3 交錯

 その後のことは、あまりハッキリと覚えていない。

 オノディさんとヤギさんの指示に従って、がむしゃらに『イツカイザー』を演じ、カメラの前でポーズを決め、『ケムゲノム』を討ち倒し――気づけば太陽は西に傾き、時刻は午後の五時を回ろうとしていた。


「うん、だいぶ薄暗くなってきたし、もう限界ですな。……これで終了といたしましょう! みなさん、おつかれさまでした!」


「はーい。おつかれさまです!」


 オノディさんの宣言に、黒川が元気よく返事をする。

『イツカイザー』の姿でぼんやり立ちつくしていた僕は、ふいに背後から肩を叩かれて、ゆっくりと振り返った。

『ケムゲノム』の不気味な顔が、はるかな高みから僕を見下ろしている。


「おつかれさま。予想以上の長丁場だったね。……ゼンくん、大丈夫かい?」


「え? 何がですか?」


「いや、何かいつもと様子が違うからさ。出来は悪くなかったけど、なんだか少しヤケクソっぽく感じたかな」


「そうですか? すみません。集中力が足りないですね」


 僕は、いつもの通りに――いや、いつも以上に芝居のことだけを考えて、『イツカイザー』を演じていたつもりだった。

 それ以外に、僕にはなすすべがなかったのだ。


「いや、むしろ集中はしてたみたいだけど……身体の調子でも悪いのかい? それとも、何か悩み事でもあるのかな?」


「……大丈夫です」


「そうかい? まあ、俺なんかに相談したって何にもならないだろうけどさ。気が向いたら、いつでも何でも話してくれよ」


 そう言って、『ケムゲノム』はしずしずと僕の視界から退場していった。

 薄暗い資材置き場。自分らの撮影が終わるなり帰宅してしまった田代と野々宮のほかは、全員居残っている。

 オノディさんとヤギさんはカメラのモニターをのぞきこみながら何やかんやと言い合っており、黒川はカントクと談笑をはじめ――あとの二人は、言わずもがな、だ。


「よし! それじゃあ我々は、さっそく編集作業に取りかかります! おひまな方は我が家に集合して、ご意見番をつとめていただけるとありがたい!」


 オノディさんがまた大声を張り上げると、とたんに黒川がカントクのもとを離れてちょこちょこと駆け寄ってきた。オノディさんのほうにではなく、僕のほうにだ。


「ね、編集作業だって! 面白そう! ちょっとノゾキに行ってみようよ!」


「いや、僕はいいよ」


「えー? いいじゃん! おじさまがたの中に若者一人じゃさびしいよぉ。……あっちの若者さんたちが参加したところで、あたしは仲間外れにされちゃいそうだしさ」


 と、黒川は横目で僕の背後をうかがったが、僕は振り返る手間をはぶいた。


「それじゃあ、俺は失礼しますね。……誰かファスナー下げてくれません?」


 金子さんが、くぐもった声で言う。

 その向こうから、サクラさんの申し訳なさそうな声が聞こえてきた。


「……私も、これで失礼します」


 オノディさんが、きょとんとした顔でそちらを振り返る。


「あれ? サクラさん、帰っちゃうの?」


「はい。今、モンシロゲノムの羽を補強してるんです。やっぱりちょっと耐久度が心配になっちゃって……」


「そうかぁ。でも、モンシロのお披露目は四月以降になると思うから、そんなに急がなくても大丈夫だよ?」


「はい。でも、やれるうちにやっちゃいたいんで、ごめんなさい」


「謝る必要はないでしょ! また手伝いに行けるときは行くから、それまでよろしくね!」


 高いテンションは持続しつつ、オノディさんの声もほんの少しだけ心配そうだった。

 そういえば、サクラさんが元気ではないという話は、僕だけでなくオノディさんやカントクも聞いているのだ。


「それじゃあ、編集作業はお願いします。……みなさん、おつかれさまでした」


 本当は、そちらを振り返りたくはなかった。

 だけど、サクラさんと今以上に気まずくなるのは、もっと嫌だった。

 だから僕は、振り返った。『イツカイザー』の装束を解いていなかったのが、幸いだ。


「……ゼンくん、おつかれさま」


 僕の胸もとあたりを見つめながら、サクラさんが頭を下げる。

 その姿を黒いゴーグルごしに見つめながら、僕は無言で会釈を返した。

 その隣りに立つ男の表情までは、別に確認する必要もないだろう。


「トモハルくんも、忙しい中をありがとね。また時間のあるときはよろしく!」


