【短編集】ワン・アワー・アゴー

テルミ

それでも歩みを止めない俺達は、空を見上げた


 絶望は希望で中和できるかと言われると、そんなことはないらしい。中和されることはなく、そのどちらもが混在している、いわゆるカオス的な状態がそこには広がるのだ。俺はどうやら不名誉ながらその証人のひとりとなってしまったのだ。

 いつもは座れるはずの電車の中、大勢に囲まれながら自分の感情と孤独に戦い続けているのだ。

 そんな俺のことなど気にもかけないような調子で、ポーンという軽快な音が響いた。

 

 ――まもなく 四ツ小屋、四ツ小屋です。お降り口は右側です。

 お降りの際は、運転手のすぐ後ろの開くボタンを押してお降りください。それ以外のドアは開きませんのでご注意ください。……お降りのお客様は、先頭車両の一番前のドアまでお進みください。

 

 少しは人も減って座れるだろうなんて思っていたけれどそんなことはなくて、結局どちらかと言えば暑いこんな夜に人々と肩を寄せ合うことになり、心の中で小さく舌打ちをした。

 

「この電車で座れないとか経験したことあるか?」

「ないない。生まれて育って21年、どうしようもないくらいの過疎地域だと思い知らされてきたけど、まさか今日になってこんな思いするとは、思ってなかった」

「俺22年」

「今年こそは卒業しろよ? お前、もう後ないんだから」

「わーってるよ。」

 

 気晴らしにSNSを開いてみても話題はソレ一色で、今日はどこに逃げようとも安息の地なんて見つかりもしないみたいだ。まるで月だな。なんて思わされる。

 

 ――終戦記念セレモニーイベント。日本時間9月9日午後9時、国際宇宙ステーション爆破まであと1時間弱。

 

 偉い人たちは何を考えているんだと、その記事を初めて見た時の感情を思い出す。数か月前に湧いた感情がまだ鮮烈に残っているのは、今もなお同じ感情を抱いているからなのかもしれない。

 重い酒を飲んだわけでもないけれど、胃と喉に焼けつくような何かがねっとりとしがみついている。

 また軽快な音を聞いた俺と親友は、鉛のようなそれを引き釣りながら前方車両へと足を進めていく。

 

 ――まもなく終点、秋田、秋田です。 お忘れ物ございませんよう、ご支度してお待ちください。

 今日もJR東日本をご利用くださいまして、ありがとうございました。

 

 気分は重い、身体も重い。けれどふたりがいつもより軽快な足取りで進めたのはやはり、高揚していたからだろう。対して近くもない最寄駅から大学までの道のりも今日は苦しいなんて感情ひとつ零すことなく進めている。

 

「うっすー」

「おつかれっすー…… って、もう出来上がってるんすか。構内酒類持ち込み禁止だったと記憶してるんですけど」

「ここは治外法権なのです」

「はいはい、さいですか」

 

 屋上天文台に顔を出すと、すでに顔を赤くしながら楽しそうにケタケタと笑っている先輩の姿があった。赤く見えるのは灯りのせいだと思いたい。

 備え付けのテレビでは国営放送で中継されている式典の様子が映し出されており、各国の首脳が書類に署名している画面を主に、副音声ではこれまでの宇宙開発の歴史が解説されていた。

 

「にしても、マジで爆破するんすね」

「これをはじまりだ! なんていう人もいるけど、どちらかと言えばおわりのはじまりな気がするんだよねー」

「戦争が技術を発展させてきたなんて言うけど、その先がこれなのはちょっと笑えないけど」

「国とか関係なしに仲良く研究できないんかね、この人たちは」

「どこもいつか出し抜こうって思ってたら、そりゃあ手取り合うなんてことできないっすよ。腹の探り合いしかできないですよ」

「血の流れない戦争ってのも、めんどくさいね」

「先輩。戦争自体がめんどくさいものなんです。そういうものなんですよ」

 

 令和という時代を一言で表すのなら、宇宙開発戦争。だったと思う。競争なんて生温い表現では表せられない。戦争だ。

 人は宇宙に進出してもやはりすることは戦争だったのだ。舞台が変わっただけ。滑稽な芝居のようにも思える。これがフィクションであったならば、つまらない映画なんて笑いながら落胤を押せていてだろう。

