第14話 猫カフェ

 

『つまり、藤本くんは不安なんだね』


 昼休みに雪見先輩からそう言われた。


 俺が吉川に誘いを断られるのを不安がってる?


 まさか。そりゃあ、人尽部が無くならないためには吉川の協力が必要だろうけど、無理なら無理だったってだけの話。他をあたるさ。


ふぅ、と満足気な表情をたたえた吉川が隣に立った。


「吉川ってこの後時間ある?」


「まぁ、17時ごじまでに家に返してくれるなら大丈夫だけど」


「じゃあさ、ちょっと付き合ってくれよ。最高の癒しをお前に与えてやろう」


 本当は自分が行きたいだけだけど。


「癒しより心臓が高鳴るような刺激が欲しいわ。……でも気になるから行く」





 バスに乗り、揺られること約5分。

 大型商業施設の一角にその猫カフェはある。


 木造りのお店を前に、吉川は肩にかけたスクールバッグの紐をぎゅっと握りしめた。


「よ……寄り道なんて初めて。しかも、猫カフェこんなところ……。本当に学校帰りに立ち寄ってもいい場所なの? 警察来ない? それはそれで興奮するけど」


「大丈夫だよ。しかも学割あっから」


「がく、わり……?」


 未知の文明に触れたみたいに首を傾げ、言葉をオウム返しする。


 マジかよ……学割も知らねぇとか、とことんビニールハウスでぬくぬくと育てられたお嬢様だな。


 庶民の感覚を教えてやりますよ。


「よし、じゃあ行くぞ。楽園へ」


「楽園!? ここは天国なの!?」


「解釈によっては合ってる」


 ……っ!? ちょっと待て!


 俺は腕で吉川を制止した。


 なんだあのネコは!? 入口のガラスに顔面を押し付けて外の世界に踏み出して仕方ないといった様子だ。


 そして、吉川も気づいたのか、


「……かわいい」


 とボソッと呟く。


 すっかり忘れていたが、これは交渉なのだ。

 簡単にあの猫と触れ合わせてなるものか。


「なぁ、吉川ァ……お前さ。あのネコちゃんと戯れたいか?」


「えっ!? そ……それは少しぐらい触れたいと思ったのは否定しないけど」


 ここで不安が晴れた。吉川は猫アレルギーじゃない! この一瞬だけは現実が夢に勝ったと言っていいだろう。


 しかし、吉川。その何かを期待する顔。

 ふっ……所詮は煩悩にまみれた醜い人の子よ。


 俺はスマホを画面を吉川に見せつける。


「60分、1200円。さらに、初回サービスと学割適応で880円だ。だとしても真に戯れるためには課金が必要。それを加味すると決して安くない。……しかし、お前が俺の条件を飲むならここは俺が持ってやる」


「なっ……!? 藤本くん、あなたどこまで人を捨ててるの!?」


「お前に言われたかねぇが……さぁどうするぅ〜?」


 キョロキョロとしてネコから意識を外そうとしているようだが、それは無駄よ。なんて今あのネコはお前のブンブンふりまっくてる髪の毛に興味津々だからなぁ!


 吉川……お前の敗因はたった一つ。無知!

 ネコは揺動に弱く、お前のサラサラロングヘアは──言うなれば猫じゃらし! 頭から猫じゃらしを生やしているような奴、格好の餌食という訳だ!