「はい。ちょっと映画のほうでバタバタしちゃってますけど、どうせそっちはチョイ役だから、なるべく顔を出せるように調整しますよ」


 そんな言葉を残して、トモハルはサクラさんとともにきびすを返した。

 僕はその二つの背中から視線をもぎはなし、『イツカイザー』のマスクに手をかける。


「……なんか、ワケアリな雰囲気だよねぇ。二人だけの世界を作っちゃってる感じだなぁ」


 何かを不審がるような声で言いながら、黒川がじっと僕の顔を見つめやってくる。

 背が低いから、その複雑に結いあげた茶色い頭は、僕の肩ぐらいまでしか届かない。


「で、ほんとにゼンくんも帰っちゃうの? 帰って何するのさ。オノディさん家に行くより楽しいことでも待ってるの?」


 そんなものは、何ひとつない。待っているのは、悶々として眠れぬ一夜だけだろう。


「暗い顔しちゃってさぁ。ゼンくん、わかりやすいよね。……そんなウックツとしてるなら、みんなでワイワイ騒いでたほうがいいんじゃないの? あたしも、もっとゼンくんと喋りたいなぁ」


「…………」


「それでゼンくんがちょっとでも元気になれたら、あたしも嬉しいしさ。……ま、サクラさんの代役なんて、まっぴらごめんだけどね」


 そんなことを言いながら、黒川は白い歯を見せて、にっと笑った。


                    ◇


 そうして僕は、けっきょくオノディさんの家までのこのことついてきてしまった。

 年長組三名は電器屋オノディの社用車で先行したので、僕はまた黒川と二人乗りで駆けつけたのだが、『イツカイザー・プロジェクト』のアジトに到着するなり、彼女は実に素っ頓狂な声をあげることになった。


「すごい! 何これ! 話には聞いてたけど、想像以上ですね!」


「そっか。あやめちゃんは初めてだっけね。せまいところだけど、くつろいでくださいな」


 巨大ラックからDVDとフィギュアと雑誌のあふれかえった、オノディさん宅の六畳間。黒川はきょろきょろと物珍しげに視線をさまよわせながら、なかなか腰を下ろそうとしない。


「今さらですけど、ほんとに好きなんですねぇ、特撮ヒーローが!」


 本当に、今さらの感想だ。

 しかし、オノディさんはまんざらでもなさそうに、薄っぺらい胸をそらす。


「そりゃあもちろん、全身全霊をかけてファンだけどね。でも、コレクションの量でいえばヤギさんには全然かなわないし、いっぽうカントクはほとんどソフトを持ってないくせに一番の博覧強記なんだから、これまたタチが悪い。ボクなんて、まだまだヒヨッコだね」


「タチが悪いとは何だ。ガキの頃、うちは貧乏でビデオもなかったから、一瞬も見逃すまいと集中して観賞してただけだ」


「貧乏じゃなくったって、ボクらが子どもの頃はまだビデオレコーダーなんてロクに普及されてなかったでしょうに。……ああ、とにかく座って座って。おなかが空いたらピザでも頼むから、ぜひとも忌憚のない意見をよろしくね!」


「はぁい」と、ダウン・ジャケットをハンガーに吊るし、ようやく黒川もぺたんと座布団に着地する。


 しかし、ビデオカメラとドッキングしたノートパソコンのモニターをそんなに大勢でのぞきこむことはできないので、ひとまずオノディさんとヤギさんの二人で最低限の編集作業を済ますことになり、僕と黒川とカントクは、しばらく蚊帳の外に放りだされることになった。

 手持ちぶさたのカントクに、黒川は「そうそう」と話しかける。


「そういえば、この前ルリちゃんとバッタリ会いましたよ。お父さんが迷惑かけてないかって心配してたから、全然大丈夫って言っておきました!」


「……あいつは男のロマンってやつをまったく理解できとらんからなぁ。あやめくんやサクラくんの爪のアカでも煎じて飲ませてやりたいところだ」


「あはは。でも、あたしも実の親がこんな強烈なマニアだったら、やっぱりちょっと心配になるかも!」


 サクラさんの代わりに、黒川がいる。

 そして、初めてオノディさんの家に来たはずの黒川が、まったく物怖じする様子もなく楽しげにしているのが、何だかすごく不思議な感じだった。

 だけど、別に嫌ではないし――それに、四人がそれぞれの会話に興じてくれれば、僕はゆっくりと、心ゆくまで自分の想念にひたることができた。


(一人で家で悶々とするのは、まっぴらだけど……)