 血の流れない戦争で流れたのは金と人だった。狂ったように資金を注入し、優秀な技術者は身分も肌の色も関係なく安定した将来を餌に引き込まれていった。

 その技術者たちもまさか、安定した将来の姿がコレなんて想像もつかなかっただろう。

 乱雑に机に置かれた記憶に新しい古い新聞に目を通して、改めて発展の先にあった破滅の皮肉さに心を痛める。

 ――宇宙開発の禁止並びに計画の永久凍結が決定。

 血を流さなくても国は、人は死ぬことを知った。

 未知への探求心は人間だけに授けられた特権であると思う。けれど同時にそれは、誰かを殺す呪いでもあった。

 恋は盲目、まさにそんな感じだ。

 宇宙に心奪われた人間にはもうそれしか見えなくて、やせ細り緩やかな破滅へと足を進めていく国の姿なんて気にも留めない。

 貧富の差はまさに天と地のようで、たくさんの人が誰にも看取られずして亡くなったという事実は記憶に新しい。

 かつての天才が残したこんな言葉がある。

 

 ――第三次世界大戦はどう戦われるか、わたしにはわかりません。 しかし、第四次大戦ならわかります。石と棒を使って戦われることでしょう。

 

 予言とも警句ともいえるその言葉が遠からず当たっているようにも思えるのは多分、気のせいなんかではないだろう。

 

「爆破なんてしなくても、そのまま放置してればいいのにね」

「未練なんて残したらそれこそだめですよ。人はもう宇宙に夢見ることはやめるの」

「だからって宇宙ゴミだらけにして無理やり開発できないようにするのは…… 結構自分勝手よね」

「勝手に地球で戦争してる時から自分勝手なんですよ。俺たち人間は」

 

 自分勝手に始めたソレは、知らない人の自分勝手によって終わりを迎えるのだ。

 その終わりが今日だったのは不幸でもあり、同時に幸運とも思える。

 不幸だと言えるのは、我らが天文学同好会の廃部宣告。幸運だと言えるのは、その瞬間に、しっかりと理解できる年齢で立ち会えたことだ。

 

「……お、そろそろ爆破やるらしいぜ」

 

 他愛のない話をしていると各国の首脳は署名をすでに終え、爆破の瞬間を顔色一つ変えずに見守っている様子が中継されていた。

 部屋から出たころにはもう爆破までのカウントダウンは始まっていて、人類衰退の瞬間を今か今かと待ち構えている彼らからは一歩後ろで観ることにした。

「ごー」

 宇宙ステーションは多分、アレだろう。宵に包まれた空にポツリと浮かぶソレは、見える星としては少し大きいくらいで、肉眼でもしっかりととらえることができた。

「よん」

 嬉々としてカウントする人々とつい、合わせて口ずさんでしまう。人類の歴史を破壊していることに憂う人はここに誰も居ない。どうやら俺も、そのひとりだったらしい。

「さん」

 星と人工物なんてここから見たら大して変わらないのに。

「にー」

 届きもしない星に手を伸ばしてみる。多分人間、それくらいの憧れで十分だったのかもしれない。

「いち」

 

 

 

 またたきは2度、3度あった。

 瞬間、風船が割れるように光が破裂して、散らばったそれぞれは尾を引いて流れ出す。

 乱暴に分解されたパーツは流星にも彗星のようにも見えた。命を燃やして作られたそれが役目を終え、最後の輝きを見せてくれたその姿に俺は、愚かにもたしかに高揚していた。

 あれだけたくさんの部品が高速で散らばるんだ。本当に宇宙開発なんて金輪際できないだろう。

 楽しそうに歓声を上げる彼らを置いて向かう先は、どこでも良かった。

 ただそこにじっとしていられることが俺にはできなくて、遠くに行けたらどこでも良かったのだ。

 あの光景は大学から離れたところからでも、それこそどこにいても目にすることができた。

 夜を美しく縁取るアーチは何を表しているのだろう。幾何学的な動きをしているようにも、意味のない動きをしているようにも見える。まさにカオス。

 けれどどこか印象的で、その光景が彼らの存在の証明をしているようにも思えた。

 どこへ向かうのだろうか。俺も、これからの人類も、あのひとつひとつも。

 俺ひとりが何をしたって方向なんて決められないから、そんなこと考えるだけ無駄なんだろう。

 そんな、『そんなこと』よりも。

 

「今日も空は綺麗だ」

 

 人類衰退の瞬間を、いや。

 ただただ美しいその光景を、今はひとりでだれよりも目に焼き付けていたかった。

 

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