死神

希望の花

死神

暗い深夜の帰り道。

中村 好花は出会った。

鋭い目付きをフードの内側に隠し、ゆっくりと歩いている長身で細身の男だった。

「ねえ、あなた名前は?」

好花は、失礼だと思いもしなかった。

既に25を超える歳であるにも関わらず、彼のフードの下にある冷たい眼を見て優しく微笑んだ。

初対面であるはずなのに初対面ではない。

そんな予感が好花の中にあったからだ。


「なんだ、お前は」

どこか威圧し、どこか避けるような、低い声だった。だが、好花はその声を聞いて、ああと耳を蕩けさせている。


「本当に、なんなんだ......」

彼は、優しく夜の街を照らす月を仰いだ。



彼が仲介人と連絡を絶ったのはそれから2年後の事だった。彼の仕事は、所謂殺し屋。影を光に出さぬため、闇に潜って影を討つ。それが彼の掲げていた目標だった。


だが、それは好花と付き合い、結婚してから忘れられた。今、彼は貴族街のド真ん中に建てていた超豪邸を売り、好花と2人で田舎のアパートで暮らしている。仕事は電車で2時間、徒歩30分の所にある事務所へと務めている。


彼と好花の仲は、かなり良かった。

時に喧嘩し、時に笑い合い、好花の全てが、彼の心に巣食っていた目標を柔らかく切り離した。

夜の営みも仕事に慣れた頃から始まり、ついに好花は妊娠した。


人に恋し、結婚し、子を授かる。

『死神』と呼ばれた頃の彼には想像もつかない世界が広がっていた。穏やかで、優しい世界。その中心に自分がいることを自覚し、彼は心の奥から温もりを感じていた。


「じゃあ、行ってくる」

「行ってらっしゃい!」

毎日のやり取り。だが、彼らが今日まで欠かさずやってきた習慣だ。一つの、幸せだ。


彼は、今日の仕事を定時で切り上げた。

違和感を感じたからだ。何かがおかしいのではなく、何かが起こりそうな予感がするのだ。

これが、『死神』であった頃に嗅いでいた命の危機であることを彼は忘れていた。


「ただいま」

「おかえり。今日は早いのねー」

彼が家に着いた時、好花は台所にいた。

ほんのりと甘い香りが漂っている。


彼は安心した。感じた『何か』が起きていなくて。

彼は着替えるために風呂場へと足を進める。

暑苦しいスーツは家の中にいてもリラックス出来ないのだ。


風呂場へと入り、スーツのボタンを外した時、

ガシャン!!!というガラスが割れる音が連続した。

「好花!?」

彼は慌てて飛び出した。飛び出した先にあったのは、無惨に打ち砕かれたガラス片と、ひしゃげた実弾。そして、好花の後頭部に銃を当てる片眼鏡の男だった。


「よお、死神」

混乱の濁流が彼の脳内に押し寄せた。

理解できない状況に脳が命令を発しない。

本能は逃げろと警鐘を鳴らすが、視覚情報がそれに逆らう。


「好花......」

最愛の妻が、目の前で死に瀕しているのだ。

彼女を見捨てて逃げることは、彼にはできなかった。


「あなた、逃げて」

好花はそう言って目の端に水滴を溜めた。

「そんなこと、」

出来るわけない。

そう言おうとした言葉は、銃声にかき消された。好花の胸元に、大きな赤いシミが出来ていく。

好花の口の端から血がこぼれていく。


「悪いな、俺らの目標は『死神』、お前だ。この女には悪いが目撃者は排除する方針なんでな」

彼は、頭が熱くなるのを感じた。

未だかつて経験のない程の熱だった。


「お前......お前、お前!」

ゆっくりと彼は片眼鏡の男の元へと歩いていく。

周囲は銃で囲まれているのに、それも気にせずただ片眼鏡の男へと歩いていく。

