即興詩
ウゾガムゾル
20200907
即興で詩を書くというのは不毛なことだ。伝えたいことも何もないまま、考えなしに物を書き始める行為は、まったくもって意味をなさない。そのようにして生まれた文章は、私を知らない他人から見れば、それこそ、なんの価値もないだろう。
しかし、この世に価値を増やせなかったとして、それは悪いことなのだろうか。現代、この世界にある価値の総量は、増えすぎた。その価値が適切に分配されていないという問題を無視すれば、わざわざ有象無象の一員である私が価値を増やす必要もないのである。
ならば、そんな無価値を、この世界に増やし、記録媒体の保存容量を無駄に消費することにしようじゃないか。
即興で詩を書くというこころみは、そういう考えの中で生まれた。即興といっても、たんに頭のなかで生まれた言葉を延々と書き連ねるだけでは、ただのワードサラダに成り下がってしまう。違う。私が書きたいのは、ある程度意味の通った文章なのだ。
意味の通った文章を書くには、前後の文脈を考えながら書く必要がある。執筆中も、たまには前に戻って、書き直さなければならない。したがって私の書きたい即興詩は、厳密には即興ではない。即興というのは、一度やってしまったことを、もう取り戻せないから即興なのだ。それとも、この認識は間違っているのだろうか。よく考えたら、このような「即興」の認識は、音楽における即興演奏のそれと同じであることに今気づいた。音楽では、思いついたものを演奏し、一度演奏したら、二度とやり直せない。それと同じ感覚で語っていた。もしかしたら、文を書くという話においては、話が違うかもしれない。
ここまでの話は、冗長な前書きにすぎない。この下に、即興で詩を書いていきたいと思う。のだが、このあたりで、書くことがなくなってしまった。第一、私はそんなにすぐに詩など思いつかない。それこそ何を伝えたいかを考えなければいけないのだ。つまり、このエッセイ自体が即興でしたよ、という、あまりにお粗末なオチである。
マル。
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