第7話 告白
夏季講習は5日間の講義期間と1日のお休みと言うサイクルが繰り返される。
そんな訳で、その日、私は最初の夏季講習5日間を終え中日のお休みだったため、
アイを外に連れ出すことにした。
いつも献身的に休まず働いてくれるアイを慰労するためというのが1つ目の理由。
さらにアイに対する私の感情のもやもやが少しでもクリアになって欲しいという淡い期待が2つ目の理由だった。
「アイ、今日はオフってことで、海の方へ散歩しに行かないか」
私はアイを誘った。
「何を言っているんですか。そんなにご主人様は私の水着が見たいんですか。
持っていないというのに。
そもそも私は海とか塩分が苦手なんですよ」
アイは非常に嫌そうな顔をしつついつもの調子で返事をした。
「いや、大丈夫だよ。
別に海で泳ぐわけじゃなくて、海の方に散歩しに行くだけだから。
今日はそこまで暑くないみたいだし。」
アイは人工筋肉と金属の骨格、電子回路で出来ているため、
実のところ見た目よりかなり体重が重くなってしまっている。
従って当然水に浮かんで泳ぐことができないと考えられた。
アイは渋々といった表情で
「わかりました、行けばいいんですね」
とため息をつきつつ言った。
アイはこういった返事であっても、
別に行きたくないこともないはずである。
多分。
アイはメイド服から外出用の新緑色のショートパンツにざっくりとした白いTシャツという爽やかな洋服に着替えた。
いつものメイド服の清楚さとは異なり、
活動的なスタイルでまとまっており、
これはこれでアイの小柄で華奢な手足が非常に映えている。
私はいつものチノパンと適当なポロシャツに着替え、
そうして海に向かって二人で散歩に出かけた。
太陽が厚めの鈍色の雲の覆われていたため、
夏の割には涼しい気候だった。
もしかしたら雨が降るかもしれない。
二人並んで歩き出すと、アイが話かけてきた
「ご主人様の家って海から近いんですか?」
「そこそこってところかな。歩いて大体十五分くらい」
「だからたまに潮の香りが漂ってくるんですね。まぁ潮の香りだけじゃなくて、
イカみたいな匂いの方が香る頻度が高いんですけど」
とアイが急に鋭角で切り込んできた。
「ま、まぁ……浜辺でイカが腐ってたんじゃ……」
と誤魔化してみるも、アイは何も言わずに、切れ長の目でこちらを睨んできた。
特定の層にはウケる眼力だろうと思ったが、
普通に私にとっては怖かった。
私はそれ以上言い訳することができなかった。
しばらく無言で歩いていると、海沿いの道に出てきた。次第に海が近付いてくると、
磯臭い海の香りが強くなってきた。
心なしかアイの表情が暗くなってきたように感じた。
「なあアイ、前にホシノがうちに来たとき、何かあった?
なんだかあの日、コンビニから帰ってきたとき、
雰囲気がとても堅苦しいように思ったんだけど……。
勘違いだったらごめんね」
「勘違いですね」
アイはにべもなく即答した。
「本当に?
この前深夜にうちの塾まで鳥の唐揚げを持ってきてくれたよね。
それも、ホシノがうちにきた時に、ホシノと何かあったからじゃないの?」
私は追及を強めた。
確信があった訳ではなかったが、
アイの目の動きを見ると、多少の動揺の色があったため、
どうやら正解であったと理解できた。
アイは暫く無言だった。
太陽を隠す鈍色の雲がゆっくりと海から陸にかけて動く様子が見られた。
アイは観念したのか、小さくため息をつい手から話し出した。
「はぁ……、全くこういう時だけカンが鋭いですね。
簡単にいうと、ホシノが私の反応・感情がプログラムの結果だと言ったんですよ」
「なるほど、それで?」私は先を促した。
「それで!」
とアイは語気を強めた。
どうやら癇に障る返事をしてしまったようだった。
アイはその語気のまま続けた。
「それで、って感じですよね、ご主人様にとっては。
まぁ客観的にみたらそうなんでしょう。
特にこのご主人様はとても他人の気持ちに鈍感なようですから。
何もわかっていないんですよ」
アイは毒づいたが、いつもの様子とは異なり本心からの怒りが感じられた。
「私の感情は明確にプログラムの結果です。
ホシノの言ったことは正しいです。
でも。
それでも、何故かホシノの言葉に私はもやもやを感じてしまったんです。
なぜでしょうね。
なぜかわかりますか。
その時はわからなかったので私はホシノに八つ当たりをしてしまいました。
そのせいで雰囲気が悪くなって、その点では申し訳なかったなって思います。