鬼の形相。まさにその言葉通りの表情を浮かべ、彼はゆっくりと歩き、ふと、立ち止まる。彼の視線は下を向いている。


「に...げ、て...」

弱々しく手を伸ばして、好花は大量の血を吐き出した。その動きが、スローモーションに彼は見えた。

今まで作り上げたものが、全て壊れた瞬間だった。


彼は、好花の光のない瞳にあてられ、その場を逃げ出した。彼の過去にはいくつもの光を失った瞳があったはずなのに、既に慣れていたはずなのに。

彼は好花の瞳に痛めつけられた。心臓を掴まれた。


彼は、二階の窓から飛び降り、駅へと走り出した。

駅の周りの大木の足元で、彼は慟哭した。

彼は今まで知らなかった。

大切なものを奪われるという悲しみを。

命を狙われる側の恐怖を。


だが、それらが通り過ぎれば、後に残るのは怒りだけだ。

「何故だ。何故好花を殺した......」

どす黒く染まった声が木の足元へとかけられる。

「彼らの目的は俺だったはずだ」

暗く、深い闇へ彼は潜っていく。

いつの間にか、彼は携帯を手に持っていた。

宛先は、情報屋。約10年振りの連絡だ。

内容は──『私』を付け狙うものについて。


数分後、彼の携帯に返信が来る。

明日、10時 フラリエル駅周辺 マルシェール


それを見て彼は携帯を閉じた。

その目は、10年前の仕事をしていた淡々とした目ではなく、はたまた好花と過ごしていた時の幸せな目でもない。

漆黒の闇に暗い炎が揺らめいていた。


翌日、彼はフラリエル駅へと向かった。

野宿で済ませた体は、万全とは言えない状態だった。それでも彼は縋るように、求めるように指定された場所へと歩いていく。


「久しぶりだな」

彼が店に入った瞬間、初老の男性が声をかけた。

頭にはちらほらと白髪が見え、目元にも少しシワができている。だが、目付きだけは鋭い。

彼は、何も言わずに情報屋の隣に座り、水を注文する。水がだされる前に彼は財布から30万円を取り出し、情報屋の方へ投げた。


出された水を一口飲み、彼は口を開いた。

「ヒデ。片眼鏡のやつを知らないか?知っているなら教えてくれ、知らないなら調べてくれ」

久しぶりに会った挨拶もせず、彼は本題へ入り込む。いや、挨拶時間すら勿体ないと感じる程彼は時間を惜しんでいる。


「10年振りに会った友への第一声がそれか」

少しだけ、ヒデの目が険しくなるが、一瞬で元に戻る。

「片眼鏡か。なら、ガン・マシルターだろうな」

片眼鏡、という情報だけでヒデは悩む素振りも見せず即答した。これに、彼は驚いた。

「いつからそんなに情報を思い出すのが早くなった?」

ヒデに情報収集を依頼すれば、情報が集まるには必ず三日はかかった。その分どこよりも正確に、どこよりも内容が濃く、どこよりも情報が多かった。


「今の時代、あっちでガンの名前を知らねえ方がおかしいんだ」

堕ちた元殺し屋を、何故そんな有名人が狙う?

彼の中に疑問が生まれた。

「元『死神』のお前なら少し知っていてもいいだろう。ガンは、今世代の『死神』だ」

なるほど。彼の中で合点がいった。


「まさに、あいつはガンだよ。こっちに来て一年。破竹の勢いで依頼達成数、依頼数トップに君臨した。あいつのやり方は単身で乗り込み、威力を少し抑えたガトリング砲を対象者の腹に叩き込む。それだけだ。他の殺し屋のように、周囲のことなど考えもしていない。

お前達は仕事として人殺しをしているが、人情はある。相手に、周囲に気をかけてやる優しさがある。だが、あいつにはない。ガンは自分が全ての中心だ。犠牲も、費用も、自分の仕事が、使命が、達成できればいいと考えている」


