ACT.4 再起
1 孤軍奮闘
翌日の、日曜日。
僕はひとり、自室のベッドで呆けていた。
何かしなくてはいけないと思いつつ、何をすればいいのかもわからない。
完全に、脱力状態だった。
こんなときこそ雑用係としてコキ使ってくれれば、不穏な気持ちをまぎらわすこともできるのに、枕もとに置いた携帯電話は朝からピクリとも動かない。
いや――それでは、あまりに他力本願か。
僕がこんな気分に陥ってしまったのは、それはもう何ひとつ言い訳の言葉が見つからないぐらい自業自得のことなのだから、誰に助けを求めるのも筋違いだとしか思えなかった。
(……何をやってるんだろうな、僕は)
せっかくアクション・シーンを演じることにやりがいや達成感を見いだせるようになってきた矢先に、サクラさんばかりではなく黒川ともいらぬ衝突を起こしてしまい、結果、かつてないほどの自己嫌悪を抱えることになってしまった。
自分は、こんなにも人間づきあいの下手な人間だったのか。
黒川に、謝りたい。
しかし、今はまだその気力を振り絞ることさえできない。何と言って謝ればいいのかもわからない。愚鈍な上、卑劣だ。自己嫌悪の悪循環は止まらない。
「……台本でも読むか」
重い頭を持ち上げて、ベッドの上に半身を起こす。
気持ちも考えもまとまらないのなら、せめて今はプロジェクトにまつわることで頭をいっぱいにしてしまいたかった。
贖罪――などと言ったら言いすぎなのだろうけれども、この暗澹たる気持ちをテレビやゲームなどでまぎらわせてしまうのは、何かに対するものすごい裏切り行為だと思えてならなかったのだ。
立ち上がり、机の上に放りだしておいた二話目の台本に手をのばしかけて、僕はふっと動きを止める。
白い無記名のDVD-Rのディスクが、台本や設定資料集の上に積み重ねられていた。
昨晩オノディさんに手渡された、稽古風景の映像をおさめたディスクである。台本などはとっくに暗記してしまっていたので、僕はそちらを鑑賞することにした。
兄貴から譲り受けた年代物のデッキにディスクを挿入し、テレビをつける。
映しだされたのは、おそらく稽古時間の終了まぎわに取り行われた、音響つきの通し稽古だった。
『……これできちんと撮れているのかな?』
と、いきなり陰鬱な声音が響きわたって、僕は何がなしギクリとする。
ヤギさんか。声だけでも迫力のあるお人だ。
『はい。大丈夫です。停止ボタンは、これですね』
そして――鈴を転がすような、少女の声。
サクラさんだ。
僕は頭を振りながら、力なく座椅子に腰を下ろした。
体育館の壇上で、トモハルが三人の『戦闘員アブラム』および『ケムゲノム』に囲まれている。
それを上座から、床に膝をついて見守っているのが、僕――『イツカイザー』だ。本番ではセットの裏に身をひそめることになっているのだが、こんな風に姿が丸見えだと、とてつもなく滑稽だった。
『来い! ゲノミズムの怪人どもめ!』
真面目くさった声で言い、トモハルがアブラムたちと格闘しはじめる。
壇上全体を映せる位置でカメラが固定されているために、表情までは見てとれない。だけどまあ、僕の記憶にある通りの、チープでお粗末な格闘シーンだ。
やがて、劣勢になったアブラムたちに助勢すべく、『ケムゲノム』がのそのそと進み出て、トモハルは『変身! イツカイザー!』を叫び――『イツカイザー』が、トモハルと入れ替わりに舞台の真ん中へと躍り出た。
…………。
十分後、僕は再び頭からディスクを再生した。
さらに十分後、また頭からディスクを再生する。
そうして三回ばかりも、ぶっつづけで鑑賞し終えて――僕は、言葉を失っていた。
……なんだこりゃ?
