第2話  説得

 珍しく家族全員がそろった晩餐になり、皆それを喜んだ。

長兄のフィルは王子直属の近衛騎士長だし、

次兄のグラントは宰相副閣下の部下だ。

夜の護衛もあるし、生活時間が不規則なのは仕様がなかった。


デザートのペティのタルトを食べながらアリシアは切りだした。

「お父様、私 16歳になりました。お外でお仕事がしたいの」

父と兄達の動きがピタッと止まる。

母はニコニコと美味しそうにタルトを食べていた。

長い長い沈黙に、決意したはずのアリシアの背中には

冷や汗が流れ出てきそうだった。


「アリー……」

長いため息と共にフィルがついに口を開いた。


『まっ、負けないもん……!!』

アリシアは半分涙目になりながらフィルを見る。


「……うッ……」

フィルにとっては妹の涙は威力絶大だ。何でも許してしまいそうになる。

実際、今日の題材以外ではフィルの全敗だ。

アリシアは此れ幸いと涙を武器として使うことがないので余計に負けそうになる。

「そっ……そんな顔をしてもダメだからなっ!! 

この件については何回も話したはずだ !!」


いよいよ涙が盛り上がって、もう少しでこぼれ落ちそうになった時、

アリシアはグラントを見た。

グラントも、もちろんひるんだ。妹の涙なんて想像するだけで

この世から消えたいほど嫌なことだった。

宰相副閣下がにこやかに持ってくる山のような書類の方がまだマシだ。

「アリー……。

アリーの気持ちは立派なものだと思うけど僕たちは心配なんだよ?

アリーは、この心配な気持ちが分かっているのかな??」


ついにアリシアの目から大きな涙がこぼれ落ちた。

「分かっています。でも人族は働いてはいけないの?