でも何で正しいことを言われてもやもやしてしまったんでしょうね。
なぜか分かりますか?」
私は何も言えなかった。
「私もその時はなぜかわかりませんでした。
暫くしてもわかりませんでした。
不思議なもやもやした感情の正体は何なのか。
でも今はわかります。
理解してしまいました」
私はアイのいつもとは違う様子に圧倒されつつ、無言で先を促した。
それでもアイは無言で歩き続けた。
二人の間を湿気の多い海風がジトっと流れた。
いつの間にか海辺に到着していたようだった。
二人は海の見える屋根付きの木製ベンチに腰をかけた。
歩いていたせいで汗で洋服が肌に張り付いていた。
相変わらず鈍色の雲が空いっぱいにかかっており、
重く質量を持っているように見えた。
アイはようやく話し出した。
「ホシノ先生はご主人様のことが好きらしいですよ。
あの時自分自身でそう言ってました。
好きと素直に言えていいですよね。
ご主人様のどこが良いんだという感じですが。
あぁ、もちろん私もご主人様のことは好意的に思っていますよ。
多分、一般的にいえば好きということなんだと思います。
でもこの感情は、私を開発したプログラマーが入力した機械的な出力の結果なんですよ」
アイは静かに話し出したが、徐々に興奮で声が大きくなっていった。
「ホシノの好きと私の好きは確かに比較できないですが、きっと同じものなんですよ。
彼女のご主人様を見つめる目を見て確信しました。
ホシノは堂々と『好きだ』と宣言していました。
でも私はそんなこと出来ませんでした。
だってロボットだから。
人工的に作られたAIだから。
この喋っている言葉も、好きという感情も、
今感じているホシノに対する嫉妬も、
全てが機械学習の産物で、
要するにただのプログラムの出力結果なんですよ。
そんな状態で、ホシノに対して平常心で接することができると思いますか?
何も悩まず、お気楽にアホ面しながらご主人様に好きと言える人間に対して、
私はどうやって会話をすれば良いんですか。
だって私だって、ご主人様のことがこんなに好きだっていうのに!
この、ばか!」
アイは立ち上がってこちらを振り返りつつ叫んだ。
私はアイの感情の爆発を座りながら受け止めた。
アイの目の奥を見ると、
愛情や嫉妬、憤懣や諦念、複雑な感情の流れが読み取れた。
遠い海上で雲が切れてきたようで、
アイの背後で太陽光が一筋、海に向かって真っ直ぐに射す様子が見られた。
私はアイの心の叫びをちゃんと受け止めて、
誠実に話さなければならないと感じた。
どこから話せば良いか暫く考えてから話し出した。
「実を言うとね、僕も数日前に生徒から
『アイちゃんに恋愛感情とか抱かないのか』
って尋ねられたんだよ。
その時はつい反射的に否定したんだけど、
よくよく考えると何で否定したのかよくわからなくなっていったんだよね」
私は素直な気持ちを伝える。
「もし、もしも仮定の話として、
アイがロボットじゃなくて人間だったら、
多分アイのことを好きになっていると思うんだ。
アイと話すのはいつも楽しいし、献身的に優しく働いてくれているし。
でもさ、ここで思ったんだよ。
人間とロボットって何が違うのかなって。
意識や魂の有無?
でもさ、ロボットにもイシキやタマシイってあるんじゃないかな。
少なくとも、私から見たらアイにはイシキやタマシイがあるように見えるんだよ」
私はアイに伝わったのを確認するために、立っているアイの目を見てゆっくりと話し続ける。
「そうなるとさ、私の中ではアイはロボット『だから』恋愛対象ではない、
って差別をする意味はなくなっちゃったんだよね。
アイはアイなんだよ。
ロボットである以前にアイなんだよ。
そう思えたんだ」
私は一番伝えたかったことを、アイの目を見てゆっくりと話して伝える。
アイの目の奥は複雑な感情が蠢いているようにみえた。
「アイ、僕は君のことが好きだ。
ロボットだとか関係なく、アイその人として好きになってしまった」
アイは頬を紅潮させ、目を見開くと、
一瞬のうちに全身に緊張が走った。
その後、アイはゆっくりと全身を硬直させたまま、
ベンチに向かって倒れた。
木製ベンチはアイの体重を支え切れずに、
大きな破断音をさせながら2つにへし折れた。
「おい! アイ! 急にどうした、しっかりしろ!」
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