言葉にするならば、そうとしか言い様がなかった。
印象が、全然違う。
僕の頭に思い描いていたのとは、まるきり異なる情景が、そこには歴然と記録されていたのであった。
(なんてこった……)
いくら何でも、もう少しはマシな出来になっているだろうと思いこんでいた。
トモハルたちのことではない。彼らのお粗末さは、最初からわかりきっていた。
問題なのは、僕だ。『イツカイザー』だ。
『イツカイザー』が、カッコ悪すぎる。
こんなもの、ヒーローでも何でもない。
ヒーローの格好をした、ただのド素人だ。
アクションはぎこちないし、決めポーズもサマになっていない。着ぐるみの出来がいいぶん、その動きの稚拙さはあまりにも顕著だった。
(いやいや、金子くんこそ、さすがです。どこがどうとは言えないけど、すごく怪人の雰囲気が出てますからな! それに比べたら、ゼンくんはまだまだオーラが足りない)
オノディさんの言葉が、脳裏に蘇る。
雰囲気。
そう、雰囲気だ。
こんなロングのショットなのに、『ケムゲノム』にはすごく迫力がある。その不気味な外見に相応しいモンスターじみた身のこなしで、ぶんぶんと触手を振り回している。
動き自体は単調なのに、何だか、ものすごくサマになっているのだ。
テレビで観る、あまたの怪人・怪獣たちと同様に。
それにひきかえ、『イツカイザー』ときたら……動きは固いし、テンポも悪い。台本の通りに動いているし、どこにも大きなミスなどはないのだが、とにかく、どうしようもないぐらい素人くさい。
こんな姿を見て、黒川は「カッコいい」などと言ってくれたのか。
「上達した」と金子さんは言ってくれたのか。
「頑張ってるね」とサクラさんは言ってくれたのか。
僕は、足もとが崩れ落ちていくかのような絶望感を味わわされてしまっていた。
これだったら、アブラムたちのほうが、数段マシだ。
コミカルで面白いという黒川の言葉も、理解できた。動き方は大仰で、僕に劣らず素人くさかったが、特撮番組ではなくヒーローショーのアクションなのだという目線で見れば、これでちっともかまわない気がする。
特にカントクのドタドタした動きは、大いに子どもたちの笑いを誘うだろう。これでトモハルがきちんと格好よく動ければ、完璧だと言えるぐらいかもしれない。
そこに現れる、奇怪な『ケムゲノム』。
茶番は終わりだとばかりの迫力で、トモハルを追いつめる。空気が一変する。緊張感が張りつめる。
そして――『イツカイザー』が、台無しにしてしまうのだ。
何が、百点満点で十点、だ。
こんなものは、0点だ。
僕はこんな拙い姿をさらしながら、トモハルや田代たちを批判していたのか。
トモハルには、確かにまだまだ向上の余地がある。アブラムよりも強いのか、弱いのか、とても中途ハンパな印象に見えてしまうのだ。格好をつけているのに、そんなに強くない。そういった主人公らしからぬチグハグさが、こんな小さな映像からも見てとれてしまう。
だけどやっぱり一番ふがいないのは、『イツカイザー』だった。
一生懸命にアクションを演じている。ただそれだけだ。
こんなもの、主人公じゃない。
僕が子どもの観客だったら、たぶん一も二もなく『ケムゲノム』を応援するだろう。
そして、こんなに格好の良くないヒーローに負けてしまう『ケムゲノム』に、ガッカリしてしまうだろう。
僕は、とてつもない焦燥と恐慌に襲われてしまった。
(どうしてだ? ……何がそんなに、まずいんだ?)
昨晩オノディさん宅のアジトで観た広告動画用の映像は、アクション・シーンも切り張りだったし、それこそテレビ番組みたいなアングルやカットだったから、全体像を把握できなかった。そこそこサマになってるじゃないかと、ささやかな満足感を得られるぐらいだったのだ。
まったくもって、とんでもない思い違いをしていた。
いくら何でも、これはひどすぎる。
こんなもの、とうてい他人様の目にはさらせない。
僕は四たび映像を見返したが、「素人くさい」という印象が強まるばかりで、まったく解決の糸口を見つけることはできなかった。
(落ち着け……とにかく、原因をはっきりさせないと!)
