河童憎けりゃ、草餅十個
第1話
幼い時より気がつけば、妖怪幽霊その他の人ならざる者たちを目に宿してきたがために、自分では神か安倍晴明の生まれ変わりか、高貴なる魂を持つ徳の高い人物であると自負をしているのにも関わらず、他人からの評価は一貫して『変人』一択である。
生まれたてほやほやは、そのあまりの可愛らしさに町中を騒がせて抱っこを求める人々で隣町まで行列ができたという伝説があるようだが、その可愛らしさはどうやら成長過程で変人扱いされるうちに、どこぞの夏になると涼を求めて鹿が詰まっている興福寺前の側溝にでも捨ててきてしまったらしい。
どぶ川に捨てなかっただけましである。
そんな残念……いや、人に理解されぬ悲しき人生を送ってきて十数年。
人よりも鹿が多く住むと噂されるこの県を出てやろうと意気込んで勉強した努力も虚しく、県内の大学へと進学が決まったことにおいては、もはやこの県と鹿が俺を愛し求めてやまず、俺が外へ出すことを嫌がった何かの呪いがかけられていると思うようにした。
そんなわけで夏になると盆地特有の猛暑にバッタバッタと観光客が倒れるこの界隈において、俺が夏も近い連休中にできる事と言えば何一つない。
家にいると鹿ではなく鬼の角をいつでも生やした般若か鬼か分からぬ母親に、暑苦しいから出ていけと追い出されるのを予測して、早起きしてぷうらぷうらと出かけた先は、浮見堂であった。
狂ったように鳴きわめくセミたちの魂の叫びを聞きながら、涼し気なのは見た目だけの、くそ暑いだけの池をぼんやりと眺めるのが週末の日課になっていたのだが、決して俺が暇なわけではないので勘違いしないようにここに注釈を入れておく。
鬼ばばに家を追い出されてしまうからであって、この高貴な魂を持つ息子を追い出そうとする親の顔が見て見たいと思うのだが、毎日見ているのでその造形を思い出すことすら逆に不快であったが、一つ言えるのは般若とうり二つであるということだ。
橋にいてもただただ灼熱の太陽が照り付けてきて暑いだけなので、観光客も少ないのを見て浮見堂の中へと入ると、茅葺の屋根によって作り出された日陰が涼しく感じられた。
汗をぬぐい、持って来ていた冷たい水を一気に飲み干すと、まるで生き返ったような気持になるのだが、そもそも死んでさえいないのに、何が生き返っただと悪態しか出て来ないのはこのうだる暑さのせいでしかない。
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