 それでも、考えこまずにはいられない。

 サクラさんについて。

 そして、トモハルの語った言葉の内容について。


 みんなの声を聞くでもなしに聞きながら、僕はようやくとっちらかったまま収拾のついていなかった気持ちや考えをまとめる時間を得た。


(要するに……僕の存在が、サクラさんにとっては負担だってわけだ)


 それは、どうやら認めざるを得ないようだった。

 たとえば、こんな時期に『イツカイザー』のスーツアクターを失ってしまったら、それはそれは困るだろう。どんな代役を立てようと、三月の公演はキャンセルするしかなくなるだろうし、そんな事態は誰だって回避したいに違いない。


 だから、僕と衝突したくない。

 それは、わかる。

 だけど――僕とサクラさんは、たったの一回、気持ちがすれ違ってしまっただけではないか。

 たったそれだけのことで、僕はサクラさんに見切りをつけられてしまったのだろうか?


 ……そうだとは、思いたくない。

 サクラさんはただ、慎重になりすぎているだけだ。

 そうとでも思わないと、やりきれなかった。


(だったら、僕は……証明していくしかない)


 自分はそこまでいいかげんな人間じゃない、と。

 少しぐらい衝突したところで、このプロジェクトを辞めたりはしない。いくら何でも、そこまで無責任な人間ではないつもりだ。


 サクラさんにそこまで信用されていなかったのかと思うと、むなしさのあまり首をくくってしまいたくなるが……だけど僕たちは、いまだに出会ってから一ヶ月ちょっとしか経ってはいないのだ。信頼関係なんて、時間をかけて積み上げていくしかないだろう。


 僕がどういう人間であるかを、知ってほしい。

 その上で、拒絶されるなら――そのときは、そのときだ。そのときこそ、大いに悩み、苦しめばいい。


(それにしても……)


 あのトモハルという男は、いったい何を考えているのだろう。

 サクラさんと友達づきあいをしたいなら、プロジェクトを辞めるべき。プロジェクトに残りたいなら、仕事仲間に徹するべき。……そんなようなことを言っていたが、それではあいつ自身はいったいどういうスタンスでこのプロジェクトに取り組んでいるのだろうか?


 どうやらあいつも、サクラさんには特別な感情を抱いているらしい。

 しかし、このプロジェクトには何の思い入れもない、とも言っていた。

 ならば、あいつこそこのプロジェクトから身を引くべきなのではなかろうか?


 それとも何か、余人には知れぬ事情や感情が介在しているのだろうか?

 そもそもあの二人は、いったいどういう関係なのだろうか?


(あいつがいつからこのプロジェクトに参加しているかは知らないけど、まあ少なくとも僕なんかよりは長いつきあいなんだろうしな……)


 だいたい僕は、サクラさんに恋人がいるかどうかすら、知らないのだ。

 漠然と、こんな忙しくては彼氏とデートするヒマもなかろう、とか思っていただけで。たとえば、あのトモハルのやつがサクラさんの恋人だ、という可能性すら、ゼロではない。


 そんなことはありえないと思いつつも、可能性としては否定できないだろう。

 少なくとも、トモハルはサクラさんが個人的な悩みを打ち明けるぐらいの近しい存在ではあるのだろうから。


(なんだか、ピンとこないんだけどな……)


 俳優を目指しているぐらいなんだから、そりゃあトモハルの見栄えは良い。しかし逆に言えば、僕はまだそれ以外にトモハルの長所をひとつも発見できていなかった。


 特撮ヒーローなどには、まったく興味がなさそうだし。

 アクション・シーンに関しては、素人に毛が生えたていどのレベルだし。

 そして何より、大勢のメンバーが集まっている場で、臆面もなくサクラさんにばかり声をかけることができる、その人間性に、僕はあまり魅力を感じなかった。


 それだったら、まだちゃんと他の人間とも交流できるこの黒川のほうが、何百倍もマシだ――そんな風に考えながら、横目で黒川のほうをうかがうと、運悪くそのネコみたいにでっかい目とばっちり視線がぶつかってしまった。