まずは、ポージングの拙さか。
照れくささなどはとっくに払拭したつもりだったが、それでも大仰さが足りない。自分がイメージしていたほど腕が上がっていないし、足が開いていないし、背筋がのびていない。堂々としていないのだ、要するに。
僕は座椅子から立ち上がり、恥も外聞もなく、登場シーンのポーズを決めてみた。
これじゃあ、駄目なのか。
胸をそらし、足を開き、肩関節の限界まで腕を振りかぶってみる。
どうなのだろう?
全身を映せる鏡が欲しい。
どうしてもっと早い段階から稽古風景を撮影してもらわなかったのか。僕は、激しく後悔することになった。
(アクション・シーンは……そっちでも思い切りが足りないけど、それだけじゃないよなぁ)
金子さんなどは、ほとんど触手以外は動かせない不自由な姿なのに、きっちり迫力のある『ケムゲノム』を演じきっているのだ。
僕と金子さんの差は、何だ?
とりあえずは、動きの緩急か。
普通のパンチと『カイザー・ナックル』の差が感じられない――そういえば、そんな風に批判されたこともある。
よく見れば、金子さんのほうは、きちんと差をつけているではないか。
僕のアクションは変わり映えしないのに、普通のパンチと『カイザー・ナックル』を受けるときとで、のけぞりかたの角度が違う。
『カイザー・ナックル』をくらったときの『ケムゲノム』は、本当に苦しそうだ。
それなのに、『イツカイザー』のアクションに変化はない。
だから、素人くさく見えてしまうのか。
『カイザー・ナックル!』という掛け声が、取ってつけたように聞こえてしまうのか。
(僕は、本当に……台本の動きをなぞっていただけなんだな)
もちろん、僕は素人だ。素人くさいのが、当たり前だ。
稽古を始めてから、およそ一ヶ月半。現時点での完成度がこのていどであることは、しかたがないのかもしれない。
問題は、今の今まで、僕が自分の出来栄えに満足してしまっていたことだ。
もちろん、自己評価は十点だった。向上の余地などいくらでもある、とも思っていた。しかし、このまま順当に稽古を重ねていけば順当に成長していくだろうと、僕はタカをくくってしまっていた。
これは、そんなレベルのお話じゃない。
一割ぐらいの割合で、僕は満足のいく動きができていると思っていた。しかしこうして映像で見返してしまうと、いつどの動きに満足がいっていたのか、ちっとも思い出すことができない。主観と客観でここまでの隔たりがあるのかと、僕は恐ろしくなるぐらいだった。
けっきょくその日、僕は食事とトイレとフロ以外では、一歩として部屋の外に出ることもなかった。
DVDを見返し、台本を読み返し、階下の両親に叱られぬていどに、ドタバタとアクションのおさらいをして――果てには、煮詰まったあまりに、オノディさんから借りっぱなしであった昭和ヒーローのDVDまで研究・分析する羽目になってしまったのだ。
翌日には、ホームセンターで大きな姿見まで購入してしまった。
30センチ✕140センチのサイズで、お代は3980円。全身を映すにはちょっと物足りないが、ないよりはマシだ。
夜には金子さんから個人レッスンのお誘いもあったが、まだそんなレベルではない気がしたので、丁重にお断りした。
これはいわゆる、逃避行動なのだろうか。
個人稽古に没頭したところで、僕が黒川を傷つけた罪が消えるわけでもない。サクラさんの心労が軽くなるわけでもない。何かに熱中することで、僕は重苦しい現実から逃げているだけなのかもしれない。
だけど、誰よりも初公演の成功を願っているのはサクラさんだったし、映像で全体の流れを把握すべしと提案してくれたのは黒川だ。
今の僕には、これしかやれることはない。
黒川に会ったら、謝ろう。
サクラさんに会ったら、何気なく振る舞おう。
そんな決意を固めることで自己嫌悪やら何やらに折り合いをつけ、僕はただひたすら孤独な稽古に打ち込んだ。
そんなこんなで、水曜日までの三日間は、あっという間に過ぎ去っていったのだった。
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