ACT.5 初公演
1 開演準備
そして――その日が、ついにやってきてしまった。
三月最後の日曜日。場所は、五街道中央公園。
イツカイザー・プロジェクト主催、『ヒーローショー ~桜の戦士イツカイザー~』の記念すべき初公演だ。
その日、僕たちは朝の七時から長島工務店に集合して、搬入作業に取りかかることになった。
公演の開始時刻は、午前の部が十一時から、午後の部が二時からだったが、みんなが苦労して作りあげた舞台装置を設置させるのに、四時間という時間はけっして長すぎることもなかった。
特に今回は、開催場所が公園内の野球場だったので、地べたにまず底上げの土台から組み上げねばならない。工務店の本職が四名いるにも関わらず、それが初手からなかなかの難事業だった。
ビケ足場、というのだろうか。鉄パイプを組み合わせて足場を作り、その上にぶあつい板を敷きつめて、最後に馬鹿でかいシートをかぶせる。さらには背面と左右にやはり鉄パイプと板で三メートルていどの高さの壁を築き、前面以外を目隠しする。口で言うのは簡単だが、それだけ完成させるのに、まず二時間近くもかかってしまった。
それが済んだら、今度は音響機器や舞台セットの配置だ。
アクション・シーンがおこなわれる中央部分には何枚ものマットが敷かれ、それを中心に、桜並木のセットが組まれる。それは全部ベニヤ板に描かれた絵にすぎなかったが、写真をトレースして、それに彩色をほどこしたもので、遠目には本物の桜並木にしか見えないぐらいリアルだった。……もっとも、周囲には本物の桜の木が何十本も立ち並んでいるわけだが。
「ふう。なんとか格好はついたな」
満足げにつぶやきながら、カントクがどっかりと腰を降ろす。
格好はついたが、完成はしていない。稽古の時よりもひとまわり巨大なスピーカーが二台、舞台の両端にセットされ、ようやく配線作業の済んだオノディさんが、セットの裏にPA卓とかいう音響機器を設置していた。
それから、舞台のすぐそばにはヤギさんを、野球場の真ん中あたりにはサクラさんをそれぞれ立たせて、「よし」と真剣な面持ちでうなずく。
「これでオーケー……のはず。あやめちゃん、ちょっとこのマイクで何か喋ってくれるかい?」
「はーい。おまかせあれ!」
元気いっぱいに、あやめが舞台の上に駆けのぼってくる。
そう――恥ずかしながら、僕の呼び方は「黒川」から「あやめ」に改宗させられてしまっていた。
しかしまあ、そんな話も今は昔だ。一ヶ月近くもそう呼んでいれば、いいかげんに違和感も照れもなくなってくる。この呼び方が定着するまで、たぶん自分の年齢と同じぐらいの回数ひっぱたかれた記憶があるが。そんな記憶すら、今では懐かしい。
『マイクチェック、マイクチェック。サクラさん、聞こえますかぁ?』
スピーカーからかなりの音量であやめの声が響きわたり、サクラさんが大きく手を振ってそれに応えた。
オノディさんは少し難しい顔をしながら、カントクとともに小休止していた僕を呼びよせる。
「ゼンくん、舞台の中央に立ってくれる? 少し聞こえづらくないかなぁ?」
「ええ? そんなことないんじゃないですか?」
言われた通りにマットの真ん中まで足を進めると、あやめがいたずらっぽい笑みを浮かべて振り返った。
『楠岡禅二郎くん。今日の調子はいかがですか? キンチョーしてない? ちゃんと眠れた?』
「やめろよ、バカ。でっかい声で……なんか、ここだと少しくぐもって聞こえますね?」
「やっぱりそうだよね? 舞台の外と中でスピーカーを兼用しようってのは虫がよすぎたか……しかたない。予備のスピーカーもモニター用として舞台に上げよう」
「でも別に、何を言ってるかは聞き取れるから、そんな問題はないと思いますよ?」
「ダメダメ。万全を期さないと! ゼンくんも手伝って! ……あ、カントク、その他はこれでオッケーですよ」
「よし。それじゃあお次は、楽屋のテント作りだな。……金子くん、休憩はおしまいだ! テントをおっ建てるぞ!」
「了解」
舞台の下でくつろいでいた金子さん、それに田代と野々宮が腰をあげる。長島工務店の四名は、本日全員、作業用のツナギ姿だ。
「オノディさん、あたしは何をしたらいいですかぁ?」