「なぁに? 陰気な目で人の顔を盗み見て。……ゼンくんもちょっとは会話に加わりなよ!」


「ああ、いや、僕は……」


 僕が何か言い訳めいたことを口走ろうとしたとき、ポケットの中の携帯電話がバイブしはじめた。

 いくぶんほっとして電話を取り出し、そのディスプレイを見て、息を呑む。

『麻生さくら』の五文字が、そこには点滅していた。


「……ちょっとすみません」


 何か言いたげな黒川やカントクらに頭を下げて、部屋を出る。

 通話ボタンを押す指先が、少し震えてしまった。


『……ゼンくん? ごめんね。さっき別れたばかりなのに』


 本当に、まだ別れてから一時間もたっていないというのに――その声は、数日ぶりに聞くぐらい懐かしく感じられてしまった。


「大丈夫ですよ。今、オノディさんの家です。……どうしたんですか?」


『うん。あっちではゆっくり話す時間がなかったから……ていうか、みんなと別れてから、トモハルくんに話を聞いたの』


「話?」


『そう。ごめんね。まさかトモハルくんが、ゼンくんにそんな話をするなんて思ってなかったから。……嫌な気分にならなかった?』


 ああ、そうか。

 トモハルはサクラさんに頼まれたわけではなく、自主的にメッセンジャーの役割を果たしただけなのだろう。


「嫌な気分になんて、なりませんよ。そりゃあまあ、サクラさん本人と話すにこしたことはないですけど……彼も、善意でやったことだろうし」


『うん。悪い人じゃないんだけどね。ちょっと、マイペースなところがあるから……でも、私の今の心境は、彼が話した通りの感じなの』


 やっぱり、そうなのか。

 アレはトモハルの捏造したものではなく、確かにサクラさんの本心だったのか。


 僕とは、できるだけ接したくない。

 プライヴェートでは、関わりを持ちたくない。

 僕としては、『カイザー・スラッシュ』で胴体を真っ二つにされたようなものだった。


「そうですか。それなら、問題ないですよ。誤解や食い違いがないなら、それでいいんです」


 僕は意識的に声のトーンを上げながら、そう答えた。

 まったくの平静でいられるわけはない。

 しかし、平静を装うぐらいのことなら、僕にもできた。


「今は稽古に集中しましょう。初公演まで、あと一ヶ月と少ししかありませんし……僕だって、友達づくりのためにこのバイトを始めたわけじゃないですからね。サクラさんたちの熱意にはおよばないんでしょうけど、このプロジェクトをきちんと成功させたいですよ」


 サクラさんの声が、ふいに途絶えた。

 それがちょっと不自然なぐらいの長さにまでおよんで、僕が少し心配になりかけると――思いも寄らぬほど明るさを増した声が、受話器から響いてきた。


『そうだよね! 初公演、頑張ろう! ……ゼンくんがそんな風に思ってくれてるんなら、私、嬉しいよ』


 嬉しい……のか。

 本心を呑みこんで、強がりに強がりを重ねて吐いた僕の言葉が、サクラさんを、安心させたらしい。

 自分の目論見が的を射たにも関わらず、僕はその場にへたりこんで、いっそ泣きだしたいぐらいだった。

 しかし、泣いてしまうわけにもいかない。


『ゼンくんの気持ちが聞けて良かった。トモハルくんに話を聞いたときは、どうして勝手にそんなことをするのって、すっごくイヤな気持ちになっちゃったんだけど……結果的には、これで良かったんだね』


「……そうですね。そうだと思います」


『頑張ろう。絶対、悔いが残らないように』


 何かを決意するかのような、サクラさんの声。

 ここ数日は元気がなかったが、サクラさんだってカントクたちと同じぐらい、このプロジェクトにすべての情熱をかたむけているのだ。

 その成功を願うゆえに、僕とはあまり交流したくないというのは、何とも切ない話だったが――しかし、サクラさんの望みは、僕の望みだ。


 サクラさんの、喜ぶ顔が見たい。

 そう思えば、自分の気持ちを押し殺すことなど、造作もない――わけでもないが、造作もないフリぐらいならできるだろう。


 それに、今なら僕だって、サクラさんのためだけに頑張っているわけではない、と思うことができる。

 サクラさんとの出会いはあくまできっかけにすぎず、僕だってこのプロジェクトに僕なりのやりがいや意気込みをもつことができた。それは、けっして嘘ではない。

 サクラさんとぶつかることで、そして、自分よりも覇気の感じられないトモハルや田代たちと顔を合わせたことによって、僕はその事実を確信してしまっていた。


『……この前の稽古でも、今日の撮影でも思ったけど、ゼンくん、本当に動きが見違えたよね』


「え?」


『それも、伝えたかったの。この前も、今日も、うまく言うことができなかったから』


 受話器の向こうで、くすりと笑う気配がする。


『まだまだ発展途上だけどね。……でも、ゼンくんがすごく頑張ってるのがわかって、嬉しかったし、私も頑張らなきゃって思ったよ……ゼンくん。ありがとう』


「いや、そんな……」


『ゼンくんがこのプロジェクトに参加してくれて、本当に良かったと思ってるよ。……今日は話を聞いてくれてありがとう。それじゃあ、また水曜日ね』

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