四頁 猫 弍 『蛇喰商店街』

四頁

 

猫 弐

 

『蛇喰商店街』

 

 な、何であの女は、猫に付き纏うの?


 友達がどうのこうのと言っていたけど、ひ、一人で誰かと喋っているし、く、首を絞めてきたりするのに、やたらと距離を縮めてくる。仕舞いには、猫の家に泊まりに来るのだそうだ。


 く、狂ってるんだよ。あんな女、初めて出逢った。何故猫が狙われたのか? あの女の最終的な目的は何なのか? 全ては謎に包まれたまま、わざわざお休みでたっぷり時間のある土曜日に、その女は我が家に泊まりに来る事になった。


 待ち合わせた、午後二時の五分前に小鳥から電話が来た。電話に出ると猫の、「もしもし」を待たずに語り掛けてきた。


「お待たせ! いま、玄関の前まで来たよ」


 て、手が震えるんだよ。携帯を持つ手が震えて落としそうになるから、右手でも支えて返事をした。


「あ、そ、そうか、じゃあ家を出るから待ってて」


「ゴメン! 荷物があるからさ、家に置いて行ってもいいかな?」


「そ、そっか。今降りるよ」


 猫は、二階の自室から窓を開けて、玄関の前に居る筈の小鳥を視認しようとした。小鳥は、玄関から少し離れた所に居て、大袈裟なジェスチャーをしながら、誰かと話している様だった。いや、誰かと話していて欲しかった。


 彼女は一人だった。どの角度から見ても、どの可能性を手繰っても、小鳥は一人でナニカと話していた。そして盛り上がっていた。


 もう、猫は行かなくても良くないかなぁ? と思ったけど、玄関前でいつまでもそうされているのは迷惑だった。


 猫は、玄関を開ける前に一度深呼吸をして、普段より何故か重く感じるドアを押し開いた。彼女は、手を後ろに組み、先程まで上から見ていた表情とは別人の様な顔を向けた。口は大きく開いて、笑っている様にも見えるのだが、鼻から上はまるでホラーだった。鼻に力を入れていて、見開いた目は血走り、映画の中の話しだけど、サイコパスな連続殺人犯が醸す表情に酷似していた。


「こ、小鳥さん。こんにちは」


「ごきげんよう。荷物、いいかな?」


「もちろん。えっ、あ、あぁ」


 キャリーバッグだった。一泊だよね? 絶対それは、多すぎるんだよ? ご、拷問器具が、入ってるんだよね? ね、猫を、一晩中嬲って殺すんだよね? そ、そんな人生の最後、嫌なんだよ。


「こ、ここに、置いておくと良いよ」


「ありがとう」


 小鳥が持って来たキャリーバッグは、玄関近くに置いて家を出た。ってか、これから何をするのだろうか? 何も聞かされていない。小鳥は歩き出して、何も言わないし、数歩前を歩いて、振り返りもしない。


 いや、バレバレなんだよ? こんなものは場繋ぎで、夜の惨劇のパレードに悦を抑え切れないのがバレバレなんだよ! 何故、猫なの? わんちゃんとかじゃダメだったの?


 彼女が止まった店は、同級生からちょこちょこ話題の上がるカフェだった。中に入って注文して、席に座りその品が来るまで待ってる間に、小鳥はお手洗いに行った。その隙に、母に電話をした。


「イチカ? なんね?」


 電話に出た母は、寝起きの時の沈んだテンションだった。母は元々福岡産まれで、たまに方言が出るのだ。


「お母さん? 玄関の横に、グレーのキャリーバッグが置いてあるんだけど、その中身を確認して欲しいんだよ」


「後で、確認しとくよ」


「い、今は、無理なの?」


「あのさぁ、寝てたんだけど? 寝起きで動ける? 動きたくないんだよ。もうちょい寝てから確認するから待ってて」


「えっ? 寝るの? そ、その眠る前に、キャリーバッグを確認して眠るのは駄目なの?」


「一回起き上がっちゃったらさぁ、眠くなくなっちゃうんじゃないかなぁ? ラインするから待っててよ」


「でも、起きるのって何時になるの?」


「夕方には起きるよ。友達泊まりに来るって言ってたねぇ、多めに唐揚げ揚げとくよ」


「そ、その前に、キャリーバッグの中身を……」


「しつこいねぇ! 起きてから見るから、これ以上話すと脳が起きちゃうから、おやすみ。ってか、こうやって寝たいのに電話取ったお母さんの厚労を労いなさいよ」


「は、はい」


「おやすみ」


「お、お母さんあのね?」


 猫は、この命の危険を母に伝えようとした。


「誰と喋っているの?」


「に、ニィヤャャャ」


 トイレを済ませて、小鳥が戻って来ていた。すぐさま携帯の通話を切った。


「な、何でも無いんだよ。お通じは、上手くいったかな?」


 猫は、気が動転していて、よろしくは無いであろう質問をしていた。


「とても気持ち良く出たよ! お空が快晴な時は、いつも調子良いんだ」


 謎の理論も然る事ながら、猫は、聞いてしまった手前こんな事言うのは変だが、そんな事答えるんじゃないよと思ってしまった。お通じの話しなんて、親しい友人からだって聞きたく無い。


「そ、そうかぁ」


 それから、とてつもなく気不味く、果てしない沈黙が流れた。


 ス、ストローを口に付けて、いつまでもこっちを見てくるんだよ! ね、猫は、特にあなたと話したい事なんて無いんだよ。なのに、猫が話題を振らないのが悪いかの如く見つめているんだよ!