人族はお人形のように何もしないで過ごさなきゃいけないの?」

一度こぼれ落ちた涙は止まらなかった。

大きな涙のしずくが、いくつもアリシアの綺麗な頰を伝っていった。


そう、アリシアはこの世界で、とても少数な人族になる。

長い長い年月を獣族と人族は共に過ごし、太古の賢者や魔導師達の力によって

二つの種族は一つの種族になることを決めたのだ。

獣族はそれぞれの能力だけを残し、成長期を終えると人族と姿は同じになる。

ただ獣族の血はとても濃く受け継がれ、

今では人族として産まれる子は

先祖返りであると考えられているくらい珍しかった。


獣族の良い所は愛情深い所だ。

一度でも家族、仲間、親友と思ったものは大切に大切にされる。

だから人族はとても大切にされる。体力や腕力が、とても弱いのだ。

獣族にとって保護すべき対象だった。

とは言え、獣族にとっての夫婦はもっと別格で、本能で選ぶらしい。


つがいになれる相手に巡り会えることは、

この世で最も尊く、幸せな出来事なのだ。

とはいえ、人族の長所もある。彼らは本能に左右されづらい。

その方がうまく行く物事もあるのだ。


ただこの世の中、人族に接するものが あまりにも少ないせいで、

力加減を間違えるものが大多数だ。

アリシアがそんなヤツらにケガをさせられるなんて

ヌヴェル家の男達は耐えられそうになかった。

そして好奇の目にアリシアが晒さらされるのも不快でしようがない。

過保護の結果、ずっと家に置くことにしようとしているのだ。



「私、ちゃんと学校にだって通えたわ。

友達もできたし、皆、私を傷つけたりしなかった」

大粒の涙をこぼしながら、アリシアは懸命に話した。


フィルがすかさず答える。

「アリー……、それは僕らが守っていたし、

アリーが嫌なことがないように気も配っていた。

でも残念ながら好奇心だけで動くヤツらだっているし、

仕事となると僕らだけでは全てを把握することが無理なんだ」



グラントも青い顔をしながら

「アリー、君がそんな不注意者のためにケガをするなんて

家族皆、耐えられないよ」

と真剣に語り掛ける。


「私、学校でお兄様達が知らない方に

自分の特徴をきちんと話してから握手したわ。

何回も何人も !! ほとんどの方が親切で優しい心を持っているのに

たった何人かのために私は仕事をしてはいけないの?」

アリシアは、この勢いを失わないよう一気に話し出した。

「お兄様達が、みんなが震え上がるほど仕返しすると思って言わなかっただけで、

イヤな事も、少し痛い事もちゃんと経験しているわ !!」


アリシアの話を聞いた、二人の兄は凍りついた。

たぶん今の部屋は摂氏せっし0℃以下だ……怒りで……。

涙が引っ込んだ。



フィルは、いつもアリシアに向ける笑顔を封印し、低い声で問いかける。

「……アリシア・ヴンサン・ヌヴェル。

いつ、誰からそのような行為をされたのか話しなさい」



『マッ、マズイ ……!! 部屋が凍る……!!』



「ダッ、ダメよ!! 教えないわ。だって……だって、それも私にとって

貴重な経験なんだもの !! 生きるってそうゆう事でしょう?!」

アリシアは凍りつかないように必死だった。

「私、守られるだけではイヤなの!!

有難いと思ってるし、贅沢なのかもって少し思う時もある。

でも私のした事で、皆に喜んで欲しいの!!」


かたわらでグラントはショックを受けていた。

『アリシアが経験したことの全てを知らなかったなんて……』


「アリー、僕は君が時々作ってくれる菓子や料理を喜んで食べているよ?

古文書の解読を手伝ってくれているのも、とても助かっている。

君の解読は正確で、とても早い。王宮の専門文官よりもだ」

弱々しい声でグラントは話し続けた。


「ちゃんと皆、君に感謝しているよ?

ただ君が守るべき存在というのは確かだ。人族だからじゃない、家族だからだ。

だからイヤなことには極力あって欲しくないし、

怪我をするなんてもっとイヤだ」


それを聞いて口をキュッと結んだアリシアが決心したかのように話した。

「私、ニコラに相談したの」


そこで兄弟をジッと見ていたカルロスが目を見開いた。

アリシアの友達ニコラは、この国でフィルが守るべき王子の名前だ。


ニコラとアリシアは学生時代、とても仲が良かった。

熊という賢い血を引くニコラは、それはそれは丁寧にアリシアを扱った。

アリシアは兄達だけでなく、ニコラにも守られていたのだ。

アリシア達、少しの仲間とフィル、グラントは

特別に敬語を使わずに話すことができた。

そしてニコラ自身も自分を友人としてあつかうように望んだのだ。


カルロスは兄弟達のやりとりを見て、もう泣きそうだった。

晩餐の前に、妻 リリアーナからクギを刺されていたのだ。

アリーの心を壊すのかと……。


カルロスの妻は、いつでも的確だった。

自分は狼属の血を引いているのに対し、

妻は人族に近い知性を持つ猿属の血をひいている。

結局、どんなに自分が強く言った所でリリアーナの方が、いつも一枚上手だった。

ただカルロスは、そんな心が張り裂けそうな許可の言葉を

口にできなかっただけなのだ。


ニコラに相談したなら結果は予想できた。


「ニコラは、お父様とお兄様達と王宮に来るようにって。

私の意見は もっともだからニコラからも話してみようって。

私、ニコラの力を借りなくても、お父様達に分かってほしかったわ」

アリシアの涙が、またポタポタと落ちてくる。


「父上……」

フィルが お手上げだというようにカルロスを見た。

父を見たはずなのに、なぜか おっとりと母が答える。

「あらあら、アリー。そんなに泣いてはタルトがしょっぱくなってしまうわ」

リリアーナはニコニコしながらアリシアの涙をナプキンで拭ぬぐった。

「カルロス?分かったでしょう?アリーは自立の道を選んだのよ。

素晴らしいことじゃない?アリーを大切に思うフィルとグラントも自慢だけど、

頑固なアリーも自慢の娘だわ。そうでしょう?」


リリアーヌに柔らかく微笑まれたカルロスには、

リリアーヌはキラキラと輝いて見える。

獣族の血は最愛の人を一生守るのだ。

若きあの日、番つがいを見つけた時と同じように輝くリリアーヌに

カルロスは答えた。


「分かったよ、リリー……。ニコラ様にお会いして来よう」


すでに母に説得されていた父を、兄達は呆然ぼうぜんと見たのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る