二頁 犬 壱 『犬養琴子』

二頁

  

犬 壱

 

『犬養琴子』


「そ、相談を、聞いて貰っていいかなぁ?」


 幼馴染みの猫宮イチカから、謎の相談を受けたのは、二年生になり、久しぶりに同じクラスになって四日目の事だった。


 猫宮は、あたしから了承を得て、放課後にカフェに行く事を決めると、自分の席に戻って、「あーでもないこーでもない」と、頭を抱えて呟いていた。


 それってさぁ、悩んでる表現の時に使うもので、言葉にするもんじゃ無いんだけど?


 まぁいいけど。放課後、同じクラスなのだけれど、一緒に教室を出る姿を見られたく無いので、外で待ち合わせをして、少し遅れて来た猫宮と、約束していた喫茶店に二人で入った。


 あたしはブラックのコーヒーで、猫宮はピンクの甘そうなドリンクを頼んでいた。

 席に着いて、猫宮は半分程、甘ったるそうなドリンクをチューチュー音を鳴らしながら吸って言った。


「わんちゃん。猫ね、女神の事が、好きなんだ」


 傍から見ると、訳分かんない会話だろう。登場人物が、わんちゃん、猫、女神なのだから。


 私の名前は、犬養琴子で、猫宮からは、犬の所だけ、しかも鳴き声だけ切り取られて、わんちゃんと呼ばれている。


 ってか、女が好きな事を当たり前の様に言ってきてんな。


「お、抑え切れないんだこの想い。つ、伝えたいんだよ」


 あたしが言葉を返す前に喋んじゃないよ。いま心を整理してんだから待ってろよ。


 女神とは、名前を三上恵理奈と言い、みかみの響きを変えて、めがみと呼ばれている。女しか居ないこの学校の中で、女が女に恋をするのは、仕様の無い事なのだろう。幼馴染みが、当たり前の様にカミングアウト出来るのも、女子高生ならではの、あるあるなのかもしれない。


「そっか、初めて聞いたよ。猫宮のそんな話し」


 あたしは、受け入れようと思った。親友とかじゃ全く無いけど、幼馴染みで、まぁまぁ付き合いもある、この女の悩みを聞いてあげたいとは思っていた。


「どうやったら、付き合ってくれるかな?」


 鼻息荒いな。ってか、付き合うまでが目標なの? 遠いよなぁ。


「この間、告白したんだ」


 またあたしが返事する前に喋ったな? 告白? じゃあもう結果出てんじゃん?


 その後、事の成り行きを聞いて、「コイツめちゃくちゃ馬鹿じゃん?」を経て、相談に乗ってやった。


「普通に喋ればいいじゃん」


「ね、猫は、それが出来ないから困ってるの」


「じゃあさ、好きですって言えたんだよね? それと同じでさ、予め決めとけばいいじゃん」


「決めとくって、何を?」


「言う言葉だよ。緊張して何も言えないより良くない?」


「め、め」


 あたしは、正直面白がって提案した。その意図に、猫宮は気付いたのかもしれない。


「名案だぁぁあ! わんちゃんは天才だぁ」


 全く気付いて無かった。それどころか、冗談で済ませられない高さまで、コイツを祭り上げてしまった。


「えっと、じゃあ、今猫宮が女神に言いたい事って何?」


「す、好きです」


「それもう言ったんでしょ? じゃあさ、一番してもらいたい事言おうよ」


 私は、友達になって欲しいとか、放課後一緒に帰りたいとか、その程度の事を予想していた。


「ふ、踏んづけてもらう」


「はっ?」


 何コイツ? いつからこんな変態になったの? 一番にして欲しい事、踏んづけて欲しいんだ? ヤバいなコイツ。幼馴染みで、大して仲良くも無かったけど、まぁまぁ喋る機会もあるから、周りに、コイツと仲良いって思われない様に、距離取って生活しないといけないな。


