第49話 最後の相談
何度目かのコールで、通話がつながる。
「何」
「久しぶり、元気か?」
中根は何かの音楽を聴いていた。有名な曲だ。その音が入り混じって、彼女の声が聞きづらい。
「だから何ってば」
どこか不機嫌そうだった。今彼女に頼り切ることは愚かだ。だからきっかけを探した。
「引っ越しの準備手伝うよ。荷物も多いだろ?」
春休み中には帰ってしまうだろうから、やるならきっとそろそろだとは思っていた。
中根は黙っている。俺はその声を待った。
「……はぁ。まあ他の奴に頼むのもダルいし、文也でいいわ」
「そう言ってくれると嬉しい」
中根に今日の予定はないようで、(俺は聞くまでもないだろう)早速取り掛かることになった。場所を聞くと、バイト先から大して遠くない所に住んでいるようだ。段ボールは届いているから、後は梱包してまとめるだけらしい。
「今から向かう」
「わかった」
会話が終わり通話が切れる。俺は鞄の中にいくつかのツールをしまい、シャツとジーンズを身にまといコートを羽織って家を出た。
電車に乗って駅を移動すると、改札の前に中根の姿があった。いつもとは違い、キャップを深被りしてマスクを着けていた。しかし、どこか違和感があるな。
「迎えに来てくれたのか」
「迷って時間喰うのもバカらしいでしょ」
合理的な意見だった。
しばらく歩いてから彼女の家に着いた。オートロック付きの新築のアパートだ。かなりいいところに住んでいたんだな。
「適当にやって。別に壊さなければ何でもいい」
そう言って段ボールを放る。俺はそれを組み立てて、まずは雑貨類を片付ける。そしてそれが置いてあった棚を分解して、板を持ってきたビニール紐で結んだ。
女の部屋にしては物が少ない印象だが、その割には少し散らかっているようだ。(俺が女の部屋を知っている訳ではないが、何となくそんな気がした)
お互いに黙って、ただ作業に没頭していた。そんな沈黙を中根が破る。
「夢子はどう?」
あの夜の後、俺は中根とトラには付き合うことになったと報告している。
「あまり変わらない。朝と夕方、バイトのない時は送り迎えをするようになったくらいだ」
後は少し家のモノが増えた。
「そう。楽しそうでよかったんじゃないの」
「まあな。……これ、ここにいる間まだ使うのか?」
そう言って用途のわからないアイテムの行方を訊く。平皿と独特の形をした針金にろうそく、それとも石鹸だろうか。かなり甘い香りがする。
「頂戴、そこの鏡片付けたら次は服畳むの手伝って」
「了解」
そう言ってその一式を中根に手渡した。
「……なによ」
心なしか……、いやかなり。
「雰囲気違うな」
キャップと帽子を外していた。前までの流行りのアイドルのようなヘアスタイルから一変、バッサリとカットされたセミショートの髪型で、顔にはあまり大きな変化はないがかなり大人びた印象だった。
特徴は目だ。化粧でカモフラージュされていたか弱いイメージはない。いつもより力強いその瞳に彼女の苦労が見え隠れするようで、俺はそれが美しく見えた。
「なんであんたと会うのに化粧しなきゃいけないわけ?」
どちらかと言えばそこではないし、別にそういう意味で言ったわけではないんだが。なんなら俺だっていつもスッピンだ。
「そんなことない」
言って衣服を畳む。引き出しを開けると下着がたくさん入っていた。思わず閉じてしまったが、これを俺がいじるのはどうなんだろうか。何か別の物を。
「気にしなくていいから」
そういう事らしい。俺はビビりながらも再び引き出しを開けて、それを丁寧に箱に移した。
……俺の知ってるサイズじゃないですね、これは。
程なくして作業は終わった。テーブルの前に座ると、中根はお茶を出してくれた。俺は礼を言って、それに口をつける。
「そんで?何か聞きたいことでもあんの?」
俺の斜め向かいに座って肘をついた。どうやら何でもお見通しのようだ。
「あぁ、母親と仲直りする時どうしたのかなって」
事の経緯を話す。コップの中身は半分程。
「そういう事ね」
一瞬、窓の外を見る。
「……まあ、私がお母さんより大人になっただけ」
肩をすくめて笑う。
「シンプルでいい答えだな」
わかりやすくて、中根らしい。
「お母さんだって女なんだしね。恋もするし、頭にくることだってあるでしょ。だから私が聞いてあげる事にしたの。それだけ」
あまりにも大人な意見だ。
「折れた、訳ではないよな」
彼女は首を横に振った。
「言いたいことは全部言ってる。ただ、分かってもらおうとするんじゃなくて、お母さんの事を分かろうとしてるの」
なるほど。そう思って頭の中に中根の言葉を叩き込んだ。反芻して、どう役立てるべきかと考えていると。
「ていうか、それあんたがいっつもやってること真似しただけ。気づいてないの?」
果たして俺はそんなにいい奴だっただろうか。
「知らないことでもなんとか知ろうとして、そのために色々勉強してたんでしょ」
言われてみればそうだ。
「確かに」
いつだってそうだ。俺は傍にある重要な事に気が付かない。
「だから夢子に言ってあげて。あんたのママだって、甘えたいときもあるんだって」
その笑顔は優しい。
「わかった。また助けられたな」
頭を下げると、中根は「いいって」と言った。
彼女はスマホを無線のスピーカーに繋ぐと、世界で最も偉大なロックバンドの曲を流した。意外な趣味だと思ったが、今の中根の容姿と雰囲気を思って、そんな考えはすぐに消え失せた。
ぼーっと聞いていると、ふと中根が笑いを吹き出した。
「でもさ、普通フった相手に訊いてくる?おまけに家にまで来るなんてありえないんだけど」
不機嫌に聞こえた理由はこれか。
そんな記憶はない。なんて事を俺は口が裂けても言わない。直接的な言葉はなかったが、俺は彼女の気持ちを知っていたはずだから。
「でもお前くらいしか頼れる奴がいなくてさ」
トラは男だしな。
「まぁ、夢子からもちらっと訊かれてた事だし、別にいいけどね」
そういうと中根はテーブルにつく肘を変えて、じっと俺の顔を見た。
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