第4話 感情
数日経つと、アイのいる生活が徐々に日常になっていった。
朝はアイに規則正しく9時半に起こされ、アイの準備してくれた朝食をとる。
朝食は魚や小鉢もある一汁三菜と言った趣のもので、
以前のコーンフレークのみ又は朝食抜きに比べて、格段に栄養状態が向上したと言える。
その後お昼前に講師をしている塾へと通勤をし、
アイの作ってくれたお弁当をお昼ご飯として食べる。
内容は朝食のものに多少冷凍食品が追加されたものか、昨晩の残り物だが、
以前のコンビニパンより断然美味しいし健康的であった。
私が勤務している間、アイは家の掃除や洗濯をしてくれており、
帰宅をする頃には部屋が完璧に整えられ、晩ご飯が準備されているのが常だった。
私の帰宅は塾での残業があって二十四時を回ることが多いのだが、
アイはだいたい二十四時には既に充電コードを首元に刺して眠っていた。
アイ曰く、機械の保全の都合上、二十四時以前になるべく眠るようプログラムされているとのことだった。
たまに二十四時より早く帰れると、アイに「お帰りなさい」と迎え入れてもらえ、
しみじみと幸せな気分になるのであった。
新婚生活はこんな感じなのかなぁ、
と現状叶いそうにない夢を妄想することもあった。
そして私は晩ご飯をいただいた後で、
アイが隣の部屋で眠っていることに罪悪感を覚えつつも、
独身男性の嗜みとして夜のルーティンワークを実行していた。
ある日、いつものようにアイは
「おはようございます、ご主人様」
と言って私を起こしにきた。
私は「ん……、おはよう……」と言って目を開けると、
いつもアイの顔が見える位置にアイがいないことに違和感を覚えた。
そして目覚めきっていない頭を抱えて上半身を起こすと、
私の股間に向かって、
「おはようございます」
改めて挨拶をするアイの顔が見えた。
瞬間、やたら開放的な股間と、
そこのガビガビとした触覚、多少生臭いイカの香りを覚え、
思わず「うへぇ!」と情けない声を出して、
脱ぎ散らかしていたジャージで「本質部分」を隠した。
どうやら、昨晩ルーティンワークを実行した後、
あまりに疲れていたためにそのまま寝落ちをしていたようだった。
私はアイから逃げるように風呂場に行きシャワーを浴びて、
昨夜の残りかすを綺麗にした。
先程の記憶も一緒に流れれば良いのにと思いつつ、シャワーを浴び終わった。
風呂場から出ると、アイはタオルを持って待っていてくれた。
「その……、なんだかごめん」
「いえ、全然気にしてませんよ。
ご主人様のご主人様を拝見できて興味深かったですね。
想像より小さめでしたが、起きる直前にはかなり膨張してましたね」
と無表情に言った。
あまりに配慮とデリカシーの無い発言に、
男のプライドが大いに傷ついた。
仕方がないので、この際だからと以前から気になっていた配慮とデリカシーの無い質問をこちらからもしてみることにした。
これで怒られたらおあいこだろうという魂胆だった。
「アイはさ……、その……、
そういう夜の営み的なことは出来ないの……?」
「出来ないですね、下半身に穴がありませんから。
食事をした後の排泄物も炭化した細かい固形物が口から排気と共に排出されるだけです」
即答で曖昧さの余地の無い回答だった。
「それじゃその……手とか口とかで色々と手伝ってくれたりはしないの……?」
私は恥を捨ててアイにさらに尋ねた。
「それも無理ですね。
そういう機能を付けると、家庭用家事代行ロボットではなく医療用ロボットになってしまって、
色々な法律や安全審査基準が変わってしまうので、残念ながらできません。
プログラム上セーフティがかかっています。
いやはや、全く持って残念なことです」
と全く残念でなさそうに言われてしまった。
「だからこれも最初に入っていた説明書に書いてありますよ。
ちゃんと説明書を読んでください」と強く言われてしまったが、
既に捨てたので無理な相談であった。
***
ある日、塾の講師室でお弁当を食べていると、同僚のホシノから声をかけられた。
「シバタ先生、最近ずっとお弁当ですよねー。
料理男子として目覚めちゃいましたか?」
ホシノはクスクスと楽しげに笑いながら言った。
ホシノは同年代の物理を担当する女性講師で、
授業がわかりやすく大人可愛いと生徒の間でもっぱらの評判であった。
特に理系を目指す女子高生の間では、貴重な同性の先輩ということで、
色々な相談に乗っているらしい。
「いや、これはうちに最近きた、
アイちゃんというメイドロボットが作ったものなんですよ。
ほら、最近家庭用メイドロボットの実用化が近いってニュースでやってませんでしたか。
あれの最終試験のテスターとしてデータサンプルの協力をしてまして……」
「え、すごーい! 知ってますよ、メイボットですよね」
ホシノは驚きで目を丸くして言った。
表情がどことなくカワウソみたいだなと思った。
愛嬌があるという意味であって、悪口という訳では決して無い。
「もし良かったら今度シバタ先生の家に行ってみたいんですけど、どうですか?
