空色

生ウイロー

空色

 入学式の日、彼女は自分の斜め前に座っていた。本を読みながら、時折あたりを伺うように視線をあげる。何かを探す。また本に視線を落とす。前のページへ戻る。その動作を延々と繰り返している。そのイメージは、まさしくミーアキャット。本のページは、進むどころか逆行している。

 入学式が始まっても、やはりミーアキャットさんは緊張しきっていた。現実で右手と右足を一緒に踏み出す人を見たのは、初めてだったと思う。

式は進み、数十分後。

「新入生代表挨拶、村凪里咲さん」

「ひゃい!」

ミーアキャットさん、改め村凪さんの緊張の理由はこれだったのかと、一人で得心する。彼女は立ち上がり、壇上へ向け一歩を踏み出す。椅子の下に置かれた、原稿を忘れたまま。咄嗟に身をかがめたまま原稿を取り、彼女に追いつく。背中を指で叩くと、彼女の肩が跳ねる。

「これ。忘れてる」

みるみるうちに、彼女の顔が紅潮する。そして慌てて90度に頭を下げ、椅子の背もたれに頭をぶつける。見ていて本当に心配になる。

「深呼吸して、頑張れ」

近くの人に聞こえないように、小さな声で声をかける。

「ありがとう、ございます?」

何故か疑問形でお礼を告げる彼女の顔に咲いた満面の笑み。それは心の準備もなしに見せられるにはあまりの破壊力すぎて。彼女の笑顔に心を奪われた自分が、肝心の挨拶の内容なんて覚えていなかったのも、無理はない。


 教室でのHRを終え、外に出る。

「あの」

背中を指で叩かれる感覚とともに、声が聞こえる。振り返ると、件の彼女がそこに立っていた。

「さっきはありがとうございました」

「別に、大したことじゃない。原稿を渡しただけだし」

「でも私、原稿がなかったら何もできませんでした」

努めて冷静に並べた言葉を、晴れ晴れとした笑顔が打ち返す。

「これからよろしくお願いします」

うなずいて、沸き立ちそうな表情を隠すべく背を向ける。

目の前に広がる桜並木が、空へと枝を伸ばしている。4月、霞んでいるはずの空が、やけに鮮やかに見えた。



 強烈な日差しが木の葉の輪郭を際立たせる屋外とは対象的に、最早寒いと言えるほどエアコンを効かせた図書室。どこか背徳的なこの環境で、黙々と返却された本を分類する。その横で、村凪さんは静かに本のページをめくっている。この静かな時間が、一週間の中で一番好きな時間だ。

 彼女は、最初こそ緊張し続けていたものの、2ヶ月を経て完全にクラスに馴染んでいた。クラスのトップカーストに君臨しているなんてこともなく、かといってずっと自席で本を読んでいるような人でもない。主席入学者による新入生挨拶を務めたという事実から伺えるその優秀さで仲間の尊敬を集め、それでいてたまにドジをしては自然と人を笑顔にする。それを「あざとい」と言う人は、クラスには皆無だった。要するに、彼女は純粋な「天然」だった。

 そんな彼女と、たまたま同じ図書委員会に所属することになった。週1日、最終下校時刻までの2時間を、図書室で彼女と過ごす。

 図書委員としての主な仕事は、司書当番と呼ばれる仕事だ。貸し出し返却の処理と、溜まっている返却処理済みの本を配架することの2つ。二人で話しあった結果、自分は前者を、彼女はそれ以外を担当することになった。が、仕事量は少なく、暇な時間は多い。結局、だいたい彼女は鼻唄を歌いながら本を読んでいる。

 視線に気づかれてしまったのか、ふと彼女が顔を上げる。

「どうかした?」

「何でもない」

そういえば、最初は敬語だった話し方も、今は普通になっている。距離が縮まった気がして少し嬉しくなる。

「やっぱり何かあったでしょ」

「だからなんでもないって」

「ウソだ。顔が笑ってる!」

「笑ってる人間は全員嘘つきなのか!?」

ハイテンションで話す彼女は、本を読んでいるときの真面目な表情とは違い、疑いの目を向けてきたかと思えば明るい笑みを浮かべる。そのコロコロ変わる表情は、いつ見ても飽きることがない。

「ほら、返却BOXの本の処理終わらせて。配架したいから」

「むー……はぐらかされた気分」

(はぐらかしたんですけどね)

心中で苦笑し、モニターへと視線を移す。そこには、画面に羅列されたエラーの文字。

「……あの」

「なに?」

「村凪さん、それ全部貸し出し処理になってる」

「……それ早く言ってよー!」


 仕事を終えて、校舎外へ出る。同じ駅を使うということを知ってからは、一緒に駅まで向かっている。主な話題は、彼女がその週に読んだ本の話。彼女の周りにはそういった類の話ができる人はいないらしく、嬉々として話をしてくれる。

