アーコロジック・ヘルマフロディトス

春嵐

01 ENDmarker.

 夢を見た。


 四角く、大きく、広く、外の見える大きな窓のある部屋。そのなかで、抱き合う、私と、誰か。


 その夢ばかりを見て育ったから、いつか、その光景が現実に起こると、本気で思っている。夢の中に出てくる相手の顔。思い出せない。仕事柄画を描くことも多いので、彼の姿だけでも忘れてしまわないように、ときどきデッサンしていた。顔だけがぼやけた、画。


 仕事場兼自宅の、ドアを開ける。


「ん」


 手紙。メールではなく。手紙。


「んう」


 買ってきた抹茶ティーにストローを差し、胸に固定して飲みながら、両手で封を開ける。


 招待状。こんど沿岸にできる、新築の建造物への案内。


光羽ひかわ工業」


 政府系や官公庁の建造物を担当する、官邸お抱えの建築デザイン会社。


「なんで私なんかに」


 私は、地方の、しがない建築デザイナーだった。むかしどこかの、名前も忘れたデザインコンペで小さな賞を取って。それ以降、細々と美術館や都市ビルのデザインをして過ごしている。


 地震や火災に負けない、とにかくどっしりした建物を作るのが得意だった。夢の中で見た、四角く、大きく、広く大きな窓のある建物。それだけを作りまくっている。


 手紙に書いてある電話番号をプッシュして、電話を掛けて。


『はい光羽ひかわ


 若い女性の声。


「あの。舞螺まいらデザインといいます」


 舞螺という名前だから、舞螺デザイン。捻りもなにもない名前。


「そちらから建造物の案内が送られたのですが、送り間違いではないかと思いまして」


『送り間違い。少々お待ちください。お名前をお聞きしても?』


「舞螺です。舞が名字で、螺が名前。舞子の舞に、螺は虫へんに田んぼと糸で、螺です」


『ええと、舞、螺。少々お待ちください』


 暇なので、再び胸にマウントした抹茶ティーを吸う。


『舞螺さん。お待たせしました。たしかにこちらから、送信しています。よければぜひ、ご参加いただければと思います』


「あ、はあ」


『会える日を、たのしみにしております』


 電話を切った。


 直近の予定を確認する。


 何も入っていない。この前の博物館のデザインが好評だったらしく、見積もりの連絡はいくつか来ていた。それも、今から数年先の話になる。まだ予算が通ってすらいない。


「行くか」


 官邸お抱えデザイン屋の建造物なのだから、さぞ奇抜で予算を食い尽くすような建物なのだろう。


 たいして興味もわかなかった。


 私が欲しいのは。四角く、大きく、広く、外の見える大きな窓のある建物だけ。


 後日、車でその建造物のところへ向かった。


 円錐形の建物。


 ガラス張りで、中の様子を見ることはできない。おそらく、ワンウェイミラー。


 入り口が、たくさんあった。


 どこからも入れる仕組みらしいので、とりあえず入ろうとして。


「あっ」


 後ろで声。


 誰かが、転んでいる。


「大丈夫ですか?」


「ごめんなさい。ありがとうございます。私いつもこんな感じで」


 若い女性。声は女性。胸がない。


舞螺まいらさんですか?」


「ええ」


「どうも。お初にお目にかかります。光羽遊納ひかわゆうなといいます」


「あ、電話先の」


「ようこそ。アーコロジックビルへ」


「アーコロジック?」


 彼女。一応、転んだときに対応できるように、少し後ろを歩いた。


「この建物は、循環型都市構造という、都市機構のモデル建造物です」


 彼女。たくさんある入り口の、ひとつに入る。


「うわあ」


 すべての入り口が、すべて同じエントランスに繋がっていた。


 ワンウェイミラー。光が屈折していて、すべての日光がエントランスの中央に集光するように作られている。そしてその光が、全方向に反射して。


「あれは。結晶ですか?」


 中央にある、集めた光を反射しているもの。


「はい。畜光材を塊にして圧縮し、その表面を鏡面コーティングしてあります」


「畜光材」


 ということは。


「照明、いらないんですか?」


「ええ。一応電気も通ってはいますが」


 彼女。何かの端末を取り出して、ボタンを押す。


 光が、消えた。


「うわ。うわうわうわ」


 ワンウェイミラーの屈折がなくなり、もうほとんど、外の景色そのままになった。


「父のデザインです」


「おとうさまの?」


「はい。若くして亡くなった父が、デザインだけ遺したものを、私が作ったんです。ところどころ、父の代では実現不可能な材質とかを使っていて。この畜光結晶も、そのひとつです」


