第9話 トラの威

 着信に折り返すと、トラは怒っていた。ブチギレだ。自分がやられた訳でもないのに、優しい奴だと思った。




 公開されている動画は十秒程度のもので、俺が殴られている場面しか映っていない。幸運にも、夢子の姿はフレームには入っていなかった。




 「こいつのプロフィールと投稿内容で名前も住所も通ってる大学もわかってる」




 俺より上の年齢の奴が、実名晒して暴力自慢か。すごい時代になったものだ。




 「どうする?」




 どうする?とは、つまり復讐するのか、ということだろう。きっとトラのことだから、一緒についてくるに違いない。




 「やめとく。お前がやったら取り返しがつかなくなるだろ」




 実際殺しかねない。トラに病院送りにされた奴の数は、俺が知っているだけでも両手では数えきれない程だ。




 「……そうか。お前、ほんとに変わったんだな」




 「悪いな」




 「あぁ、まあいいよ。それなら俺も黙っとく」




 思わぬところで気を使わせてしまった。しかしせっかくだから、その頼り甲斐ついでに一つ頼み事をしてみることにした。




 「ついでと言っては何だけど、明日時間ないか?」




 俺が訊く。




 「ある。飯でも食うか?」




 「うん。それと、少し相談したいことがある」




 「フミがか?珍しいな」




 「そうか?まぁそういうことだから。明日の昼頃、いつもの駅に来てくれ」




 了解と返事をして、トラが電話を切った。俺たちが遊ぶとき、明確な時間指定はしない。昼頃といえば昼頃だし、いつも何となく同じような時間に集合することになる。互いに三十分以上待ったことはない。




 翌日十二時前、家を出て集合場所へ向かう。まだトラは来ていない。今日は俺の方が早かったようだ。




 ものの数分で彼はやってきた。黒のオーバーサイズのトレーナーにスキニーパンツ。いわゆるストリートファッションだ。




 喫煙所に寄ってから近くの喫茶店に入った。俺はハンバーグセット(サラダ、コーンスープ、ライス付


き)、カツサンド、ナポリタン(大盛)とホットケーキ、それにホットコーヒー。トラはミートドリアセットとジンジャーエールを注文した。




 「いっつも思うけど、お前食う量減らせばもっと早く金貯まるんじゃねえの」




 わかってるが、腹が減ってしまって仕方ないのだ。




 先に飲み物が来た。それを飲みながら他愛もない会話を交わす。最近は専ら、大学生活に関する話ばかりだ。




 トラはとにかくサークルを作りたいらしい。活動内容は何でもよいが、とにかく自分でサークルを作って大学生活を充実させたいんだとか。現在の候補はダイビングサークルのようだ。ちなみに、トラにダイビングの経験はない。




 「もし既にあったら別の案を出さねえとな」




 「ならシーズンスポーツ同好会とかにすればいいんじゃない?冬はスキーとかボードやったりして」




 「それいいな。それにしよ」




 そういうと、トラはスマホのメモ帳に今の案を記した。




 「……それで、相談ってのはなんだ?」




 話題は俺に移る。




 「単刀直入に言うと、人の叱り方を知りたい」




 「なるほど、中々難しいこと言うな」




 まあ、そうだよな。




 「トラは組織のトップだっただろ。だから律し方というか、道を正す方法を知ってると思って」




 「組織ったって、あいつらは不良だぞ。言ったくらいで聞くわけねえし、正しい道からわざと外れてんだよ」




 盲点だった。確かに人の言うことを聞かないから不良なのだ。




 「じゃあ全部ぶん殴って聞かせるわけ?」




 恐怖政治は崩壊すると歴史が証明している。




 「流石にそういうわけにはいかないけどよ、……いや待てよ?後輩なんかは叱ってたといえばそうなのか?」




 「おっ、それだよそれ」




 「そうか、そうだな。そもそも俺を怒らせるようなことをしてくる奴は少なかったけど」




 やっぱり恐怖政治じゃねえか。




 「なんかあったときは、責めるだけじゃなくて同じくらい褒めてやってたな。お前は普段はいい奴なのに酒が入るとひでえ、とか」




 なるほど。




 「まあ、悪いところを直させるために叱るわけだから、やっぱりそいつの何が悪いのかをきっちり伝えてやらねえとな。悪口になっちまうと、そいつも考える暇もなく謝るようになるからな。ビビらせたらダメなんじゃねえか?」




