カミナリ様

天川累

カミナリ様

夏の天気は変わりやすい。

さっきまで快晴だった空は突如として黒く染まり、嵐のように打ちつける雨と怒号のように鳴り響く雷鳴が辺り一面を支配する。

こんなことならもう少し早く家に帰るべきだった。今日は快晴の予報だったのになんだか運が悪い。ほとんど意味をなさない傘を指し、靴の中を濡らしながら急ぎ足で家へと向かう。

眩い一筋の光が空から落ちる。

地の底から唸り上げるような轟音が鳴る。

今日のような激しい雷の日には子供の頃に聴いたカミナリ様の話を思い出す。雷が鳴ったらへそを取られる。突拍子もないような話だが純粋そのものだった少年時代は必死にへそを隠していたのを思い出す。懐かしく微笑ましい思い出ではあるが、ふと思う。なぜ、へそを取られてしまうのか。なぜへそでなければならないのか。へそという部位は日常生活であまり意識しない部位である。注目しなければへそがついていることすら忘れてしまうことがあるし、なにか大きな働きがあるわけでもない。一番重要な働きは生まれてくる前、母体からの栄養を受け取るためにへその緒を介して母体と繋がっていたということだけである。そのへその緒も出産と同時に切り取られてしまうため、言わばへそは昔は機能のあったへその緒の痕跡に過ぎないのだ。もちろん、医療的な知識は持ってないからただの素人の憶測ではある。しかし奪うのならへそではなく鼻とか口の方が危機感があるのではないだろうか。へそなら別に取られてもいいやとなってしまいそうで、カミナリ様の趣味嗜好が関係しているように感じる。フェチというやつなのだろうか、到底理解ができない。

真剣に考えてしまったがあくまでもこれは迷信だ。深く考えたとて、そこに答えはないのかもしれない。一説によると、子供がへそを出すような格好で過ごしていると風邪を引いてしまうためこの話を作っただとか、雷は高い所に落ちるためへそを守るようなしぐさをすることで前かがみになり雷が当たる確率を低くするために作られたという話が有名だ。大人が子供のいうことを聞かせるために作った適当な物語だ。深く考えるだけバカバカしい。この手の話は今も尽きない。現代でいえば口裂け女などがその類に入る。これは子供が夜に不用意に外出しないようにとか、地域によっては塾に子供を通わせることのできない家庭の親が子供についた作り話という説もある。これが日本中に広まって社会現象になってしまった。こう考えると現代のオカルトも蓋を開けてみれば誰かが作った物語なのかもしれない。

「痛っ。ごめんなさい。」

考え事に夢中になってしまったせいで曲がり角で女性と大きく衝突してしまった。女性は体制を崩し、しりもちをついている。

「すみません、考え事をしていて。大丈夫ですか。」

言葉と同時に女性に手を差し伸べる。仕事帰りだろうか、スーツ姿の女性は息を吞んでしまうような綺麗な黒髪のロングヘア。マスクに隠されていない目元は誰もが憧れるぱっちり二重で、目は大きく澄んでいてマスク越しでも美人であることがわかる。マスク美人というやつだろうか。いや、この際どうでもいい。

「こちらこそごめんなさい。ちゃんと前を見ていなくて。」

少し恥じらい、バツが悪そうな顔で女性はそう答えた。大雨に打たれたせいで服装はひどく濡れていて、ところどころ水が滴っている。その姿が実に妖艶であり、彼女の魅力を増している。

「あの、タオルお貸ししましょうか。転ばせてしまったので。」

「いえ、大丈夫です。すぐそこが家なので。お気遣いありがとうございます。それに、、」

この雨じゃどちらにせよびしょ濡れになってしまっていたので。

そう答えると彼女は少し微笑んでみせた。綺麗な女性の笑顔というものは時に凶器よりも鋭く胸に刺さってくる。この大雨の中歩いて帰ってきた甲斐が少しはあったかもしれない。

「じゃあ、お気をつけて。」

お互い軽い会釈をしながら反対方向に進もうとする。すれ違いざま、一瞬だけ同時に重なる瞬間、耳元でこう囁かれた。

「わたしキレイ?」

瞬時に後ろを振り返る。しかし彼女の姿はもうそこにはなかった。空耳か、違う。はっきりと聞こえた。それにこの長い一本道を瞬時に渡りきることなどできるのだろうか。気にしてはいなかったが、思えばマスクも一般の物より少し大きなサイズだった。彼女の正体はなんだったのか。わからないが一つだけわかったことがある。

雷が鳴る日にはへそを隠した方がいいのかもしれない。

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カミナリ様 天川累 @huujinseima

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