義理の妹が結婚するまで

夏目くちびる

第一章 春休み(文也の場合)

第1話 告白

 両親が離婚したのは、俺が中学二年生の春。理由は母の浮気。



 俺は父についていくことにした。父は建築屋で年中忙しそうにしていたが、一方で母はいつも家にいた。だから、彼女にろくな貯金があるとは思えなかった。顔は美しかったが、ただそれだけの人。それに、俺は母のことを好きだったが、母が俺の事を好きだったと確信できる理由は一つも思い当たらなかった。



 そして、あの人には浮気相手がいて、父は一人ぼっち。だから、俺の選択は間違っ

ていない。



 その五年後、父は再婚した。相手はシングルマザーで、弁当屋で生計を立てていた。俺も父も料理があまり得意な方ではないからいつも通っていた弁当屋の女性。名前は時子。ちなみに父の名前は洋祐。



 年齢は三十五歳、父は四十歳であるから特別不思議な恋愛ではないだろう。毎日通っている間に会話が増えていき次第に互いを意識して、そして恋に発展したらしい。そう結婚式で言っていた。



 ……義妹と初めて会ったのは、父が再婚するその二ヶ月前の事。少し高級なレストランの、上品なテーブルのその向かい側に、彼女はいた。



 名前は夢子。年齢は十四歳で中学二年生だった。夢子は父と時子さんの会話ににこやかに相槌を打って、話の合間合間に「お母さんよかったね」と言葉をはさんでいた。



 その光景を見ていて、よく出来た子だと感動したのを覚えている。容姿も年齢よりもかなり大人びた印象でしっかり者の女の子。店内BGMに耳を傾けて、黙ってサラダを口に運ぶ俺よりも何倍も大人だ。これではどちらが上なのかわかったものではない。



 そんな時、時子さんは俺に話を振ってきた。他愛のない世間話。しかし働き者の父はきっと知らなかったであろう、俺の学校での生活や趣味の話。



 一通りの俺との会話が終わると、矛先は夢子へと移った。内容は大体が俺と似たようなものだったが、俺とは違い一つ一つを丁寧に答えていく。まるで、俺と父に自己紹介をするように、丁寧に。 



 時子さんが料理について訊く。



 「お料理は好きです。家ではよくお母さんに教えてもらいながら作っています」



 父が学校生活について訊く。



 「学校は楽しいですよ。部活は吹奏楽部でフルートを。まだ初めて一年半なのでうまく演奏できませんけどね」



 ……。



 「私も本はよく読みます。映画も。お母さんが遅いときは待っている間によく見たりしているんです」



 そうか。

 


 「お母さんは忙しくてあまり出かけたことがなかったので、どこか旅行とかいってみたいですね」



 この子が俺の妹か。



 「甘いもの好きです。特にお母さんのフルーツタルトが大好きです」



 そして、最後に夢子はこう言った。



 「これからよろしくお願いします。お父さん。……文也さん」



 兄と呼ばれなかったその時、俺は彼女の為に何ができるのかを考えていた。



× × ×



 季節は春。月日が流れるのは早いもので、新目家が四人になってから約一年が経過していた。俺たちは都心から少し離れた郊外にある住宅街に一軒家を建てて住んでいる。ちなみに新築で、前の家はせめてもの手向けにと父が母に明け渡した。



 家から最寄り駅までの道のりはそう遠くない。この街自体も都心へのアクセスが容易な所謂ベッドタウンだ。いくつかのスーパーと衣料店。ドラッグストアや飲食店など、生活するのに困りようのない店のラインナップ。俺の通う学校も、電車で一本の場所にある。かゆいところがない便利な街だ。



 今日は家から最も近いスーパーへ夢子と夕飯の買い物に来ていた。というのも、今朝から父と時子さんが家を空けているのだ。



 父が久しぶりにまとまった休みをとれたようだ。だから二人は、予てから計画していた新婚旅行でハワイへと旅立っていった。



 そして、偶然にも二人が旅行で家を空けている間、俺も夢子も春休みであった。それだから初日くらいは二人で買い物に出て夕飯を作ろう、という話になったのだ。



 「お兄ちゃん、夕飯はなにがいい?」



 夢子が訊く。



 「マグロ」



 俺はマグロが好きだ。だから一人で飯を食う時、炊いたご飯の上に生のマグロの切り身を敷いて、わさび醤油をぶっかけて食べる。



 「もう。それは今日のお昼に食べたでしょ?」



 まったくもってその通りである。



 「そしたら焼きそばがいい」



 「焼きそばね。全然腕の振る甲斐がないけど、いいよ」



 そういうと、俺が押すカートのかごに、キャベツやらにんじんやらの野菜をたっぷりと、他には後日使う気なのであろう魚の切り身、豚バラ肉。そして乾麺のパスタを混載させて夢子は俺をレジへと誘った。



 夢子は道中俺がネギと牛乳の隙間に隠すように投入したオールレーズンを見ると、「仕方ないなぁ……」とつぶやいてそれっきり喋らなかった。しかし別に怒っているわけではないことを俺は知っている。なぜなら夢子もまた、オールレーズンが好きだからだ。