「ん。あやめちゃんは……そうだ、そろそろパイプ椅子が届くはずだから、ヤギさんやサクラさんとそれを並べてくれるかい? 場所はヤギさんが把握してるんで」
「はーい。了解です!」
と、オノディさんとともに舞台を降りようとしたところで、あやめと目が合う。
あやめは「えへへ」と笑いながら。自分の着ているTシャツのすそをひっぱった。
あやめが着ているのは――というか、僕たちの半数以上は同じものをすでに身につけているのだが、それはオノディさん製作のスタッフTシャツだった。
左の胸には小さく桜のマークが、背中にはでかでかと『イツカイザー・プロジェクト STAFF』の文字が、それぞれプリントされている。カラーは、男が赤、女がピンク。プリントの色は、ともにホワイト。四日前の最後の稽古日にこれが配布されたとき、誰より嬉しそうな顔をしていたのは、やっぱりこのあやめだった。
「……そろそろ九時半か。何とか間に合いそうだね」
赤いTシャツ姿のオノディさんが、せかせかと歩きながら早口で言う。
そういえば、主催者でもなく、肉体労働にも向かないあやめとトモハルは、七時ではなく十時集合でも良い、と言い渡されていたのだが。当然のようにあやめは七時に現れて、そして、当然のようにトモハルは現れなかった。
この一ヶ月で、僕はずいぶん、あやめと仲良くなってしまった。
カントク、オノディさん、ヤギさんとも、順当に親睦を深められたと思う。
金子さんとは、最初に稽古をともにした日から、仲良くさせていただいている。
しかし――トモハル、田代、野々宮の三名とは、やはりロクな交流もないまま、この日を迎えるに至ってしまった。
まあ、この三名とは隔週ぐらいのペースでしか顔を合わせる機会はなかったので、しかたないと言えばしかたないのだが――なんとなく、この先何回顔をあわせても、彼らとはあまり交流が深まらなそうな予感がしてならなかった。
理由は単純で、おたがいにあまり興味がもてそうになかったからだ。
もともとトモハルはサクラさん以外の相手には関心すらなさそうだったし、田代と野々宮などは、意図的に僕を避けているフシすら感じられるのだった。
(まあ……九人中の五人と仲良くなれたんだから、上出来か)
そして、最後の一人たるサクラさんとは、節度ある距離を保ちながら、この一ヶ月を過ごすことができた。
何も感じていないわけではない。
これで良かったのだと、割り切れたわけでもない。
だけど今は、初公演に集中しよう――僕は、そんな風に考えていた。
僕が参加したのは、わずか二ヶ月ていどの期間だが、この世に生を受けて、こんなに慌ただしい時間を過ごした経験はない。人によっては、何と無為なことに労力をはらっているのだと呆れもするだろう。
そして、このお祭り騒ぎは今日で終わるわけでもない。むしろ、今日から始まるのだ。
来月には、デパートの屋上にて第二回目の公演が開催されることが、すでに決定されている。
それから夏には夏祭、秋には文化祭の巡業。まだ確定事項ではないものの、カントクの下準備は着々と進んでいる。もちろん来月の公演から夏までの数ヶ月を稽古のみに費やすつもりもないだろうから、そこでも何かしらの計画がすでに練られているはずだ。
今日が、終わりではない。
しかし、今日という日は、二度とやってこない。
これから何回公演を重ねるとしても、初公演、初舞台というものは、今日この日にしかやってこないのだ。
オノディさんとともに大きなスピーカーをかつぎ、まだ三月だというのに大汗をかきながら、僕は静かに昂揚していた。
「よし! それじゃあ十時四十五分までは自由時間とする! おのおの本番に備えて、英気を養ってくれ!」
カントクがそう宣言したのは、十時を十分ほど過ぎてからのことだった。
本番の開始まで、あと五十分。最後の、わずかな休息だ。
しかし自由時間といっても、舞台の設置でクタクタなので、ほとんどの人間は舞台裏の仮設テントの前にパイプ椅子をもちだして、そこでくつろぐことに決めたようだった。
座らなかったのは、三人のみ。金子さんは「ウォーミング・アップしときます」と一人テントの中に姿を隠し、オノディさんとヤギさんは台本を片手に舞台の上へと上がっていった。