 結局、一時間程の無言のカフェ地獄は終わった。次は、どんな地獄に猫を連れて行ってくれるのだろうか?


「まだ、暗くなるまで時間あるね? あ、あの、蛇喰商店街行かない?」


 その商店街は、学校内でも、七不思議がある程呪われた商店街だった。でも、夜に猫を殺す彼女にとっては、それは前菜の様な物なのかもしれない。言うなれば、カルパッチョに過ぎないのだ。


 猫は、もう流されるしか無かった。小鳥の促すままに、蛇喰商店街へ足を運んだ。

 商店街の入口で、小鳥は立ち止まり言った。


「あのさぁ、そういえばさぁ?」


「は、はい」


「犬飼さんと、仲良いんだよね?」


「わんちゃん? 仲良いと思うけど」


「そ、そぅうっ、それっ!」


 小鳥は、急に気味が悪くなった。


「そ、それが何か?」


「あっ、わっ、私も、あだ名で、呼んで欲しいなぁ」


 あだ名で呼んで欲しい? 今夜殺す相手から、あだ名を付けて貰う必要があるのか?


「あだ名か、小鳥だからぴいちゃんなんてどうかな?」


「とっても素敵! じゃあ私は、猫ちゃんって呼ぶね!」


 商店街の中は、まだ日没まで時間があるのに、シャッターを閉めてる店の多い事、多い事。暫く歩いていると、さっきまで快晴だったにも関わらず、雲行きが怪しくなり、ついには雨まで降り出してしまった。


 ここは、きっと廃墟だよね? と思う程ボロボロの何かの建物の中へ入り、雨を凌いだ。


「あ、あの、この商店街にはよく来るの?」


 猫は、恐る恐る聞いてみた。


「うん。学校帰りにたまに寄らないといけないの」


 何それ? と聞きたかったけど、言葉を選ぼうと思った。


「あの……な、何で?」


 選ぼうとしたところで、猫の頭には難しい問題であった。


「しょうがないから」


 何が? 小鳥からそれ以上の応えは返ってこなかった。


「そ、そっか……」


 諦める事が、最善策なのだと思った。


「おやおやまたかい? 優子ちゃんこれ」


 ヒィィィイ! ひ、人が居たのか? 何処から現れたのか、老婆は小鳥に傘を渡した。


「いつもありがとう。お婆さん」


 傘を渡すと、老婆は闇に消えて行った。


「あ、あの……」


「なに? 猫ちゃん」


 さ、流石に、聞かずには居られないんだよ!


「あのお婆ちゃん誰?」


 小鳥は、変な間を空けて言った。


「知らないの」


「えっ?」


「あの人の事、私、知らないよ?」


 いや、ハテナを付けて返されても……


「何で、傘をくれたの? いつも傘を貰っているの?」


「雨が降ってるから傘をくれたの。いつも傘を貰っているの」


「い、いつも傘を持っていないんだね」


「雨の日は来ないから」


「でも、いつも傘を貰ってるって……」


「ここまで来ると、いつも雨が降りだすの」


 ヒ、ヒィィィィィィィイ!


 絶対七不思議の一つなんだよ! こ、この商店街は、やっぱり呪われているんだよ!


「それじゃあ、行こうか?」


 相合傘をして歩き出した。貰ったその傘は小さくて、でも猫は、あまり小鳥に近付きたくなくて、びしょ濡れになる覚悟で、少し距離を空けて歩いていた。


 め、めちゃくちゃこっちに傘を寄せてくれるんだよ。こ、小鳥は右肩どころか、髪の毛までびしょびしょなんだよ。前髪が濡れて、目元が隠れている。あっ、少し隙間が開いた。あ、あぁあ、む、剥いた眼で猫を睨んでるんだよ!


 猫は、すぐさま距離を縮めて、小鳥の濡れる範囲を出来るだけ狭め様とした。ちらりと表情を覗くと、こ、今度は笑ってるんだよ! 猫が距離を縮めた事にご満悦なのは確かだろうけど、も、目的が全く分からないんだよ!


「もうすぐ、商店街の出口だよ」


 ヒィィィイ! きゅ、急に喋らないで欲しいんだよ。ってか、何をしにこの商店街に来たんだよ?