「なるほどな」

彼はヒデの話を聞いても、何も言えなかった。

ヒデは、殺し屋に人情があると言ったが、彼には、いや、彼の同業者には、誰一人として優しさで周囲を巻き込まないようにしている者はいない。

彼らが周囲を巻き込まないようするのは、騒ぎを起こしたり、面倒なことにしないようにするため、言わば、保身のために行っているだけなのだ。


「で、その新『死神』の情報をどうして旧『死神』のお前が知りたがる?」

基本的に情報屋が相手の裏事情を聞くのは禁忌だ。

だからヒデは、情報屋としてではなく、10年来の友達として問いかけた。


その質問に、彼は顔を俯かせ、一言

「妻が殺された」

そう言った。


「そう、か......」

そこから先、しばらくの間沈黙が流れる。


沈黙を破ったのは、ヒデだった。

「復讐か?」

ヒデはヒデなりに情報を与えるべきかどうか悩んでいた。正式な依頼であれば、何も迷わなかっただろうが、彼はまだ依頼料を受け取っていない。

だからこれは、彼の依頼ではなく、頼みだった。


彼は、何も言わずに水を口に含む。

コップを握る手には、血管が浮き出ている。

「好き、だったんだな」

「ああ」

2人とも、目を伏せた。


「仕方ない、か」

ヒデは小さく呟き、机の上に放置されていた30万円を手に取った。

「2日待っててくれ。ガンの情報は集めてくる。

2日後、今日と同じ時間にここで会おう」

ヒデは、そう言うと早々に店を出ていった。


彼は、しばらく席に座っていたがスっと立ち上がり、店の扉を開けて外に出た。

その時の彼の目は、宇宙のように深い闇を灯していた。


──2日後


ヒデは、大量の情報と共にマルシェールへと入ってきた。

ガンの住処、仕事内容、過去の経歴、仲間、などなど。

彼は、書類にまとめられたそれらを一つ一つ見ながらプランを練り始めた。

「フェル......」 カチャリ

静かに、銃の噴射口がヒデの額へと押し付けられる。店内に、客はいない。

ペラ、ペラと紙を捲る音だけが数秒続く。

「ヒデ、私はその名を捨てた。いや、その名は殺された。だから、私をその名で呼ぶのはやめろ」

眼を合わせず、彼はそう言って銃を仕舞った。


「わかった、気をつけるよ」

ヒデは、背中から吹き出した冷や汗を不快に思うことなく椅子の背もたれによしかかる。


「ヒデ、ありがとう。これだけあればあとは何とかできる」

クリップで閉じられている書類を鞄に仕舞い、彼は立ち上がった。

「一つ、聞かせてくれ」

水で割った酎ハイを飲み干して、ヒデは彼を呼び止める。両者とも、顔を合わせない。

「なんだ?」

「ガンが使うのはガトリング砲だ。対してお前はただの拳銃。その上あいつの家や敷地は広い平野だ。勝ち目はあるのか?」

沈黙が舞い降りる。長い、長い沈黙だ。

マスターのカップを洗う音だけが緩やかに時が流れているのを感じさせる。


「情報屋の領域を越しているぞ、ヒデ」

彼はそう言って店を出ていった。

「あいつ、まさか......」

マスターと2人になった店内でヒデは思い浮かんだ可能性を必死に否定し続けた。


それから一週間後、彼は駅で目を開けた。

黒い喪服姿──10年前の彼の仕事姿だ。

左内ポケットにかなりの重量。彼は銃だと確認する。彼の荷物は、それだけだった。生やした髭はそのままに、髪も少し乱れたままに、彼は線路沿いを歩き始めた。ゆっくりと、一歩一歩しっかりと踏みしめて。


広大な大地の上に建つ石造りの家。それが、ガンの住まいだった。聞いていた情報に、齟齬はない。

彼は、堂々と正門へ向かっていく。


「ここか」

木製の扉を蹴飛ばし、ゆっくりと彼は侵入する。

迎えは来ない。どころか、重機の鳴らす微かな音すら聞こえない。けれどそれは彼に関係ない。

彼は広原に建つ小さな家へ悠然と歩いていく。


扉は、施錠されていなかった。

彼は静かに扉を開けて入っていく。

鉄の臭いが充満している。


「よく来たな」

鉄と弾薬に埋もれた家の奥に、ガンは座っていた。

ガンの横には1m30cm程度のガトリング砲が安全装置が外されたまま置かれている。

「一つ聞かせてもらおう。何故私を殺しに来た?

誰かの依頼か?」

彼は、胸に手を差し込みながら問いかけた。

「理由?そんなの一つしかないだろ?世界に2人も死神はいらない」

自分中心。久しぶりにヒデと会った時にガンの性格として挙げられたものだ。ヒデの推測は当たっていた。


「私はこっちの仕事を引いていた。それなのに元『死神』だからという理由で私を襲ったのか?」


「お前に、わかるか?俺がどんなに頑張って成績を上げ、名を上げても、必ずお前と比べられる。

前の『死神』ならもっとスムーズに、もっと早くこなせていた、前の『死神』ならもっと綺麗に殺していた。俺がどんなに上手くやっても、必ず他の奴らにお前と比べられる......

俺を見ろよ!今のお前らのトップは俺だろ!過去は過去!今は今!今は俺が比較される対象だ!俺を過去の奴と比較するな!」

腹の底から叫び、血走った目でガンは彼を見た。

(自分がトップに立っているのに、周囲に難癖つけられるのが嫌なのか) 彼はそう判断した。

(誰でも最初はそうだろうに)

