第一話 嘘 2

 時刻は八時二十分過ぎ。 この時間帯、僕や竜之介の所属する一年一組の教室はクラスメイト三十人中七割程度の出席率で、まだ空席は目立つものの既に登校していた生徒達の談笑により教室内は適度に賑わっている。 僕達はそれぞれクラスメイトと挨拶を交わしながら自分達の席へ腰を下ろした。

 教室内の座席配列は一列五座席の六列配置となっており、僕は三列目の最前列で、竜之介は四列目の最前列。 しくも彼とは隣同士である。


「なぁ、やっぱ俺がこの席おったらアカンやろ。 こんな図体しとるヤツがこんな場所に座っとったら絶対後ろの子ぉ黒板見えてへんやろ。 早よ席替えせんかなぁ」


 竜之介は首を回してこちらを向き、自分が最前列に居座っている事に対しての疑懼ぎくを僕に述べている。 実際彼の言う通り、竜之介の真後ろの女子生徒は教室で授業の折、彼の体躯で正面が見辛いのか、上半身を右へ左へと動かしながら黒板の文字を見ようとしている場面をこれまでに何度か目にした事があった。


「でもこの前席替えしたばっかりだし、するとしても早くて来月とかじゃないかな」

「そうかぁ。 まぁ授業は一番前で聞けるしええのはええんやけど、でもやっぱ後ろの子が可哀想やし何とかならんもんやろかな。 お前もお前で背ぇ高い方やし、陰で文句言われるのも嫌やろ」


 彼ほどではないけれど、僕の身長も一八〇センチほどある。 一体何の因果か、最前列の中央にこのような巨体達が集まってしまったのだ。 しかしながら、もし本当に竜之介の後席の女子生徒が彼の体躯に迷惑しているのならば、彼のいだいている疑懼ぎくも決してないがしろには扱えない。

 僕自身の事ではないけれども、こうして友人が不安に駆られているのだから、僕に出来る事があれば迷わず彼の力になるつもりだ。


 そうして、竜之介の疑懼ぎくを念頭に置きながらしばらく彼と雑談を交わしていると、教室前方の入り口からこちらに向かって歩いてくる、ぼさぼさ頭の男子生徒の姿が目に留まった。


「うーっす、リュウ、ユキちゃん」


 多少の気だるさを覗かせながら僕達の前に現れたのは鈴木三郎太といって、僕の後部座席のクラスメイトであり、竜之介と同じく、高校に入学してから知り合った友人だ――けれども、先の彼の物言いに対し、僕は彼に一つだけ訂正しておかなければならない事柄があった。


「三郎太、たびたび言ってるけど僕の名前は優紀ゆきじゃなくて優紀ゆうきだよ。 ちゃん付けは我慢するにしても、そこはいい加減直してくれないかな」


 僕の不満げな声色にも、しかし彼の耳には右から左へ通り抜けるかの如く、にやにやと笑みを浮かべながら僕に肩を回してきた。


「えー、いいじゃん可愛いじゃんかよー。 女の子の名前みたいでさぁ。 俺なんか三郎太だぞサブロウタ・・・・・! ただでさえ三郎でダサイのに最後に『太』って何だよ『太』って!」


「そう言うなやサブ、そこまでお前を育てた親が付けてくれた名前やろが。 もっと大事にせんかいや」

 そうした三郎太の憂戚ゆうせきをばっさりと払ったのは、竜之介の一喝だった。


 すると三郎太は諦観したような気味で僕の肩からするりと腕を放し、とぼとぼと自身の席へ着き、しかと見よと言わんばかりの不貞ふてくされ具合を雑な頬杖ほおづえで匂わせながら不満げに嘆息たんそくを漏らした。


「お前らはいいよなぁ。 リュウなんか名字も名前も漫画の主人公みたいだし、ユキちゃんはユキちゃんで可愛い名前してるし、俺もユキちゃん本人見るまでは名前だけで絶対かわいい女の子だとか勝手に思ってたけど、まさかその名前で男とか反則だろ! 俺のあの時のワクワクを返せよ! 謝れよ!」


「何で僕が謝らないといけないのさ、勝手に勘違いしてたくせに」

 しつこく僕の名前に食いついてくる三郎太だけれど、彼と知り合うきっかけになったのは僕の名前のお陰と言っても過言では無い。


「あん時はわろたなぁ、優紀がトイレ行っとる間にたまたま優紀の席に座っとった女の子を『綾瀬優紀』と勘違いして声掛けよったんやからなぁ」


「いや入学当初に顔と名前が一致してない状態であんな事されたら勘違いするに決まってるだろ! こっちは連絡網でしか名前知らねーんだぞ!」


「それでも確認ぐらいしようよ。 あの時は僕まで変な目で見られたんだからね」


 三郎太は考を巡らす事よりも先に、行動を起こしてしまう性質の人間である。

 後先に頓着とんちゃくの無い彼の言動は先の勘違い騒動よろしく時に厄介を運び、僕や周囲を巻き込んでしまう事も少なくは無い。


 けれども、自分に非がある場合には即座に過ちを認めて謝罪するなど、軽薄な性格に似合わず素直なところも彼を憎めない理由の一つだろう。

 ただ、あまり態度も語勢も強く出ない僕に対してはいささか甘えが過ぎているようにも思われる。 今日のように執拗しつように絡んでくる事も最早日常茶飯の出来事だ。


 ――この二人が、校内で主に行動を共にする僕の友人達である。

 知り合いはおろか、顔見知りすら居ない遠方の高校生活が始まって間もなく気さくな彼らと出会えたのは、僕にとってこの上ない巡り逢わせだったと言えるだろう。


 そして、僕が地元の高校を選択せず、遠方の高校を選んだのにはれっきとした理由がある。 理由はあるけれども、その理由を明かす事は友人の二人には勿論、家族にだって話す事は出来ない。 真実が明かされる事となればきっと竜之介も三郎太も僕を軽蔑し、離れていくだろう。


 だから僕は、語らない。 聞かれたって、教えない。

 秘密や悩み事は、他人に明かす事によって共感されたり同情されたりして、良い心持を得られる事もある。 僕のそれも秘密であり悩み事でもあるけれど、やはり誰かに明かす事など僕には出来そうに無い。


 秘密をいだいた当初は、僕の秘密を誰かに理解されたいと心から願っていた。 けれど、今となっては理解して貰えなくても構わないし理解されようとも思わない。

 再度あのような思いをするぐらいならば、僕は自分を騙し続け、生涯この運命のろい翻弄ほんろうされる事すらいとわない。


 あの日から、僕はぼくに嘘を付き続けている。

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