「それを言えばいいんだよね?」


「あっ、まぁ、そうなるね」


 あたしは、間違った方向に進もうとしている幼馴染みを、改心させようとは思わなかった。出来るだけ自分に害が及ばない様に、遠ざけて、放っておこうと思った。


「そ、その後はさぁ、何て言ったらいいのかなぁ?」


 でも、好奇心が腑の中からくすぐっている。「もっと、変な事言わせて遊ぼうよ」って。


「何かさ、他にして欲しい事とか無いの?」


「それから、あ、頭を撫でてもらう」


 意外と普通のやつ来たな、まぁいい。


「じゃあ次は?」


「き、切った爪を貰うんだよ」


 あっ、やっぱ駄目だなコイツ。普通には戻れないよ。


「フッ、フフッ、じゃあそこまで言ったら次は、自分の事を女神に良く知ってもらおうか」


 思わず笑ってしまったけど、コイツなら大丈夫だろう。


「ね、猫の事を喋るの? なんで?」


「相手の事がちゃんと分からないのに、付き合いたいなんて誰も思わないよ。それに、猫宮だって、好きな人に自分の事をよく知ってもらいたいでしょ?」


「そ、そうだね。知ってもらいたいなぁ、女神に、猫の、あんな事やこんな事」


「知ってもらいなさい。出来れば、他の人には話せないようなやつを」


「えっ、どうしようかなぁ、な、何を知って貰おうかなぁ」


「そうだねぇ、なかなか人には話せ無い事なんてどうかなぁ?」


「ね、猫ね、湯船に浸かるとね、必ずお漏らししてしまうんだ。これはどうかな?」


 どうかなって言われても、仮にも好きな人に、そんな事カミングアウトしてどうすんだとしか思わなかった。


「いいんじゃない」


「それにね、猫の家は、三日間お湯を抜かないの」


「はっ? なにそれ? どうしてんの?」


「お、追い焚きして入ってるよ」


 そんな事聞いてるんじゃ無い。もういい。これ以上聞いてると、晩飯の時に思い出してしまいそうだ。


「み、三日目の匂いは凄いんだよぉ。一日目のまっさらなお湯が、物足りなく感じてしまうんだよぉ」


 止めろ! 始めは、「その程度の話しか」くらいに感じてたけど、掘り下げるとめちゃくちゃキモい話しじゃないか! 


「なかなか、大変そうだね」


 他の家族がな。


「でもそのおかげで、今日は水曜日だなぁって、今日は日曜日だなぁって分かるんだよ」


「はっ? どういう事?」


「だ、だから、三日目の匂いが凄いから、まっさらなお湯の時はすぐに分かるから、それで曜日感覚を補っているんだよ」


 そんな、今日はサザエさんやってるから日曜日だなぁ、的なあるあるの様に言われても全く共感出来ない。それよりも……


「それって、毎週その曜日なの?」


「そうだよ」


「あんたさぁ、一週間が何日あるか分かってる?」


「えっ? えーと、げっかですもうのきどったにせいだから……あれっ? 覚え歌だけ覚えて、肝心の答えが分からないや」


 少なくとも、あたしはそんな覚え歌知らない。


 猫宮は、すいへーりーべーぼくのふね、くらいの認知度があるかの如く、謎の覚え歌を披露した。月下で相撲の気取った二世……

 その二世は、そんなに気取っていないと思う。


「一週間はさ、月火水木金土日で、七日間あるんだよ? 毎週その曜日にお湯を入れ替えてるなら、水曜から土曜までの四日間、お湯入れ替えて無い事になるんだけど」


「えっ? そうなの? アハハ」


 何が可笑しい?


「それ家族さぁ、何も言わないの?」


 あたしは、思わず訊いてしまった。


「そういえば、みんな言ってたな……」


 そらそうだろ。他の家族は、お前の為に我慢して、そんな臭い浴槽じゃ、一日の疲れが取れる筈も無く——


「みんな、土曜日のお風呂が一番好きだって言ってたな……」

 

 オッ、オエッ、オアァァァァァァァァァァァァァア

 

 それから、何の話しをしたか覚えていない。お会計はちゃんと済ませたのか? 猫宮とどう別れたのかさえあやふやだった。


 携帯電話を持っているのに、何故か公衆電話から母に電話を掛けて、「今日は晩ご飯いらない」と言付けている時に、あたしは意識を取り戻したのだった。

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