第6話 意識
模試が終わると本格的に夏季講習が開始する。
通常時は各クラス週に1回の授業で済む一方で、
夏季講習中は連日授業をする必要がある。
もちろん毎年同じような教材を使用しているが、
それでも進度や生徒の理解度により多少のアップデートが必要であり、
授業準備にどうしても時間がかかってしまうし、
さらに授業中に行う小テストの準備と採点まで含めると、
どうしても終電間際まで残業せざるを得ないことになる。
授業そのものは、一学期から私の授業をとっている子ばかりだったので、
恙無く進行していった。
ただ公式を覚えて当てはめれば良いという解法ではなく、
なるべく物事の『本質』を理解した上で問題を解くように教え込む。
重要なのは物理学の根底に流れる理論であり、
そのコアを形成する本質である。
それを数式として掬い上げて表現したのが各種物理公式であるということを繰り返し伝える。
少しでも理解してくれる生徒が増えることを祈りながら。
授業を終えて講師室に戻ると、
とある熱心な生徒が質問しにやってきた。
質問自体は他愛もないものだったのですぐに解決した。
「シバタ先生ありがとうございます!」
と快活に言った後、少し声のトーンを落として続けてきた。
「シバタ先生の家に、むちゃくちゃ可愛いメイドロボがやってきたって本当ですか?」
「うん、そうだよ。誰か他の先生から聞いたのかい?」
「イイノ先生が言ってた」
イイノは現国の講師で、
おちゃらけた雰囲気もあって生徒から親しみを持たれやすい先生である。
余計なことを、とも思ったが、特に口止めはしていないので仕方がない。
「シバタ先生って確か独身ですよね。
あの……メイドロボと一緒に暮らして……、その……、
好きになっちゃったりとかしないんですか?
だってめっちゃ可愛かったってイイノ先生も言ってましたよ」
高校生らしい興味と素直さで私に聞いてきた。
可愛い子と一緒に住めば自動的に好きになると思っているところが
高校生らしい単純さだと感じた。
彼の顔が若干緩んでいるのが多少気に障るが、私は正直に答えた。
「うーん恋愛感情かぁ。ここ何年も持ってないし、
どんなものかも忘れちゃったけど、相手はロボットだよ?
そもそも恋愛対象じゃないんじゃないかな」
と私は言った。
質問してきた生徒はその答えに納得したのか、
それ以上追及してこなかった。
***
その場では確かにそう思った。
しかし、暫く講師室で単純な選択式問題の答え合わせをしていると、
果たして本当にそうなのだろうかと微かな違和感を覚え始めた。
「ロボットだから恋愛対象ではない」
と確かにその時は思った。
しかし果たして『アイその人』は恋愛対象ではないのだろうか。
私は採点の手を止めて自問自答をし始めた。
確かに私はアイに対して非常に好ましい感情を抱いている。
いつも献身的に家政婦として働いてくれているし、
つい先日に深夜に塾まで夜食を届けてくれたことも、
明確な理由は不明ではあるものの、私のことを思っての行動だろうと思う。
しかし、この『好ましい感情』が恋愛感情かというと、
きっとノーである。
多分。
なぜなら生徒にも言ったとおり、
アイはロボットであって、生身の人間ではない。
人間に限りなく近い『モノ』である。
人工知能によって擬似的に人間的な知性と理性を与えられた機械である。
私の中の常識に照らすと、このように判断される。ここまで特段異論は無いだろう。
しかしもし仮に。
あくまで仮定の話として、アイが人間だったら。
私は果たして恋愛感情を抱いているだろうか。
アイがロボット『だから』これは恋愛感情ではない、
と判断するならば、
アイが人間ならば、
年の差はあるもの、
私はアイに対して恋愛感情を抱いていたのではなかろうか。
アイがロボットであるということ以外に、
私自身の恋愛感情を否定できる要素は果たしてあるのだろうか。
アイの吐く毒も、
ある種の信頼の裏返しであると今では思っているし、
既にとっくに慣れている。
その他に否定要素があるかとしばらく考えてみたが、
特に挙げることはできなかった。
しかし果たして、と私は考えを進める。
人間とロボットは一体何が違うのだろうか。
どこに区別があるのだろうか。
人間の家政婦と全く同じ見た目で同じ働きをする家政婦ロボットは、
もはや人間と言っても良いのではないか。
人間とロボットの区別は何だろうか。
まさか生殖器の有無ではあるまい。
病気等で生殖器を摘出した人は自動的にロボットになる、
と考える人はいないだろう。
又はその他の身体構造の問題だろうか。
それでも一部を義肢にした人をロボットと言う人もいないだろう。
それでは脳以外を全てサイボーグ化した人はロボットなのだろうか。
限りなくロボットに近そうではあるが、人間と言えるのではないだろうか。
そうなると脳、つまりイシキの有無が人間とロボットを峻別するのだろうか。
それともタマシイの有無か。
しかしイシキもタマシイもあくまで主観的な問題であって、
人間全員に意識・魂があるのか、
ロボット全てに意識・魂が無いのか、
少なくとも私には確認のしようがない。
プログラムに意識・魂のようなものが宿らないとどうして言い切れようか。
果たしてイシキやタマシイの有無は
人間とロボットを分ける境界にはなり得ないのではなかろうか、と思えた。
少なくとも今の私にとっては。
イシキやタマシイが人間とロボットを分け隔てる壁ではないとすると、
果たして人間とロボットを分ける境界線はどこにあるのだろうか。
人間をロボットと区別する『本質』は何だろうか。
本質を掬い上げて、公式化をしなければならない。
これが人間とロボットを分ける境界であると。
いつも私が生徒に語りかけていることが、
巡り巡って私のところへと来ることになった。
だがしかし、いつもの物理の授業のような明快な答えは出なかった。
アイはロボットである、
と簡単に明言できなくなっている自分に気づいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます