隠れ家を見つけられるとは、俺も詰めが甘かったかな。


 やはり経年劣化によって、洞窟の中に張り巡らせた結界が弱ってきていたのだろう。


 計算が外れたな。

 次に転生する機会があれば、その辺の問題を調整しなければなるまい。



「ところでリリス。お前の眼は以前までは、俺と同じ《琥珀色》だったはずなのだが……。俺の記憶違いか?」



 先程からずっと疑問に思っていたことがある。

 それは暫く会わないうちにリリスの眼が《琥珀眼》から《碧眼》に変わっていたことだ。


 眼の色というのは、その個人を構成している『魂の色』と言い換えても過言ではない。


 俺が転生しても捨てられなかった《琥珀眼》を、どうして彼女はいとも簡単に捨てることができたのだろうか。



「はい。琥珀眼ですよ。ですが、今はカラーコンタクトを使用していますので」


「……カラーコンタクト?」


「そうですね。こういうのは口で説明をするよりも実際に見て頂いた方が早いと思います」


「なっ……!?」



 次にリリスの取った行動は俺の度肝を抜くものであった。

 何を思ったのかリリスは自らの眼に手を突っ込んで、ベリベリと何かを剥がし始めたのである。



「これがカラーコンタクトと呼ばれているアイテムです。慣れてしまうと意外と痛みもなく、違和感なく付けることができるのですよ」


「…………」



 なるほど。

 この半透明のシートが眼の色を変える役割を果たしているわけか。


 俺が生きていた時代では、誰もが思いつきそうでいて、誰も形にできなかったアイテムである。



「ふふっ……。ふふふふ……」



 自然と乾いた笑声が漏れ出してしまう。


 やはりリスクを覚悟で200年先の未来に転生したのは正解だったな。


 人類の進化は素晴らしい。

 この世界の歴史を紐解いてみると、そこに見えるのは眼の色による差別、迫害の数々である。


 俺たち人類は、眼の色1つで、いがみ合い、時に戦争を起こして、大勢の命を犠牲にしてきた。


 皮肉なものだな。

 俺たちの争いの理由は、こんな半透明のシート1枚で解決するものだったのか。



「アベル様。募る話はありますが、よろしければ、場所を変えませんか? 近くにワタシの用意した家がありますので」


「ん。そうだな」



 リリスの話も気になるが、やはり外の世界での『新しい発見』は自分の眼で見て、体験しておきたい。


 ふと、リリスが落としてしまったバスケットを拾い上げ、中から何かを取り出した。


 それは、細長い布だった。

 見ただけで温かくなるようなモコモコの糸で織られている。


 何を思ったのかリリスは、唐突にそれを俺の首に巻き始める。



「これは何だ? 襟巻きの一種か?」



 俺が尋ねると、リリスはニコリと笑う。



「これはマフラーという防寒具です。200年前とは少し呼び方が変わっていますね」



 彼女はそう言って俺の手を取った。


 俺の幼い歩幅に合わせて、彼女はゆっくりと歩きだす。


 外に出る。

 吐く息は白く、それよりも世界が真っ白だった。


 降り積もったばかりの雪には、まだ誰の足跡もついていない。



「さぁ。行きましょうか。アベル様」



 頷いた俺は、この新しい世界の雪の上に一歩踏み出した。



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