僕はあやめと差しむかいで座り、残りのメンバーは少し離れたところで輪をつくる。
「……それにしても、トモハルさんは遅いなぁ」
何の気もなしに僕がそうつぶやくと、さっきからにこにこと笑いっぱなしだったあやめが突然笑みを消し、何やらおかしな具合に口もとをもにゅもにゅと動かした。
「何だよ、その顔は? 僕は何かおかしなことを言ったかな」
「いや……反射的に罵詈雑言が飛びだしそうになったから、耐えてるとこ。ゼンくんの集中力を乱したら悪いしね」
「……お気づかい、サンキュー」
僕は苦笑して、あやめの細い肩を軽く小突いてやる。
一ヶ月前。僕があやめを怒らせてしまった、例のウワサ話――その出どころは、もちろんあやめに伝えたりはしなかったが、消去法でいけば誰が犯人かはすぐに知れてしまっただろう。あれ以来、あやめはトモハルを毛嫌いしていた。……しかしまた、僕が陰口を嫌うタチだということも、あやめはちゃんと理解してくれていたのだった。
それにしても、最初は苦手でしかたがなかったあやめとこれほど仲良くなれるなんて、いったい誰に想像できたろうか。少なくとも、僕にはまったくできていなかった。この前などは、ついに僕の家にまで遊びに来てしまったし――これはもう、十六年目にして初めて出来た異性の友達、と認定するしかないだろう。
「……ま、いいや。そんなことより、いよいよ本番だね! どうする、ゼンくん?」
「どうするったって、どうしようもないだろ。ここまで来たら、まな板の上の鯉だ」
僕が肩をすくめてみせると、あやめはまた楽しそうに笑いはじめる。
「ふーん。あんがい落ち着いてるね? もっとビビリかと思ってた! あたしはさっきから、胸がドキドキして止まんないよぉ」
「うーん。僕は何だか、実感がないんだよなぁ。舞台に上がってお客さんを見たら、足がすくむかも……って、本当にお客なんて来るのかな」
このイベントの宣伝活動には、僕らはほとんど関わっていない。オノディさんの作ったウェブサイトと、市内のあちこちに貼られたポスターと、それに大量のフライヤー――僕らが手伝ったのは、二月下旬にあったわらべ町での裸祭で、そのモノクロ印刷のチラシを配ったことぐらいだった。
「そりゃあ来るでしょう。天気もいいし、桜もいい感じに八分咲きだし。午前の部はイマイチかもしれないけど、午後には花見目当てのお客さんもわんさか来るんじゃない?」
「そうなのかなぁ」
この五街道中央公園は、野球場の他にテニス場と夏用のプールまで併設された、かなり大きな公園なのだ。それに桜並木が自慢で、僕も子どもの頃は何回か花見に連れてこられたことがある。
しかし――今のところ、周囲はがらんとしてしまっている。犬の散歩をしている老人や、自転車に乗った子どもたちなどが、物珍しそうにこちらを眺めながら通りすぎていくばかりだ。百脚もレンタルして舞台の前に並べられたパイプ椅子が、かなり物悲しい雰囲気をかもしだしている。
「大丈夫だって! スタッフが十人もいるんだから、その身内だけでもけっこうな人数になるんじゃない? ウチなんて、家族総出で見にくるとか言ってたし、友達だって、まあ五、六人は来るんじゃないかな」
「……僕は誰ひとり呼んでないけど」
「えー? それはちょっとさびしすぎるなぁ! ……ていうか、ゼンくん、友達いないの?」
「いないことはないけど、まあ、あやめよりは少ないだろうな」
だいたい僕は、町おこしのバイトを始めたと告げただけで、その内容までは誰にも教えていないのだ。一人暮らしをしている兄貴が帰省でもしてきたら、まあ教えてやってもかまわないが。それ以外に興味をもつ人間がいるとも思えないし、広田や長谷川といったクラスの悪友どもを招くのは――せめてもうちょっと、僕の芝居がこなれてからにしたいものであった。
「ふーん? まあまだあと三十分以上あるんだし、もう少したてばお客さんも……あ」
と、あやめの顔からまた笑みが消える。
その視線の先を追うと、はたしてトモハルが悪びれた様子もなくのんびりとした足どりでこちらに近づいてくるところだった。
「おはようございます。なかなか立派な舞台じゃないですか」
「遅いぞ、トモハル! 十時集合と言ったろうが!」
カントクの蛮声にもひるむことなく、トモハルは芝居がかった仕草で両腕をひろげる。
