そして少女は、葛餅の夢を見る

第33話

 水瀬が兵庫の実家へと帰ったのは、ほんの一週間に満たない日にちで、その間、俺のなんとも平穏な日常が保たれた。後にも先にも、夏休み中に平和だったのはその一週間しか記憶にないというのは、一体どういうことであろうか。


 とんぼ返りのような速さで古都まで戻ってきた水瀬雪が、神戸土産をたんまり持って俺の実家に来たものだからたまったもんじゃない。


 平穏なる日常を満喫しようと、パンツ一丁でクーラーの効いた部屋に籠って、大量の漫画を読みふけっていた俺の部屋のドアが、情け容赦なく開け放たれた時には、恐ろしさのあまりに悲鳴を上げてしまった。


 もはや、水瀬は妖怪よりもたちが悪い。そして、何だって勝手に家に招き入れてしまうのであろうかと、家族にも文句の二言三言、いや、四言十言よんことじゅっことくらい言ってやりたい気持ちである。


「水瀬! 実家に帰ったんじゃないのかよ! そして、学校が始まるまで戻ってこないんじゃなかったっけ?」


「そのつもりだったんだけれど、気が変わったのよ」


 そう言って水瀬はつかつかと、ベッドに寝そべっている俺の前まで来ると、携帯電話の画面を見せた。そこには、メッセージのやり取りが記されている。


「ここに書いてあるでしょ。愚鈍で体たらくな息子が何もせずに家で籠城をしていて忌々しいから、連れ出してやってくれないかって」


「待て待て待て。連れ出してやっては合っているけれども、どこにも愚鈍で体たらくで忌々しいとは書かれていないぞ!」


 あら、そうだったかしら?と白々しく携帯の画面を見つめながら、水瀬は眉毛を上げた。なんて奴だ、散々我が実家に泊まっておいて、その家の家長たちから生まれた長男を、本人を目の前にしてこうもあっさりと地の底へと落とすとは。


「だいいち、それ誰だよ?」


「あなた阿呆ですか。ここに民子って書いてあるでしょ。そしてこの下には弥生って」


「そんなバカな……母と妹と同じ名前の人間がこの世にいるなんて」


「やっぱり阿呆でしたね。これは飛鳥の母親と、妹と私とのやりとりよ」


 俺は開いた口が塞がらなかった。いつの間にかグループになって、メッセージのやり取りを楽しそうにしている。恐るべし女子パワーである。


 関西の女は恐ろしいというのは、まことしやかに囁かれている噂であったが、事実であったことがたった今ここで証明された。


「ちなみに、兄が飛鳥、妹が弥生。これで弟が生まれたら縄文なわふみにする予定だったそうよ」


「生まれなくて良かった、縄文よ!」


 俺はこの家に生まれてこなかった弟候補の魂魄に、盛大に祝福の拍手を送りたい気持ちになった。そんなわけで、訳の分からない我が一族女子たちとの会話によって、水瀬は古都に召喚された挙句、またもや俺の家に居候のごとき勢いで居座る様子だった。


 その証拠に、スーツケースごと俺の部屋に来ている。それに対して俺は防御魔法の呪文が唱えられるわけでもなく、もし使えるとしたら〈ホイミ〉しかなかったが、それでもおそらく自分の受けたダメージは回復しないとみえた。

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