 よく考えていると感心する。どうしてトラが番長なのかが分かった。




 「勉強になったわ、サンキューな」




 「参考になったか?」




 頷く。ちょうど料理が届いた。テーブルにどっさりと料理が置かれる。俺はカツサンドから食べることにした。




 「しかしなんで叱り方を知りたいなんて言うんだ。妹絡みか?」




 なんだこいつ。




 「感が良すぎて気持ち悪い」




 ドヤ顔で俺を見る。勝ち誇ってやがるなぁ。




 「フミの知り合いで年下なんて、妹くらいだしな」




 死ぬほどシンプルな答えだった。俺の交友関係をよく知ってらっしゃるようだ。




 「まあ、その通りだよ。妹が最近少しおかしくてな。昨日もモメたんだ」




 「今年から高校生だっけか。まあ考えることも色々あるんだろ」





 サラダを平らげ、ナポリタンにフォークを伸ばす。付け合わせのポテトにナポリタンのケチャップを付けて食べ、コーンスープを飲み干した。コーヒーのお替りを頼んでからハンバーグに手を付け、最後にホットケーキを完食。




 しばらくの間互いに黙って食事をしていたが、ひと段落したところで最近起こった出来事を順を追ってトラに話すことにした。




 ひとしきりを伝え終わると、俺はコーヒーを口に付けた。割と長い間喋っていたから、既にぬるくなっている。




 「俺、お前はもう少し感のいい奴だと思ってた」




 トラが虚を突く。




 「どういう意味だ?」




 「いや、普通に考えてさ。……まあ、当事者になってみればまた違うのかもしれないけどよ」




 本当のところ、俺はトラが何を言いたいのかは分かっていた。どちらかと言えば、俺は人の感情に敏感な方だから。




 「お前が俺に話したことを後悔してほしくないからこの際はっきりさせておくが、お前の妹は、お前のことが好きだ」




 「そうか」




 兄として否定するのではないかと思っていたその言葉を、自分が案外素直に聞き入れることが出来たことに驚いていた。つまるところ、俺に最初から兄としての素質はなかったのだろう。むしろ、兄にならなければならないという強迫にも似たその観念から逃れられたことに少し安心さえしていた。




 「そして妹……夢子ちゃんは、今のままお前と暮らしていけるのであれば、それに対して答えを求めるようなことはしないと思う。叶わない恋に対する行動なんてそんなもんだ」




 トラは決めつけるような物言いをするが、俺にはそれが間違っているような気は全くしなかった。何故なら、その時見せた表情から、トラには叶わない恋をした経験があるのだろうと直感したからだ。




 「そうか、わかった」




 その姿を見て、俺はこれ以上何かを訊く気にはならなかった。




 「それじゃあ行こうぜ」




 そして、俺達は席を立った。相談に乗ってくれたお礼にここの会計を俺が全て持つことにした。




 その後、そのまま帰るのも味気がないからと、二人でゲーセンに行って遊んだ。トラの異常な格ゲーの強さをしばらく眺めていたが、夕方になったのを思うと俺たちは互いのバイクに乗って解散した。




 家に着く。夢子がソファに座ってテレビを見ていた。夕飯の支度は既に終わっている。




 「明日、お母さんたち帰ってくるね」




 「そうだな、迎えに行ってやらないと」




 明日の昼間、俺は車を運転して空港へ父と時子さんを迎えに行くことになっている。




 「私も一緒に行く。空港でご飯食べよ」




 いい提案だ。二人に確認を取ったわけではないが、明日は久しぶりの家族揃っての外食という事になった。(父は帰りが遅いし、俺も高確率でバイトに行っているから中々時間も合わないのだ)




 夢子の隣に座る。クッションに沈む俺の体に、夢子は少し肩を寄せた。




 「今日も一緒に寝ていい?」




 テレビに顔を向けたまま、夢子がそう聞いた。




 ……。




 「いいよ。きっと今日で最後になるだろうしな」




 そう。今日で最後のはずだ。




 「やった。でもコーヒーは飲まないよ。明日は昼まで寝てられないしね」




 夢子は俺に笑顔をむけると、夕飯の支度を始めた。程なくして準備が終わり、二人で挨拶をして食事を開始した。




 なぜか飯が喉を通らなかった。おかずはタラの西京漬に根菜の煮物、豆腐とわかめの味噌汁。手間がかかっていて、味はもちろん最高だ。それに腹だって減っている。なのに、どうしてだろう。




 何とか一人前を平らげる。ご馳走様の合図をすると、夢子はどこか心配そうな顔で俺を見た。




 「どうしたの?具合悪いの?それとも、おいしくなかった?」




 「そんなことない!体調は悪くないし、最高においしかったぞ!」




 思っていたよりも大きな声が出てしまった。自分の声のボリュームの調整が出来ていない。




 「そっか。なら大丈夫だね」




 夢子は一瞬驚いて、笑った。その表情を見て、俺は心臓が高鳴っていることに気が付いた。




 ……そうか。俺は緊張しているのだ。今日、夢子と同じベッドに入ることを。




 そう思うと俺は途端に恥ずかしくなって、夢子と同じ部屋にいることが出来なくなってしまった。だからまず落ち着くために足早に自室へ向かい、トレーニングウェアに着替えるとすぐにロードワークに向かうことにした。




 家の前の道でストレッチをしていると、やはりどこか心配そうに夢子が俺を覗きに来たが、俺は妹に「大丈夫だから」と伝えると、まだ温まっていない体のまま走り出した。

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