第32話

 またもや行基さんの像の前でおとこの誓いを立てていた俺の肩を、むんずと掴んだものすごい握力は、もはや妖怪の類としか思えない。すでにその握力に馴染みつつある自分の順応力に感嘆しながら、水瀬と歩き始めた。


「……河童ちゃん、やるじゃない」


 道のあちこちに置かれた燈篭を眺めた水瀬が、はじめにそう呟いた。大分に上から目線の感想なのだが、水瀬の感想は、ひとまずその辺の草むらに放り投げておいておいても、とにかく言えるのは見事の一言であった。


 毎年行われる燈花会とうかえは、古都の町がろうそくの明かりによって照らされるという何とも幻想的な催し物で、毎年家族で見に来るのが恒例であった。


 そう言えば初めて家族以外の人間と来たなと思うと、どうやらよっぽどに家族思いの人物か、友達が一人もいない人物のどちらかと思われるかもしれないのだが、言わずもがな後者である。いや誤解だ、友達が俺に寄ってこないだけだ。


「ねえ、飛鳥。あっちもあるの? 行きたいわ」


「ここだけじゃなくて、めちゃくちゃ広範囲でやってるから。いっぱい歩くことになるぞ?」


「大丈夫よ。疲れたらアイスを買って、おぶってくれると約束したじゃない」


「してないぞ! どっから沸き上がった妄想だ!」


 それにふふふと笑いながら、水瀬は俺の腕を引っ張って、珍しく正しい方向へと進んで行った。いや、この場合、正しいも何も、蝋燭が灯っている方に行くのだから迷う方が難しいのだが。


 灯された明りを楽しみに、多くの観光客や地元の人間たちが行き来する。もちろん、野生の鹿たちも美脚を披露しながら、器用に蝋燭を倒さないようにしている。それがまた何とも幻想的で、これこそ幽世かくりよかと思うばかりの光景であった。


「あ、ここ。私と飛鳥が初めて会った場所ね」


「今現在、浮見堂に向かって歩いていたわけじゃなかったのか!」


 恐ろしいことに、水瀬は方向を定めずに歩いていたようで、後からそれを知って寒気が背中を伝った。無事にライトアップがされているところにたどり着けたのは、今世紀最大級の奇跡やもしれぬ。それか、ミステリーのどっちかでしかない。


 衛星の力をもってしても道を迷う、とんでもない機能が付いた水瀬という生き物が、無事に浮見堂に来ることができたのは、国の祝日にしても良いくらいの記念日である。


「河童ちゃん、いるのかしら?」


「あそこで座ってやがるぞ。のんきなもんだ」


 そして、その次の瞬間、俺は開いた口が塞がらなくなった。なんとそこには、女子の河童がいた。河童たちは何を話すでもなく、二人で並んで寄り添いながら、蝋燭の揺れる灯りを見つめていたのであった。


「……飛鳥? どうしたの?」


「いや……河童に、彼女が……」


 それに水瀬は驚いた顔をした後に、俺の腕に自身の腕を絡めてきながらくっついてきた。


「羨ましいわけ? じゃあ、飛鳥の彼女になってあげるわ、私が」


 ロマンティックな光景と河童の彼女の衝撃に、思わずお願いしますと言いかけた我が純情な気持ちは、次の水瀬の一言で粉々に打ち砕かれた。


「蝋燭が消えるまでのあと一時間だけ限定ね」


「そんな世知辛い彼女なんていらないからな!」


 思わず俺はムッとして水瀬を見下ろした。それに水瀬はまんざらでもないように笑って首を預けてくる。俺は仕方なしに、河童カップルと美しい夏の燈火の炎を見つめながら、こんな夏も嫌ではないと思うのであった。

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