私、もともと工学部出身でロボット研究してたんですよ。
めっちゃ興味あるんです!」
とホシノは力強く言った。
姿勢がズズイと前のめりになっており、メイボットへの興味の強さが窺えた。
私は勢いに押されて
「良いですよ……」
とすぐに言ってしまったが、
ここが塾講師室で、周囲の講師陣に今の会話を聞かれているであろうことをすっかり忘れていた。
若い独身女性が独身男性の家に一人で行くことになったということは、
ただならぬ関係になったと思われるのは必至である。
もちろんホシノにはそんなつもりは無いのだろうが。
今後、色々と疑念の視線を投げかけられ、からかわれ、
我々の知らないところで興味半分侮辱半分の噂が流れることを考えると、
今から憂鬱な気分になってしまった。
次の休日、ホシノはお昼前に家にやってきた。
アイの作ってくれた昼食に興味があるようだった。
最初はホシノからアイの作る晩ご飯を食べてみたいと希望されたが、
あまり夜遅くならない方が色々な意味で自分達のためだと思って、
せめて昼食にしてもらった。
アイを初めてみたホシノは、
小声で「うわぁ、すっごい」と驚嘆のため息をついた後、
アイに向かって、
「ホシノです。塾の同僚です。
うちのシバタがアイちゃんにお世話になっているとのことで、
挨拶に伺いにきました」
と朗らかに言った。
いつ『うちのシバタ』という関係性になったのか不明だったが、
まぁあまり気にしてはいけないのだろう。
「アイです。日々ご主人様のお世話をしています。
好きな食べ物はピスタチオです」
「え、その設定知らないんだけど、
好きな食べ物とかあったんだ」私は思わず突っ込んでしまった。
「嘘ですよ。
ご主人様を混乱させるためだけに言った意味なしジョークです」
アイは澄ました顔で言った。
「あはは、凄いねアイちゃん!
人工知能に意味なしジョークを言わせるのはとても難しいんだよ。
理屈や理由を基に動くようプログラムするのは簡単だけど、
理屈の通らない動き・発言をさせるのは難しいんだよねぇ。
しかもその発言内容が会話の本筋に微妙に沿わないっていうのが本当に凄い。
相手の質問をきっかけに意味のある回答するのは簡単だけど、
きっかけもなく、本筋にも逸れている発言か……、
どうやって出てきたんだろう。
全然想像できないな。本当に人間みたいだね、アイちゃんは」
と興奮気味にホシノは言った。
「理屈は通らないけど意味は完全に失わない、
そういう線引きが難しいんだよねぇ」
ホシノは実感が込もったように言った。
大学時代の研究室でも、似たようなことを研究してたのかもしれない。
「なるほどな」と私は続ける。
「ホシノはロボット研究をしていたと言っていたけど、こういうことを研究していたの?」
「まぁそうだね。ロボットと言っても、
機械学習とその効率的な外部出力みたいなことを研究していてね。
いわゆるソフト面ってことになるかな」ホシノは答えた。
「いやでも、本当に凄いよアイちゃんは。
受け答えも自然だし、意味なしジョークも言えるし。
ちょっとシバタ先生もアイちゃんみたいな面白いことを言ってくださいよ」
「いやいや、そんな無理ですって。
私はつまらない人間ですから」
私はやんわりと断って、もともと予定していたホシノとアイちゃんを二人にさせる作戦を実行することにした。
「まぁでも、折角だからコンビニでピスタチオとついでにお茶を買ってくるよ。
二人だけの方が色々と話せると思うしさ。
後、アイはお昼の準備もお願いね。
二〇分くらいで帰るからさ」
と私は言ってコンビニまで出かけることにした。
コンビニでピスタチオと適当なお茶を買って帰ると、
お昼ご飯として中華風サラダとチャーハンが出来上がっており、
ごま油と鶏がらスープ系のかぐわしい匂いが部屋中に充満していた。
また一方で、アイとホシノの間に微妙な雰囲気が漂っていることにも気付いた。
「ピスタチオとお茶買ってきたよー」
私は微妙な雰囲気をあえて無視する形で明るく話しかけることにした。
雰囲気を取り繕っているような場合、
自分からそこに突っ込むのは得策ではないという経験則であった。
「シバタ先生、ありがとうございます」
「ありがとうございます、ご主人様」
二人とも互いに相手と目線を合わせないようにしている、妙なよそよそしさがあった。
二人にしておいて交流をさせるという作戦が失敗に終わったのだと感じた。
「いえいえ。とりあえずお昼にしよう」