事実、彼も『死神』と呼ばれた当初はいくつもの故人と比べられた。だが、それをねじ伏せ、乗り越えて、ようやく『死神』として認められることも彼は知っている。

今ガンが立たされているのは『死神』としての登竜門。乗り越えなければ行けない壁を目前に、他にイチャモンをつけて全く挑戦していないのだ。


彼の中でどす黒い物が流れた。

「────」

彼は無言で銃をガンの額に向けた。

話す価値を見いだせなくなったからだ。

それは、ガンも同じようだ。六門の砲塔が彼の体に向けられている。


「俺は、お前を殺して、唯一の『死神』になってやる」

その言葉と同時、ガンは何かを投げた。

ゴンッと音を立てて転がってきたのは──


──好花の顔だった。


今まで一切感情を出さなかった彼に、動揺が生まれる。

その隙を、ガンは逃さない。

秒間15発の弾丸が暗屋を跳び回る。



「......あっけなかったな」

物音がしなくなった家の中に、ガトリング砲を投げ捨て、ガンはこれからの出来事を妄想する。

全員が自分のことを『死神』と呼び、闇世界のトップに君臨する様子を。


「何を呑気にしている?」

ガンの後頭部に『死』が突きつけられた。

ガンの背筋が凍る。妄想も吹き飛び、無理解に脳が混乱する。


「私はここへ死ぬ為にきた。この世界にやり残したことも、生きて行く理由も無いからだ」

何故死んでいない?その一言すらガンは言えなかった。

「な、ぜ......?」

かろうじて、ガンは質問を声に出した。

「お前は、『死神』をなんだと思っている。

ただ功績がいいだけの殺し屋が、『死神』なのではない。死を渡り、超越するからこそ『死神』と呼ばれるのだ。大事なのは功績ではない。」


「死を、渡る......?」

「『死神』への壁の手前で『死神』を名乗るお前には、一生わかるまい」


キンッと薬莢が地面を叩いた。


「好花......」

頭だけになった好花に視線を落とし、彼はその場に立ち尽くした。


(好花は、死んだ......。その時、俺──フェルトも死んだ。ここにいるのは全く別人の私──死神だ。

私には、彼女を抱きしめて号泣する資格も、彼女を埋葬する資格もない)


「好花、私は、」

震える銃口を好花へと向けた。

顔は見えない。

「私は、」

狙いが定まらない。

震えて震えて、震え続ける。

「私......は、」

気がつけば、死神は銃を下ろしていた。


「俺は!」

銃を投げ捨て、フェルトは好花の元へ駆け寄った。

駆け寄って、抱き寄せて、叫んだ。

最愛を無くした寂しさを。

守れなかった後悔を。

喉が枯れるまで、涙が枯れるまで、ずっと、ずっと、叫び続けた。

その叫びは、涙は、間違いなく人のものだった。


「じゃあな」

フェルトは、石造りの家に火をつけて、好花を埋葬した。燃え上がる炎を見続け、その業火の中にフェルトは左手を入れた。

肉が焦げ、痒みと激痛が襲ってくるがお構い無しに焼いていく。肉に痕が付いた時、ようやく死神は手を抜いた。

「これで、寂しくないだろう?」

舞い上がる火の粉を死神は見上げる。

(お前の苦しみや痛みは、私の腕に、

私の苦悩はお前と共に。

共に、業を背負って先の見えない暗闇を歩こう)


「お別れは出来たのか?」

「ああ」

木の陰からヒデが出てくる。

ヒデは燃える炎へ一礼した。


「ヒデ、次の依頼だ」

死神はそう言った。

「次はなんだ?」

「ガンと仲の良かった奴のリストを作ってくれ。私はこの世界に残った。

たとえあの2人が望んでいなくとも、私はあの2人の弔い殺人をしなくてはならない。」

ヒデは帽子を深く被り直し、頷いた。


「また後でメールを寄越してくれ」

死神は静かに暗闇に消えていった。


「陰と陽。光と影。表世界と裏世界。

決して交わっちゃあいけないものが混じり合い、

今日の結果を招いた、か。


好花さんと言いましたね。10年間、あいつが世話になりました。最後、あいつはあなたとの想い出と、自分の名前を焼き捨てました。

けれど、そうまでしなければ縋ってしまう程、頼ってしまう程あなたとの生活が楽しかったり、あなたの事が好きだったのでしょう。

友に、幸せな時を過ごさせてくれたあなたには感謝してもしきれません」

ヒデはもう一度礼をして燃え盛る炎に背を向けた。


を焼いた『死神』か......」

夜空に浮かぶ数多の星々を眺めて、ヒデはそう呟いた。


(誰にでも愛する人はいる。だが、それを失わせないようにするのは私にはできない。私は、奪うことしかできないのだから。

なるほど、だからこそ、幸せを与えることのできるあいつに惚れたのかもしれないな)

一筋 そらに走った流れ星を死神は見た。



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死神 希望の花 @teru2015

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