 チラチラとネコを窺いながら、吉川が恥じらうように口を開く。


「わ、分かったわ……」


「ん〜? 聞こえんなぁ?」


「あ……あなたの条件を飲むって言ってるのっ! だから早く私を楽園に送ってちょうだい!」


「交渉成立ぅ……!」







「説明は以上となります。あっ、こちらパンフレットです。それではごゆっくりどうぞー」


「あっ、ありがとうございます! いよぉし……行くぞぉ、吉川ァ」


「いつまでその取り立て屋みたいなキャラ続けるのよ」


 店員さんから説明を受けて2人がけのテーブルに案内された。平日の昼下がりという条件もあってか、俺達の他に客は見当たらない。


 ネコちゃんはまだかしら、と昂っている吉川を見越したように奥の部屋からネコが一斉射出。


 さすが猫カフェの猫だ。とにかく人懐っこい。足元に擦り寄ってきたトラ柄の猫は吉川を堕とすには十分すぎる威力だった。


「か、可愛い……こんなの私、おかしくなるかもしれないわ」


「もう既におかしい人だから大丈夫だ」


 あちらこちらに目移りして、落ち着きがない。キャッキャッと騒ぐ勢いそのままにスマホを取り出した。


「撮ってもいいのかしら?」


「いいと思うよ……フラッシュは切っとけ」


「やり方が分からないわ」


 ほれ、と設定をいじって返すと全く自重しない。


 ねこタワーの傍まで寄って、吉川が登り始めるんじゃないかと心配になるほど手を伸ばして──パシャリ。テッペンでふてぶてしい顔のネコを撮れて満足そう。


 かと思えば、次は窓際で日向ぼっこをするネコをパシャリ。同じ目線になりたいのか、地面に顔を擦り付けてまたパシャリ。


 その後も右へ左へ移動してパシャリパシャリ。


 写真を撮る度に、「見て見て」と嬉しそうに見せてくる。


 2枚に1枚はブレブレなのはどうにかしろ……

 スマホの手ブレ補正、敗れたり。


「藤本くん。そのままじっとしててね」


 突然、吉川が俺の方にスマホを向けて写真を撮った。あまりに一瞬の出来事過ぎて嫌がる素振りすら叶わなかった。


「おい、俺は写真とられるのは苦手だ。早く消せ」


「それは無理よ」


 だって、と付け加えながら画面を見せてきた。


 いや、なんとなく分かってましたよ?

 ずっしりと重い……そして柔らくて暖かい。割と早い段階から頭の上に感じてました。


「可愛いわね」


 俺の頭の上でのべーっとだらける白猫。

 軽やかな身のこなしで、膝に上ってきたのかと思ったら腕を伝って肩──そして頭の上で寝息を立て始めやがった。


「このだらけきった顔なんて藤本くんにそっくり」


「んなわけないだろ。俺はもっと活気に溢れてる」


 にゃあ、と喉を鳴らして尻尾でペチペチとおでこを叩いてくる。このヤロー。人間の恐ろしさを教えてやらねば。


「課金アイテムを使うぞ」


「課金アイテム?」


 耳がピクリと反応した店員さんとアイコンタクト。たとえ値がかさんでも、分からせてやらねばなるまい。人間の方が上だということを。


「お待たせしました。こちら、おやつになります」


「ありがとうございます」


 テーブルに置かれた小皿。中には小粒が入っている。


 ククク……。所詮は人間に飼われる愛玩動物よ。頭の上で物欲しそうにヨダレ垂らしやがって……。


「って、汚っ!」


 ま、まぁいい。それにしても見てくれ。もう匂いに誘われたネコ達が足元に集まってきた。


「うん。このおやつ美味しいわね」


「……は?」


 ネコが喋るはずない。しかし、確実にそして鮮明に味の感想を述べたやつがいる。


 俺は正面に座るネコ──ではなく、吉川を見た。


「ん?」


 吉川の口がもぐもぐと動いている。

 皿に目線を落とすと、さっきまで敷き詰まって見えなかった皿底がこんにちはしている。


 まさか……。いっ、いやそんな馬鹿な……。


「一応聞きたいん──」


「うん?」


 食っている。カリカリ音を立てながら咀嚼している。なんなら今また一粒取った。


 ──って何やってんだコイツ!


「おまっ……! それ、ネコのおやつだから!」


「えっ!?」


 驚愕の事実に吉川が手に持っていたエサを落とす。テーブルにカランと跳ねて、地面に落ちる。

 すると、群がった猫で鯉のエサやりが如く地獄絵図が足元で広がった。


「私もこの渦に混じればネコとして言い訳できるかしら……」


「無理」

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