私は二人から話が出るまで放置することに決めた。
そうこうしているうち、サラダとチャーハンを食べ終わり、
ピスタチオを食べつつとりとめのない弾まない会話をし、夕方になってしまった。
ホシノは「そろそろ帰るね」と言って、そそくさと帰ってしまった。
結局微妙な雰囲気の原因は分からずじまいだった。
***
ご主人様がピスタチオとお茶を買いに行くと私はお昼ご飯の準備にとりかかった。
朝から準備してあった春雨、キクラゲ、キュウリハムの中華風サラダを取り分けて、
サッとできるチャーハンをこれから作る予定である。
各種具材をリズム良く小さな賽の目状に切っていると、ホシノが話しかけてきた。
「アイちゃん、本当に本物の人間みたいだね。ちょっと触ってみても良いかしら」
包丁を振っていたが、多少ならば特段問題無いため了承をした。
「凄い……、もはや本物の肌ね、これは。
多分目隠しして本物の肌と比較しても、
恐らくわかる人はほとんどいないでしょうね……。
手足の肉感も筋肉の内部構造まで同じにしているのかしら、
全然ロボットだとは思えないわ。
それにその会話プログラムも凄いわね。
さっきの意味なしジョークも本当に驚いたんだから。
どこまでの感情がプログラミングされているの?
まさか恋愛感情までプログラムされていたりしないわよね?」
ホシノは興奮気味に話をしてきた。
私は具材を切り終えたので、細かくなった具材を中華鍋で炒め出した。
中華鍋を軽く上下に振りつつ暫くホシノの言葉を考えた。
確かに間違っていない。
私の感情はプログラミングされたものだ。
正しいが、しかし……。
この割り切れない感情は何だろうか。
感情がプログラムの結果だと言い切られてしまい、確かに正しいはずなのに、
何故だか腑に落ちない。
この歯痒い感情もプログラムの結果なのであろうか。
「具体的なプログラムの内容は機密事項となっており、お話することができません。
申し訳ございませんが、ご了承ください」
概要ならば話をしても問題無いはずなのだが、
先ほどのホシノの言葉を聞いて、何故だかホシノに対しては無性に意地悪をしたくなった。
半ば八つ当たりのような感情だった。
遣り場のない自らの感情を、とりあえずホシノへとぶつけて解消しようとした。
「そりゃそうか。
詳しく話してしまったら、肝心のプログラムそのものを真似される危険もあるわよね」
ホシノは納得したようだった。
「そういうホシノ様はご主人様のことを非常に好いているようですが、
恋人同士という訳ではないのでしょうか」
私は今日のホシノの表情と会話から推測した感情を、さらにホシノにぶつけてみることにした。
どうやら私はホシノに対して、妬み嫉みの感情があるのではと意識のバックグラウンドで考え始めた。
「はぁ? 何を言っているの?」
ホシノは声の調子を一段階下げて言った。
完全に私のことを敵対視している目をしていた。
「知っていますか?
私には高性能の嗅覚センサーがついていまして、
人間が脇下から出す匂い、いわゆる『フェロモン』を感知出来るんですよ。
そしてその濃度で、相手への好意を数値化できるんです。
人が密集していると検出しにくいのですが、今日は非常に分かりやすかったですね。
ホシノ様、あなたのご主人様への好意は相当ですよ」
私は出来る限り冷静に、自分の感情を気取られないように、ホシノに対して言った。
「はぁ? フェロモン?」と言った後、ホシノは自分の脇の下を嗅いだ。
それと同時にホシノはあることに気付いて固まった。
「気付きましたか、ホシノ様。自分の匂いを確認したということは、
ご主人様への好意を否定しなかったということですよね」
私は続ける。
「そもそもこんな調理中にフェロモンを嗅ぎ分けるなんて、
いくら高性能センサーでも無理ですよ。
でもホシノ様はそれに引っ掛かった。
それだけです」
「……とても優れたAI機能なんですね。
きっと開発したプログラマーが擬似的な感情を備えさせるために非常に素晴らしいコードを書いたのでしょうねぇ……」
ホシノは冷たく言った。
私は何も言い返せなかった。
気まずい沈黙の時間が続いた。
その後暫くして、チャーハンが完成し、
ちょうどその時、ピスタチオとお茶を持って、シバタが帰ってきた。
「ピスタチオとお茶買ってきたよー」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます