第15話 禁忌

 目が覚めると、そこにお兄ちゃんはいなかった。背伸びをして、毛布に顔をうずめる。いい匂いがした。




 寝ぼけながら歯を磨いて顔を洗う。リビングからバターの香りが漂ってきた。ご飯を用意してくれているのだろう。あれで器用貧乏なところがあるから、意外となんでもこなしてくれる。もちろん、私の方がおいしく作れるけど。




 頭の中で挨拶をしながら食卓に着く。ベーコンエッグの一つをトーストの上に乗せて小さく噛みながら食べた。昔見た大作アニメの中にそんな食事シーンがあったのを覚えている。今目が開かないのは、そのせいなのだろう。




 段々と覚醒してきて、気が付いたらいつものようにスマホをいじっている私がいる。習慣というのは恐ろしい。もはやこの小さい箱に、私は支配されているのだろう。




 行先のホームページをお兄ちゃんに見せながら、頭の中でどこへ行こうかを考えていた。実は見せているだけで、本当に行くかどうかは自分でもわかっていない。




 一通りのプランを決めると、私はお兄ちゃんに皿洗いを任せて自分はメイクを済ませることにした。とはいえ、私の場合は少し目の形を整えて、肌に薄くファンデーションを塗るくらいだ。しかし、今日はリップも使ってみることにした。動画サイトでメイク動画を見ながら、薄くきれいに線を引いた。少しは大人に見えるだろうか。




 髪型はなるべく、昨日の帰りに真琴がやってくれたものに近づけてみる。後ろをチェックすると、ラッキーなことにうまいことまとまっていた。




 別に、男の為にやっているわけではない。と言い張るには多少の無理があるが、メイクは自分の為にやっている部分が大きいのもまた事実だ。但し、だからと言って相手から何の反応もないのはそれはそれで悲しい。矛盾しているのはわかっている。




 他の人のことは知らないけど、私は一言言ってもらえるだけでうれしい。所詮その程度だ。言葉なんてタダなんだから、別にくれてもいいと思う。




 ちなみにデート代を請求するわけではないが、今の私にお金がない。図らずともお兄ちゃんにたかる形となってしまうけど、まあそこは妹という事で。




 気が付くと随分と時間が経っていた。さすがに待たせすぎたかもしれない。




 ブラウスとスカートを着る。こうしてみると少し狙いすぎなような気もするが、まあ今更気にしたところで仕方がない。




 最後に一度姿見で服の乱れをチェックしてから鞄を持ち、下へ向かった。ちょうどそのタイミングでお兄ちゃんが廊下へ出てきた。




 「かわいいね」




 開口一番で褒められてしまった。色々と返す言葉を考えていたのだが、こうもストレートに言われると私だって照れる。思わずうつむいてしまった。えへ。




 家を出て、駅へ向かう。電車に乗る前にお兄ちゃんが切符を買って寄こしてくれた。こういう時、妹扱いされているようで切ない。(流石に都合がよすぎるような気もする)誤魔化すように、私は「ありがとう」と言った。もちろん、通学用に購入してある定期があったことは伝えなかった。




 電車を降りて、まずは本屋に向かった。お金はないけど図書カードならあったからだ。前から欲しかった参考書を買って、その後はお兄ちゃんと街を見て回った。




 一通りが終わって、イタリアンのお店にピザを食べに行った。きっとお兄ちゃんがたくさん頼むだろうから、それを二切れ程もらえれば満足だ。だから私は、飲み物だけを頼んでメニューをお兄ちゃんに渡した。




 味はとてもおいしかったし、食べているお兄ちゃんを見ているのも楽しかった。下品な食べ方ではないのに、スピードが異常に早いのも笑える。そしてやはり、いくら何でも食べすぎだ。




 食べ終わって、私は店の外でお兄ちゃんを待っていた。




 「こんちは~。今ちょっといい?」




 最初、私が声をかけられていることに気が付かなかった。どうやらこの男は、所謂ナンパをしているらしい。




 「お姉さんかわいいね。今時間ある?」




 なんだこいつは。私の返事を待つくらいしてくれてもいいだろうに。口説く気ゼロか?




 「いいえ、時間はありません」




 しかし、もし惚れてしまったのなら私にはそれを断る義務がある。こんなところで無防備に立ち尽くしていた自分が悪いのだろうし、隙があったのも事実だからだ。もっとも、きっとこの男は私に惚れて等無いだろうけど。




 その断り方がいけなかったのだろうか。




 「何その言い方。別にちょっと誘っただけじゃん」




 やはり、物事に白黒つけすぎるのはよくないらしい。周りの大人も、助けてくれないみたいだ。……いや、それは違う。私が困っていることに、誰も気が付いていないのだ。




 腕をつかまれた。痛い。




 「ちょっと、やめてください」




 すると横からお兄ちゃんが出てきてくれた。「遅いよ」と言って男の手を振りほどくと、私はお兄ちゃんの背中に隠れた。相手の後ろにもう一人いたことに、今気が付いた。




 「あぁ?なんだてめえは」




 ……ちょっと待って。それはまずい。それだけはまずい。




 どうして引かないの?私、もう少し分かってくれると思ってた。さっきまであなたの事が心底嫌だったけど、少し心配だ。




 「兄です」




 なぜなら、お兄ちゃんを怒らせるのだけは、絶対にまずいから。

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