第六話 不始末 1

 不意の突風を受けて騒ぎ出した木々たちは、まるで僕の動揺に合わせて喧騒けんそうしているようにも聴こえた。

 片手を腰に据え、どこか得意げな調子で僕の前に凛と存在するその女子生徒は、僕を呼び出した張本人『アキラ』こと、坂井あきらその人であった。

 毛先がやや外にハネ気味のセミロングヘアは若干の茶褐色を帯びていて、申し訳程度に二対八で分けられた前髪はフェミニンな雰囲気をかもし出している。

 加えて、女性としては高めであろうその長身は、二年上の先輩としての風格をありありと助長させていた。


「その様子だと双葉から私の事は何も知らされてなかったみたいだね。 もしかして私の事、男だと思ってた? 何かごめんね、びっくりさせちゃったかな」


 彼女の言う通り『アキラ』さんはてっきり男だと思い込んでいた事もあり、僕にとってその事実はまさに驚天動地級の衝撃だった。 きっと彼女から見た僕の目は今、真ん丸だろう。


「実はその通りです。 名前だけで判断して勝手に男だと思ってました。 すいません」


 これだけの動揺を晒しておきながら平静を取り繕うのはいかにも滑稽でばつが悪い。 隠しても仕様がないものはすぐさま明示する方がかえって気が楽になる事もある。 ので僕は、素直に勘違いを告白した。

 すると彼女はアハハと軽快に笑った後、


「いーよ別に、気にしてないから。 私の名前で勘違いしてそういう反応してくれたの久しぶりだったから、むしろ見てて楽しかったよ」


 僕が性別を読み違えていた事を知った上で彼女はそれを気にも留めず、悪戯いたずらっぽくにやりと笑ってみせた。

 坂井さんからは先程まで大人びた印象を与えられていたけれど、ひとたび口を開けばまるで子供のように無邪気に笑い、ありのままの感情をこちらにぶつけてくるお茶目な人でもあった。

 どうやら想像していた人柄より取っ付きやすそうであり、それでいて騒がしそうでもあったけれど、決して悪い人ではなさそうだと、僕は第一印象として彼女をそう評した。


 しかし、坂井さんのある程度の人となりを知って驚いた僕の様子とは裏腹に、彼女は別段何かしらの感情にとらわれた様子も無く、けろりとした顔で僕に対応している。 その態度が不自然過ぎるほどに自然に思えてしまったものだから、僕はいつの間にか彼女に一種の疑りの目を向けてしまっていた。


 ことによると彼女は僕の素性をあらかじめ知っており、僕のまるで狐につままれた顔を見たいが為に平然を装って僕を驚かそうとしていたのではないのかという稚拙ちせつな疑心を、僕は胸の内に育ててしまっていたのだ。 もしその疑いがまことのものであるならば、先に待たされた僕の十分という時間はまったく無意味なものになってしまう。 真実も知らぬ内に、何だか心持が悪くなってきた。


「もしかして先輩、本当は僕の顔を知ってて、その上で僕を驚かそうとして知らん振りしてたんじゃないですか? 知ってたんだったら早く教えて下さいよ。 十分も待たされたんですから」


 そうした疑心を胸の内に育てていれば、相手が先輩だといえども生意気の一つや二つを口走らずにはいられないという人の心理も、最早道理と説くまでもない見え透いた必定ひつじょうであり、僕は自らの内に練り上げた根拠の無い猜疑さいぎの念を、いよいよ坂井さんにぶつけてしまった。


「いやいや! 私も君が『アヤセ』だって分かったのはついさっきだからね? 君を探さなかった私も私で悪いけどお互い顔も知らなかったし、おあいこって事にしようよ」


 確かに、僕が『アキラ』という名前を口にするまでは坂井さんも僕の事が『アヤセ』だと分かっていないようだった。 だから彼女の言う通りお互い様だったと、僕は先の疑心の一切を振り払った。

 しかし多少の生意気は働いてしまったけれど、そこはかとなく場もほぐれたように思われたので僕はここに呼び出された理由を聞き出す為、自ら口火を切る事を決意した。


「確かにそうですね。 生意気言ってすいません。 ところで、坂井さんが――」

あきら

「……はい?」

あきらでいいよ。 私の事」


 僕の会話をさえぎって何を言い出したのかと思えば、坂井さんは会って間もない僕に、自分を名字でなく名前で呼べと催促している。


「でもそれは。 まだ顔を合わせて数分ですし、三年の先輩をいきなり名前呼びだなんて」

「いーの。 私的にはそっちの方が呼ばれ慣れてるからしっくり来るの。 逆に名字で呼ばれる方が違和感あるし」


 そうは言われたものの、やはり出会ったばかりの年上の先輩を名前呼ばわりしていいものか、しかし相手から催促しているのであれば相手の意思を尊重するべきではなかろうか。

 ――先輩という立場に対する様々な葛藤が僕の中でせめぎ合っている最中さなか、ふと彼女の方を見ると、胸の前でがっしりと腕を組んで、じとりとした視線をこちらに向けながらムっとした口をしつつ明らかに不機嫌であろう態度を余すことなく僕の前にていしていた。


「わかりましたよ。 じゃあ、あきら、さん?」

 これ以上彼女の機嫌を損ねると何を言われるやら分かったものではなかったので、ついに根負けした僕は保身に走り、彼女を名前で呼ぶ事を渋々ながらも承諾した。


「声が小さいっ!」端無く張り上げられた彼女の声は、僕の鼓膜の奥に響いた。

「……! あ、あきらさんっ!」最早その応答は反射的なものだった。

「うん、よろしい」彼女は首肯しゅこうを交えながら満悦気味に太鼓判を押した。


 僕はここへ何をしに来たのだろう。 本来の目的さえも忘れてしまいそうなほど、すっかりこの人のペースに踊らされてしまっている。 少し前から話頭が行方不明だ。


「ところで坂――あきらさん。 あなたから僕に何か話があると、鈴木双葉さんからそう伝えられてここに来たんですけど、一体僕に何の用があったんでしょうか」


 これ以上彼女に主導権を握られると話がややこしくなりそうだと懸念した僕は矢継ぎ早、単刀直入にそう問いただした。


「あーそうそう、その話だったね。 すっかり忘れちゃってた」


 玲さんのぞんさいな対応を見て、どうやら彼女の僕を呼び出した目的は三郎太の心配していたような話をする為では無いと確信し、重々おもおもと満載していた肩の荷をようやく降ろせそうだと僕は安堵の溜息を付き、


「君さ、今日実習棟で告白されてたよね」


 降ろそうとしていた肩の荷は動揺した手からずり落ち、足先に落下した。 きっと寝耳に水とはこういう事を言うのだろう。 彼女の問いはまさにそうした吃驚きっきょうを僕にもたらした。


「どうして、あきらさんがそれを知ってるんですか」

 僕の心境は、ただその一言に尽きた。

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