「そうは言っても、別に本番までやることもないんでしょう? 自分の役割はきちんとこなしますから、心配しないでくださいよ」
今日はストライプの入った赤いウエスタン・シャツに、ダメージデニムと黒革のブーツ、といういでたちだ。きっとこれがトモハルなりの「五十嵐道」のイメージなのだろう。……まあ、そこまで役づくりを考えているかどうかも、あやしいところだが。
「……今度は何だよ? ちょっとぐらいなら、聞いてあげるよ」
またあやめが難しい顔つきで口もとを動かしはじめたので、僕は苦笑しながら顔を近づけてやる。
とたんにあやめは、僕の耳に噛みつかんばかりの勢いで口を寄せてきた。
「きちんとこなすったって、アクション・シーンはヘボのままじゃん。あれでプロの俳優目指してるなんて、よくもぬけぬけとほざけるもんだよ!」
僕はうなずき、もう一度あやめの肩を小突いてやる。
「……僕も同感だよ」
できるだけトモハルのことは悪く思わないように心がけているが、それでも、もうちょっと真面目に稽古する気にはなれないものかな……ぐらいのことは、僕も常日頃から考えてしまっている。そうすれば、きっとよりよい舞台になるだろうにな、と。
しかし、そういう僕だって、自己評価はまだ赤点だ。「本番は夏からだから」というオノディさんの言葉になぐさめられつつ、自分の演技が理想にほど遠いことは自覚しまくっている。「本番が一番の稽古だから」という金子さんの言葉もまた然りだ。
(あいつは、本当に自分の出来に満足してるのかな……)
そんなことをぼんやり考えながら、トモハルのほうをうかがってみると、案の定、さっそくサクラさんの隣りに陣取って、いつものようにペラペラと喋りかけている。
おや……と思ったのは、いつも愛想よく受け答えしているサクラさんの顔が、ずいぶん曇っているように見えたせいだった。
僕の見間違えでなければ、ずいぶん迷惑そうな表情に見える。
いや、迷惑というよりは、困惑か。
せっかくカントクたちと、本番前のひとときを楽しく過ごしていたのに――とでも考えているのだろうか。
しかしまあ、それもしかたがないかもしれない。二人の会話などロクに聞いたこともないのだが、少なくとも僕の知る範囲では、トモハルの口からこのプロジェクトや舞台について語られることは、一切ないのだ。話題に出るのは、自分がやっている俳優――というか、エキストラ――の仕事についてや、流行りの音楽がどうしたこうしたとかいう話ばかりなのだから。
僕だったら、ついにあと数十分後に初公演のせまったこの希少な時間に、そんなよもやま話など聞きたくはない。
サクラさんも、きっとそうなのだろう。
そう思いいたるなり、僕はほとんど無意識のうちにパイプ椅子から腰をあげてしまっていた。
「あやめ、悪い。ちょっと行ってくる」
「え?」
きょとんとするあやめに意味もなくうなずきかけてから、サクラさんとトモハルのほうに足を向ける。
「すみません、サクラさん。舞台上のセットのことで、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「……はあ?」
おかしな声をあげたのは、もちろんトモハルのほうだ。
サクラさんはびっくりしたように目を見開いて、ただ僕の顔を見上げている。
「何だよ、唐突に? 今、オレが喋ってるんだけど?」
「はい。その話が済んでからでいいですけど、本番前に確認しておきたいんで。……手が空いたら、ちょっと来てもらえますか?」
それだけ言い残し、僕はすみやかにきびすを返した。
「何やってんの?」と言わんばかりに眉をひそめているあやめのかたわらを通りすぎ、舞台の裏から客席のほうまで足を進める。
舞台の上にはヤギさんが立ち、セットの陰にひそんでいるらしいオノディさんと何やら大声で言葉を交わしていた。話の内容までは、さすがに聞こえてこない。
幅は十メートル、奥行きは五メートルほどの、さほど大きくもない舞台。
もうすぐここで、僕たちのショーが開催されるのだ。
なんだか――ちっとも実感がわいてこなかった。
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