第44話
見上げれば、ひらひらと手を振る一反木綿の横に、見たこともない人物が座り込んでいる。そのあまりの異様さに、俺は一瞬言葉を失った。
まさしく、それは天狗だった。長い鼻をたらんとさせて、何やら物思いにふけっているのか、ぼうっと遠くを見ていた。
「飛鳥、見える!? どう、天狗の姿は?」
興奮して服を引っ張る水瀬に、俺は見えるよと答えてから、何と説明していいのか分からなくて止まってしまった。生きているのかさえ分からないほどに、天狗はそこでぼうっとしたまま微動だにしない。
もはや永遠にそこに居続けるつもりなのかと思うほどであり、それは名古屋城のしゃちほこも、びっくりするくらいに硬直していた。
「なんか、まったく動かないんだよな……ちなみになんか赤っぽくて鼻が長いから、そこに載っている図版とさほど変わらないかな」
「すごいっ! いるのね天狗!」
俺は一反木綿を呼び寄せると、天狗があそこで何をしているのかを聞いた。すると細い目を瞬かせながら、一反木綿はふふふんと腕組みをした。
『失恋したんですわ、彼』
「はいい? 失恋?」
『せや、せや。一世一代の大プロポーズ作戦やったっちゅーんに、見事に玉砕してしもたらしくて、心ここにああらずで、ここんとこずっとあそこで呆けとんのや』
「はあ、妖怪たちもいろいろと大変なんだな……」
俺は事の顛末を水瀬に伝え、それに水瀬が可愛そう、と眉をしかめた。
「私で良ければ話聞いてあげるわ。女心がわかっていなかったんじゃない?」
「……水瀬に女心が常備されていたとは、驚きの事実なんだけど」
ばっちーんと乾いた音とともに、俺の背中に水瀬の張り手が思いっきり入った。俺はあまりの痛さに声も出せないでいたのだが、その発砲音に近い音に天狗の方が驚いたようで、そのまま慌てて屋根を踏み外して目の前にどさっと落ちてきた。
言わなくても分かると思われるのだが、この時の張り手の痛みは尋常ではない。もっぱら薄っぺらいTシャツでは、水瀬の衝撃を吸収するに及ばず、俺の皮膚が真っ赤になったのを、後々に風呂で確認することになる。
『天狗はん、このお嬢さんが話聞いてくれるって言うてますから、話聞いてもらったらええんとちゃう?』
ということで、めそめそと泣き始めた天狗を引き連れて、仕方なしに向かったのは近くの喫茶店……ではなく、俺の実家で俺の部屋であった。
「……何でこうなる?」
勝手知ったるという顔をして飲み物を冷蔵庫から持ってきた水瀬は、俺の部屋に入るなりベッドに偉そうにふんぞり返って座った。
失礼ながら、それは俺のベッドだと言ったのだが、どこぞのジャイアンのように「だから? 飛鳥のものは私のものよね?」と言われて押し黙った。
これ以上言うと、プロポーズしたのにと喚かれかねない。男の立場が弱いのではない、レディーファーストだと俺は紳士ぶって愚痴を飲み込んだ。
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