 あの日から夢子と俺は思った以上に早く打ち解け、そして兄妹を全う出来ていると実感している。その理由はやはり、夢子が尋常よりも遥かに大人びた妹であるからだろう。



 時に叱られ時に助けられているが、俺が夢子に歯向かうような事は未だに一度もない。基本的に俺は自分がしょうもない人間であることを自覚しているし、周りの意見は俺を助けるものだと思っている。ましてやそのお叱りが妹のモノであるのならば、それに従わない理由はない。



 そんな俺の素直な一面を夢子は信じてくれているのだと勝手に思っている。やや受動的な性格ではあるが、それだからこそしっかり者の夢子とはうまくやれているのだろう。



 閑話休題。



 スーパーからの帰り道、手提げ袋をぶら下げて道を往く。夕焼けが俺たちの背中を照らして、正面には長い影が出来ていた。



 まだ少し肌寒いから、俺は袋のない方の手をコートのポケットに突っ込んで歩いている。



 ふと、横を見る。夢子の姿はなかった。しかし影は二つ。



 ……少し後ろを歩いているのだろう。歩幅を狭めてスピードを落とすと、程なくして夢子が俺の隣に着いた。袋のないポケット側。



 「考え事?」



 俺が訊く。



 「違うよ。なんでもない」



 夢子が応える。今度はわずかに、俺を追い越した。



 ダボっとしたセーターの袖に自分の腕を引っ込めて肩をすぼめながら歩いている姿を見ていると、「やはり中学生なのだな」と感じる。後ろ姿が年相応であることが、唯一俺を兄として実感させてくれる。それが俺は少し嬉しかった。



 やがて家が見えてくる。父がデザインした家。白とチャコールを基調とした温かみのあるカラーリングだ。



 門を通って、ふと夢子がこちらを振り返った。その時、二つに結んだ長い髪の毛がゆっくりと揺れた。そして。



 「お兄ちゃん。やっぱりなんでもある。少し話があるの」



 いつもより強い口調でそう言った。



  冷えた体を温めるため、俺はケトルで湯を沸かしインスタントのコーヒーを淹れた。ミルクは少しだけ。夢子のものには、それに砂糖もたっぷり。




 それを飲んでから一息つくと、夢子はゆっくりと口を開いた。




 「私、男の人が信じられないの」




 突然の告白。俺は黙って次の言葉を待った。




 「前のあの人が出て行ったとき、お母さんはすごく辛そうだった。毎日毎日泣いていて、私はそれを見るのが本当に悲しかった。だから、お母さんを捨てたあの人を、私は一生許せない」



 前のあの人とは、時子さんの前夫のことだろう。



 コーヒーを一口飲んだ。いつもの味だ。



 「お父さんはいい人だと思う。けど、私にとって男の人って前のあの人がどうしてもちらついて、だから未だに信じられない。もちろんお父さんも」



 「そうか」



 俺はいたたまれず、コーヒーに目線を落とした。ミルクとコーヒーが混ざり合った、柔らかい茶色だ。



 「でもね、お兄ちゃんは違うの」



 ……?



 「お兄ちゃんだけはお母さんを……私を裏切ったりしないんじゃないかって」



 時子さんが泣いた理由も、夢子が泣いた理由も、俺が他とは違う理由も、何一つ訊くことはしなかった。なぜなら、夢子がそう思ってくれているなら、俺はそれで充分だったからだ。



 「でもね、このままじゃいけないことはわかってる。もっとたくさんの人と関わるようになって、これから先も男の人が信じられないから、だなんて理由で乗り切れるわけがないから」



 毅然とした態度であった。夢子が夢子たらしめる、とても強い言葉。



 「だから、私にどうやってお兄ちゃんが女の人を信じられるようになったのか、教えてほしい」



 なるほど。



 「俺が女の人を信じられるようになった理由か」



 前提がずれている。俺は別に、母を嫌ってなどいない。



 そして結論から言ってしまえば、俺にそんな理由などない。単純にそうなってしまったのだからもう戻らないという、ぶちまけたミルクがコップに戻らないように、一度壊れてしまえば……零れてしまえば取り返しがつかないのだと、そうケジメを付けただけ。その事実を噛みしめて前を向いただけ。



 しかし、この事実を伝えたところで、果たして夢子が前を向くことができるのだろうか。頭のいい妹のことだから、きっと嘘をついてしまえば見破られ、俺に寄せるその信用も消えてしまうのかもしれない。だから。



 「父さんが、前を向いたんだ。だから俺だけが止まっているわけにはいかないと思った」



 そう答えた。



 「そっか。……お兄ちゃんらしいね」



 夢子は笑った。



 「そうだよね。お母さんがお父さんと一緒にいようと前を向いたんだもんね。だったら私が足を引っ張ったらダメだよね」



 納得してくれたようだ。夢子は安心したように、甘いコーヒーを飲んだ。



 一方で俺は、少しの罪悪感に苛まれていた。なぜなら、この回答は夢子の根本にある「男を信用できない」という問題を解決することはできないからだ。あくまでも新目家にまつわるストレスを解消するためだけの答え。いわばその場しのぎに過ぎない。



 しかし、俺が夢子にやってやれることと言えば、その場その場の夢子の小さな願いを聞いて叶えて、それを積み重ねて信頼を得る事だけだ。悩みを丸ごと解消してしまえるような知恵を、俺は持っていない。



 だからこの先も、夢子がいつか俺以外の男を信じられるように積み上げていこうと、そう思った。

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