 蛇喰商店街出口と書かれた看板が見えた。揶揄で、今度はどんな地獄を見せてくれるのか? などと思っていたのだが、本当に地獄に連れて来てくれるとは。


 遠くに見えるあの籠は何だろうか? 大量の傘が入れられている。あれ? 雨、止んでるなぁ。


 小鳥は、傘を閉じて、その籠の中に傘を入れた。籠には、「レンタル傘入れ」と書かれてあった。


 レ、レンタル傘入れ? そ、そっか、レンタルだったのか……


 そう。猫は、もう考える事をやめたのだった。だってもう、怖いんだもん。色々考え出すと、怖いんだもん。商店街の出口を通過した。


 猫の携帯が鳴った。ラインの着信音だった。お母さんだ! キャリーバッグの中身を見たんだ!


「ちょ、ちょっと携帯を見るんだよ」


 こ、この女の逆鱗が、何処にあるのか分からないので、一応携帯を見る事の許可を得た。


「猫ちゃんはとても律儀な人だなぁ。携帯を見る事をわざわざ、と、と、友達に了解を得るだなんて。でも、そうだよね? と、友達と一緒に居る時に、何も言わず携帯を見られたら、苛つくもんね! 猫ちゃんとは、し、し、し……」


 ……


 えぇぇぇぇえ? そ、その後の言葉何なの? し、の後に続く言葉って何なんだよ! ね、猫の判断は、良かったんじゃ無かったの? 何で、死、に結び付くの?


「あ、あはっ、携帯、見なよ」


 教えてくれないんだよ! し、の後に言いたかった事は教えてくれないんだよ!

「け、携帯、見るねぇ……」


 でも、これではっきりするんだよ! キャリーバッグの中身が何なのかで、この女の陰謀が明らかになるんだよ!


 携帯のロックを解除して、ラインのアプリを開いた。未読は一件で、よく行くラーメン店の味玉無料サービスのクーポンが送られて来ていただけだった。


 オォォォォォォォォオ、おかぁさぁぁぁぁぁぁん! 起きてぇぇぇぇ!


「なに? どうしたの? そんなに口大きく開けて」


 猫は、その思惑を、小鳥に悟られる訳にはいかなかった。


「だ、大好きなラーメン屋が、三日間限定で、味玉を無料サービスするみたいなんだよ」


「へぇぇ、本当に?」


 疑ってるんだよ! でも、嘘では無いんだからへっちゃらだ!


「こ、これ……」


 そのラインのメッセージを小鳥に見せた。


「あっ、このラーメン屋知ってる! 行った事無いんだよね、今度一緒に行こう」


 な、なんとか機嫌を損ねずに済んだんだよ。


 その時、小鳥の持っている猫の携帯から、また、ラインの着信音が鳴った。


 こ、今度こそ、お母さんなんだよ! 


 ……


 あれっ? 駄目だ! お母さんだったら駄目だ! 今、小鳥が私の携帯のディスプレイを見ている。新しくラインのメッセージが入ると、そのメッセージを二行だけ有無を言わさず表示する設定になっている。あ、ぃぁあ、猫は、身体が灼ける様に熱くなっていく感覚がした。


「えっ? キャリーバッグ……」


 小鳥がそう言った瞬間、携帯を奪い取った。な、なんて、なんてタイミングの悪い母なのか! しかも、そのメッセージを開いて読んでみると、「キャリーバッグの中身を確認してとか言ってたけど、そんな事出来ません。変なの入ってたら見られた方かわいそうでしょ! あんたの部屋に移しとくからね」という内容だった……


 ウォォォォォォォォォォォォオ


 マイナスしか無かったんだよ! キャリーバッグの中身も分からんし、そのライン見られるし。見ないんだったら電話した時にそう言って欲しかったんだよ!


「キャリーバッグがどうかしたの?」


 あっ! 内容ちゃんと把握してない! よ、良かった。良かったよぉぉ。ずっと、綱渡りの様な状況が続いてるんだよ。


「き、キャ、キャリーバッグを、イチカの部屋に移しといてって、言ったんだよ」


「いつも自分の事、猫って言ってるけど、家では自分の事イチカって言うんだね」


 そ、そうだけど? あ、あなたに、何か迷惑掛けた? 何か迷惑を掛けているから殺すの? それとも、何も無いけど殺すの? だって、家の中で、猫はとか言っても、みんな猫宮なんだから、みんな猫じゃん? だから、家ではイチカだよ。 


「は、晴れて良かったね」 


 猫は、無理矢理天気の話しをした。


「出口の前でいつも晴れるよ」


 そう、ですか……


 この世の中には、不思議な事がいっぱいあるんだなぁ。

 

 あれ? 商店街に出口なんてあるんだ。こっちから入る人の事は考えて無いのかなぁ?

 

 あれ? ラーメン屋のクーポン、お母さんのラインから、三十分も前に送られて来てたんだ。


 ふーん……

 あの商店街の中、圏外だったんだ。

 

 ……

 

 やっぱり完全に呪われてるんだよ!

 

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