第25話 小悪魔

 席についてビールを二杯と適当なつまみを頼み、「はい、よろこんでー!」とやけくそ気味に返事をするバイトの彼に一礼する。おしぼりで手を拭いているとすぐにビールが届いたから、形だけの乾杯をしてジョッキを持ち上げた。キンキンに冷えている。




 年齢確認がなかった。まあ中根はそれを知っていてこの店を選んだのだろう。




 割箸の袋を折り曲げて小さくまとめていると、中根がじっと俺を見ていることに気が付いた。




 「どうした」




 言ってビールに口をつける。




 「サークルやめてきた」




 「あぁ。そういう」




 理由は訊かなかった。そんなことをしなくても大体分かる。それを察したのか、彼女はジョッキを空にしてお代わりを頼むと話を始めた。




 「なんでこう、終わったことにガタガタ口突っ込んでくるわけ?紗彩が誰と付き合ってたかなんて関係なくない?」




 またその話か。




 「訊かれて困る事でも?」




 「そうじゃなくてさ、詮索されるのが嫌なわけ。あんたはその辺わかってるでしょ」




 もちろん。彼女のこの性格は高校時代から変わらない。だから俺は中根の事はある程度分かっているつもりだ。




 俺が彼女の性格を知ったのは偶然だった。




 バイトを始めてまだ間もない頃、いつも配達用の原付を洗車しているあの路地で、中根は電話で誰かと話をしていた。俺の知らない方言で、かなりの訛りだった。その上内容は喧嘩だったようで、中根は結構強い言葉を使っていたのを覚えている。




 いつも華やかな彼女のそんな態度に興味が沸いたが、しかし向こうは訊かれて困るような話だとも思ったから俺は何も言わずに洗車を始めた。




 どうやら、それが逆に気に食わなかったらしい。




 俺が問いただせば何か言い訳もできたが、その機会すら与えないとはどういうことだ。という彼女のワールドイズマイン的なイズムを展開された挙句、「誰かにバラしたら殺す」とまで言われてしまった。




 それ以来、中根は悪意の捌け口として俺を利用するようになったのだ。俺の心遣いはどこかズレているかもしれないと考えさせられる事件だった。




 「つーか紗彩の過去なんてどうでもよくない?知ってどうするわけ?」




 別にどうするわけでもない。男は基本的に、ただ相手のことを知って安心したいだけだと俺は思う。好きなモノに知らない側面があれば探ってしまうのと同じことだ。




 「まあ恋はエゴとエゴのシーソーゲームだから」




 意味はよくわからないが、とても便利なフレーズである。




 「紗彩は別にエゴなんて言ってないから」




 それは俺で均等を取ってるだけなんじゃないですかね。




 「……あのさ、そうやって自分を隠すから相手も心配するんじゃないの?もし将来付き合った彼氏と結婚することになったとして、墓場まで秘密を隠し通せるならいいと思うけど、たぶん無理だぞ」




 「うっさいな……」




 言葉にいつもの覇気がなかった。ちょっとキツイ言い方をしたかもしれない。




 「サークルやめたんだろ?なら別のところ入りなおして、次は最初から好きにやってみてもいいかもな」




 「うん」




 新しいジョッキが来た。中根はそれを両手で持ち上げてチビっと口をつけた。




 「トラのサークル、よかったら入ってみないか?今度バーベキューやるから、その時紹介するよ」




 俯いてしまった。こんな姿の中根はかなりレアだ。今後一生見ることが出来ないかもしれない。




 お通しのザーサイをつまんでいると、「遅いよ」とつぶやいたのが聞こえた。訊き返すような真似はしない。




 彼女は顔をあげると、俺を見据えて。




 「そうする。つーか文也がバーベキューとか死ぬほど似合わなくてウケる」




 「やっぱそうか?俺もずっとそう思ってた」




 そういって、笑いあった。




 その後、しばらくはサークル活動の内容について説明をした。真面目に聞いているところを見ると、彼女なりに変化を求めているのかもしれないと思った。




 一通りの説明を終えて少しの沈黙が訪れた。店内BGMは、今年のヒットソングメドレーだ




 「……妹、いたんだ」




 突然だった。中根が俺のことを訊いてくるは珍しい。




 「あぁ。義理だけどな」




 「義理?」




 夢子のことを話した。こうして他人に彼女のことを話すのは、トラと竹藤先生以来の事だ。




 「……まあ、そんな感じだな」




 ビールに口を付ける。既にぬるくなっていた。




 「やっぱ、エッチな事とかするわけ?」




 「やっぱってなんだよ」




 まるで当たり前みたいに言うな。




 「だってそれって言ってみれば他人じゃん。それとも文也って童貞?」




 ……。




 「へえ、童貞なんだ。ふぅん」




 悪い顔をしている。中根は上目遣いで、どこか艶めかしい飲み方でビールを口にした。これは明らかにわざとだ。




 未経験が故の間が悔しい。百戦錬磨の中根はその隙を見逃さなかった。仕方がない、諦めよう。




 「お恥ずかしながら」




 自分では分かっていて納得しているものなのだが(まあ納得も何もないが)、どうして童貞というものは人に訊かれるとこうも恥ずかしい物なんだろうか。




 「やり方がわからないからやらないわけ?」




 いや、それとは違うな。




 「妹のことは好きだけど、だからと言ってそれをいきなり恋愛感情に結び付けられるかというと違うと言いますか」




 言いながら恋愛感情とそれはまた別問題であることを自覚した。当然中根も気が付いている。だから呆れたようにため息をついて。




 「ヘタレてんなぁ」




 やめて下さい……。




 「前彼女いたじゃん。あん時は?」




 俺はその話をしたことがあっただろうか。記憶にない。




 「あれは、たまに一緒に帰ったりしてただけでそういうことはなかったです」




 俺は頭の後ろを掻いて誤魔化した。




 「そう。まあいいんじゃない?文也ってなんか隙のない奴だと思ってたから、ちょっとかわいい」




 何も言えなかった。それに、自分より一回り以上体がでかい相手にかわいいと言えるのはすごいと思う。俺は身長が二メートル以上あるゴリゴリの海外プロレスラーにかわいいなどとは口が裂けても言えないだろうからな。




 「そのうち紗彩が教えてあげるよ。色々ね」




 その笑顔は、まるで見るもの全てを魅了してしまいそうな悪魔じみたものだった。




 その後、テーブルに乗っている皿をきれいにして、俺たちは店を出た。中根はここまで徒歩できているらしいから、途中まで見送ることにした。




 別れて物思いにふける。俺はきっと、この先貞操の話でいじられ続けるのだろう。早いところ何とかしたいが、いい解決策はないだろうか。




 などと、世界で一番下らないことを思う。答えはわからない。分かったら苦労しないしな。




 途中コンビニでアイスを買って家へ戻った。ウキウキでチョコレート味のアイスを口に運ぶ夢子を見ながら、俺は恋愛とはなんなのかを考えていた。

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