「すごい」


 官邸お抱えの色眼鏡は、いらなかった。


「この階段」


 クリア材質。円錐形をなぞるように、螺旋に引かれている。


「階段の前に立つと、階段が見やすくなる」


 光の屈折と反射を、極限までに考え抜いている。しかもこの階段。


「安物の、大理石、ですか?」


「あっ、惜しいです。ポリウレタンなんです、それ」


「ポリウレタン」


 まさか。


 階段に、足を踏み込んだ。


「うそ」


 柔らかい。そして、暖かい。


「ちょっと、昇っていただけますか?」


「はい」


 普通に、階段を上る。材質のせいなのか、踏み込んだ後の次の足が、とても動かしやすい。これなら、多少膝がわるくても、昇れる。


「すごい。すごいです」


 2階相当の部分に上って、下を見る。


 高い。吹き抜けが、やはり高所の感覚を想起させる。そして、壁と逆側には手すりがない。これは、こわい。


「あの、手すりはこれから付けるのですか?」


「そこから飛び降りてください」


「えっ?」


「大丈夫です。2階相当部分なので。思いっきりどうぞ」


「では、失礼します」


 スカートを押さえて、跳んだ。


 徐々に加速して落下し。


 床。


 ちゃんと足から落ちるように、調整した。


「うわっ」


 沈み。


 込んだ。


「えっうそ」


「はい。床もポリウレタンです」


 さっき歩いたときは、普通だったのに。


「光を屈折させるのと同じで、物体の衝撃も屈折させて逃がすんです」


「すごい。こんなものが」


「政府の企業秘密です」


 彼女。


 こちらに歩み寄ろうとして。


「うわっ」


 転んだ。


「私、よく転ぶので。父が転んでも大丈夫なようにって、考えてくれたんです。父が生きている間に材質はできなかったんですけど」


「こんな材質」


 一般社会の代物ではない。


「母が。まだ生きてるんですけど、防衛省庁の新規素材を横流ししてくれて」


「新規素材」


「フラックジャケット、でしたっけ。なんか兵隊さんの命を守るために開発されたらしくて」


 知らない名前だった。


 それよりも。


「すごいです。こんな建物を」


「どうぞ。お好きにご覧になってください」


 階段を昇って、ひとつひとつ、部屋を見ていった。


 各区画はとても大きく、常に外が見える。全面ガラス張りの広間もあったが、やはり材質はポリウレタン、らしい。


 細かい部分を、ひとつひとつ、見ていって。


 気づいたことがある。


 3階から、エントランスに落下する。


「あっ、うわっ」


 しまった。このままだと、畜光結晶にぶつかる。


「うわあっ」


 畜光結晶。沈み込んだ。


「わたしもよくやります。それ。なんか光のあるところに飛んでしまうんですよね」


 彼女。こちらにゆっくり歩いてくる。


「これ」


「はい。畜光結晶の回りをポリウレタンで覆っています」


「ほとんど透明に見えるのに」


「光を屈折させてあるからですね」


 それよりも。


「あの。間違ってたらすいません」


「はい」


「この建物。人が住むための建物では、ないのですか?」


「あら」


 彼女。


 驚いたような顔。


「そこまでお分かりになるなんて」


「いや、なんか、光の当たり方とか、部屋の間取りとかが、どうしても植物とか、そういうもののためにあるのかなって」


「その通りです。アーコロジックビルなので」


「その、アーコロジックというのは?」


「循環型都市構造といいまして、広義には、巨大なビルひとつで都市機能を循環させてしまおうというものです」


「ビルの中に都市を?」


「はい。ばかですよね?」


「いや、ばかとまでは」


「だって、ビルの中に一生暮らすなんて。いきぐるしくて、やってられないですよ」


 彼女。頬をふくらませて、おこったようなしぐさ。


「父はそれを目指したらしいですけど、私は、そこだけデザインを変更しちゃいました。こちらへ」


 導かれるまま。エントランスの横へ。


「ここ。ドアがあるんです」


 彼女が立つと。


 景色でしかなかったところが、開いた。


「ここだけが、居住スペースです」


「あっ」


 四角く、大きく、広く、外の見える大きな部屋。窓がある、というよりは、部屋一面がワンウェイミラーで囲まれて、窓。


「都市機能、つまり生産、食料、情報だけを循環させる建物です。人の住むところをなくしてしまえば、こんなことも、できるかなって」


「この部屋」


 入った瞬間から。わかった。


 私の探していた。


 夢に出てくる。


 あの部屋。


「勝手に私が付け足したものなので、ごめんなさいっていう意味も込めて、あそこに」


 彼女が指差した先。


「父の写真を飾ってあります。仏壇と十字架は母が勝手に置いていきました」


 とっても小さな、台座ひとつだけの仏壇。なぜか、お線香をあげるところに十字架が派手に刺さっている。


 写真。


 この人が。


 私の。


「そう、ですか」


 涙が出てきた。


「すいません。少しだけ、ここにひとりでいても、いいですか?」


「どうぞ」


 彼女が、出ていく。


 部屋。


 海岸線。やわらかな光。部屋のなかを照らす。


 彼が。


 私の、夢の中に出てきた、人なのだろうか。顔は分からないので、実感は、なかった。それでも、この部屋が、ここが、すべてを物語っている。


「もう、お亡くなりになっていたん、ですね。それに」


 仏壇。


「ご結婚、なさっていたなんて」


 夢が、現実と同じ時間軸とは限らない。


 あの日見た夢の部屋。


 そのなかに、ひとり。


 私だけを残して。


「ずるいなあ」


 泣いていた。かなしさなのか、せつなさなのか、喪失感なのか、自分でも判断がつかない。


 やわらかな光。


 部屋を満たし続けている。

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