「早く帰ろー!」

夕方になったとはいえ、未だに熱量を持った日差しが降り注ぐ。そんな日差しに負けないくらいの明るい声に誘われて、しかし敢えて、ゆっくり一歩を踏み出した。



 「歩道が黄色い!」

 歓声を上げる彼女の横を、歩調を合わせて進む。秋も深まる10月、少人数グループ行動の練習と銘打った遠足の日に、僕らは横浜に来ていた。

 そして、迷子になっていた。


「ごめんね。私が歩くの遅いばっかりに……」

自分たちの置かれている状況を思い出したのか、恐縮する村凪さん。ただでさえ小柄な彼女が、より小さく見える。

「歩くのが遅かったのは俺もだから。村凪さんだけのせいじゃない」

「でも、」

「あ、メッセージ来てる。待ち合わせ場所はJRの駅だって。そこの案内板で行き方調べてもいい?」

「……分かった」

自分も歩くのが遅かったから、というのは半分嘘で、半分本当。他のメンバーは、元々仲のいい4人の世界に入り込んでいて、メンバーが二人欠けているのにも気づかない。人波に呑まれ、次の瞬間には彼らの影も形もなかった。8割は彼らのせいと言っても過言ではない。

「私、通学で通る横浜駅でも普段と違う道に入ると全然わからなくなっちゃうし、地図を読むのも苦手なんだよね。一緒にいていてくれて本当に良かった」

「その言葉はメンバーのもとに辿り着いてからにしような」

完璧に見えてどこか抜けている、そんな彼女らしい性格に苦笑しつつ、案内板に向き直る。彼女を一人残さないために歩調を緩めたのは、間違いではなかったらしい。

「中華街抜けていけばいいかな。多分それが一番速い」

「お任せします!」

「……そんな満面の笑みで言うべき言葉じゃないからね?」

 

 落ち葉で黄金色に染められた山下公園の歩道。彼女の隣を黙って歩く。

「あのさ、」

「なに?」

「写真、撮っていい?」

突然の申し出に、意味を測り損ねる。

「それはどういう……?」

「この銀杏並木の」

ああ、そうですよね。別に二人でなんて思ってません。

「いいよ、待ってるから」

彼女が写真を撮る間、自分もスマホを取り出して、黄金色の道をカメラに収める。彼女をフレームに入れたら、どんな写真になるだろうか。そんな心を読むように、後ろから声を掛けられる。

「写真、お撮りしましょうか?」

観光客らしき人が、笑顔を向けてくる。ただのクラスメイトでツーショットを撮ることはないだろう、ここは遠慮して……

「お願いしていいですか?」

「ゑ?」


「写真に撮っておけば、迷ったのもいい思い出になると思わない?」

面食らって、その真意を尋ねた返答がこれだった。彼女にとって、異性とのツーショットというのはさほど抵抗がないものらしい。男として見られていないのか、それとも……

「あ、写真送るね」

そういわれて、スマホを取り出す。

「……まずい」

「どうかしたの?」

「早くしろって催促のメッセージが」

顔を見合わせる。

「走ろうか」

「だね!」

 残光が失われ、夜の闇が空と港町を覆う頃。二人の学生が、ガス灯の光の揺らめく中を駆けていく。

 


 テストも終わり、明日から冬休みという一日に、僕と村凪さんは年内最後の司書当番を終えた。春には見事な並木を作り出した桜の木々もとっくに葉を落とし、澄んだ青空が枝の間から覗いている。その光景は、寒々しいとしか言いようがない。ただ、自分の体を震わせる理由は、寒さだけではない。

 今日、村凪さんに告白する。


 テスト期間で司書当番が休みだった二週間、村凪さんと会話する機会はついになかった。それでいて、テスト勉強の合間のふとした瞬間に脳裏に浮かぶのは彼女の表情だった。微笑みから、校外学習のときの申し訳なさそうな表情まで、たくさんの「村凪さん」が自分の内面に入り込んでいた事に驚いた。


「ごめん、待った?」

職員室に鍵を返しに行っていた彼女が戻ってくる。

「大して待ってない」

「良かった。帰ろ!」

小柄な彼女のどこに、夕方までテンションを保つ活力バイタリティーがあるのか不思議に思いつつ、歩を並べる。

「そうそう、こないだ読んだ本なんだけどね……?」

普段ならすんなり頭に入り込んでくる彼女の話も、どこか頭を通り抜けていくような気がする。気づいたら、徒歩10分は掛かるはずの駅前広場まで辿り着いていた。

「元気ないけど、大丈夫?」

下から覗き込んでくる村凪さん。ここで何もないと答えてしまえば、彼女はおそらく額面通り受け取って、彼女の改札へと向かうだろう。

「村凪里咲さん」

顔を捉えられない。この時を想像してテスト期間中も告白の言葉を考えていたのに、そんなものは全部彼方へと吹っ飛んでいた。

「あなたと一緒に、歩いていきたい」

こんな時に言葉が出てこない、自分のヘタレ加減を呪う。

「こうやって一緒に帰るってこと?年明けも普通に続けるつもりだよ?」

こういうところが、彼女を生粋の「天然」たらしめる所以なのだろう。

「そうじゃなくて、」

言葉を一旦切る。この人相手には、真っ直ぐ言わなきゃ駄目だ。

「僕と、付き合ってくれませんか」

何かを孕んだ緊張が、その場を支配する。

「……私は、本では結構恋愛物も読んできたつもり。だけど、恋ってなんなのか、よく分からないんだよね」

つまり、どっちだ。

「だから、      」























 すっかり光を失った空に、一つ、また一つと輝点が姿を表す。それを眺める自分の傍らに、人は無く。

 空は、必ずしも人に寄り添わない。

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空色 生ウイロー @DTZ-Y

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