23:右肩上がりの『ただの風邪』

 ところ変わって妖魔界。マイこと妖魔界女王のマイナーレは、今日も白衣を着て業務に勤しんでいる。


 マイが女王になってからというもの、各国王による独裁政治は崩壊し、人間界と同じ民主主義国家が誕生――マイが人間界から持ちこんだ。

 王室と騎士団員を除く国民から選ばれた政治家は各四十五人。その中から選ばれたリーダーが各国の政治を治めている。


 世界的な話になるとようやく女王のマイの出番だ。 女王と各国のリーダーと専門家が集まって話し合いがなされる。人間界と比べてまだ発展途上の妖魔界は、人間界から数々の制度を取り入れているのだ。


 すべての権力を持っていた時よりは、王としての業務や責任は軽くなったので、マイは女王になる前の『医師』を続けられている。


「数年前まではこんなことありえなかったのにねぇ。『妖魔界一、一般人に近い王様』って言われてるけれど、本当にそう思うわ」


 腰痛持ちのおばあちゃんに回復魔法をかけ、はりを打つ。


「いつも先生、先生って言ってるから、先生が女王様だってこと忘れそうだよ」

「私も医者をしている時は、自分が女王だってことを忘れられるんです。なので気にしなくていいですよ」


 そう言って、マイは丸薬が入った瓶をおばあちゃんに手渡した。


「痛くなったらこれを二錠。次飲む時は六時間以上は空けてください」

「はいはい、ありがとねぇ」


 薬と引き換えに銀貨を受け取り、マイは懐にしまった。


「お大事になさってください」






 お昼休憩で休むのはつかの間、さっと食事をとって今朝送られてきた資料に目を通す。


「……なるほど、新しい治療法が成功したと」


 人間界の医療技術を取り入れた最新式で治療するマイにとっては、よきライバルである。


 魔法の発展と貧しい平民によって医療が発達しなかった妖魔界で、ようやく医療改革の成果が目に見えてきた。新しい細菌やウイルスの発見により、治療ができるようになった病気もたくさん出てきたのだ。

 そして、また新型が登場したらしい。


「養鶏場ではすべてのニワトリを殺処分……。ヒトに感染した例はない……か」


 マイは一瞬、そうなったのは自分のせいかと思った。なぜなら自分が人間界から持ちこんだからだ。その時に、感染した個体を持ってきてしまったのかと。


「でも三年前だからないか。潜伏期間はそこまで長くないはず」


 瞬間的に上がった心拍数を抑えるべく深呼吸をした。






 舞台は戻ってゴールデンウィーク明けの人間界。麻里菜のクラスでは、鼻をすすってくしゃみを連発する人がちらほらいた。

 隣の美晴は大丈夫そうだが。


「やっぱりあれって花粉症? 麻里菜は大丈夫なの?」

「私は……平気かな。うちの家族、私以外はみんな花粉症だけど」

「麻里菜だけ! うちもお父さんはこの時期辛そうにしてる」


 しかし、前に麻里菜が眼科で診てもらった時にはアレルギー体質はあるとのこと。まだ発症していないだけらしい。


「ちょうどこの時期って風邪ひく人もいるから、風邪なのか花粉症なのか分かんないよね」

「それ、本人も分かんないって言ってた」


 美晴がこのことを話題にするのは、あのニュースからだろう。


 四月になってから、風邪をひく高齢者が増えているというニュースで、手洗いうがいを呼びかけるものだった。グラフで見ても、風邪がはやる冬より増えている。

 もちろんどれもインフルエンザではないので異常事態なのだ。

 これから小さい子供や若い人にも広がる恐れがあると言って、日本医師会は警戒を呼びかけている。


「そういえば、さっき家出る前に見たニュースだと、本当に風邪なのか疑ってる専門家もいるって言ってた」

「あぁ、あれか。あんなに蔓延してるのは、みんな抗体を持ってないからだと思うんだよね」

「抗体……確かに……って!」


 美晴は目を丸くした。


「どこからそんな考えが⁉︎」


 ただの風邪かと言われてるこの状況で、ここまで考える人は少ないだろう。医師を目指しているわけでもなく、両親とも医療従事者でもない高校生が。


 麻里菜はひそめ声で美晴に耳打ちする。


「だから……私の分身が医者なんだって。定期的に会って情報交換してて、その時によく医療の話をするから、思考が移ったというか」

「そっか……っていやいや、話し相手になれる麻里菜がすごいって。どういう話してるのかは知らないけど」


 ゴールデンウィーク中に交わしたのは、「人間界の医療を学びたい」と言う医者がゴロゴロいるというものだ。しかし例のテロリストのせいで、人間界に渡れるのは女王が認めた一部の人に限られてしまったらしい。


「でもさぁ、風邪ひくのも抗体がないからでしょ? 理由にはならなくない?」

「あっ…………」


 やべ、そういえばそうだった。『風邪』をおこす細菌やウイルスってめちゃくちゃ多くて、毎回違うやつにかかるから風邪をひくんだったわ。


「だからといってあの数は異常だよ。電車乗って学校来てるから怖い怖い」

「まじそれな〜! 明日からマスクしてこよっかな〜」

「じゃあ私も」


 その日の夜、麻里菜は雪の結晶型のペンダント『サフィー』に呼びかけた。


「ちょっと気がかりなことがあって……医者のマイの意見を仰ぎたいから、いつ会える?」


 中央にはめこまれた六角形のサファイアが、ぼんやりと光っては消え、を繰り返す。しばらくして向こうから返答がきた。


『今日のお昼休憩に』


 自分とそっくりな声。さすがにもう慣れたが、このやり取りを始めてすぐは、自分この声がより嫌いになりそうだった。

 小さいころから、自分の声が入ったビデオを見るのが大嫌いなのだ。脳内に響く声よりずっと淡白で、感情が感じられないあの声が。


「はいよ。十二時くらいに行くから」


 サフィーが発したものと同じ声で、再び麻里菜は声を吹きこんだ。






「私からはまだ断言できないけど、高齢者がかかってる病原体が同じものってこともありえるね。そうなら結構やばいよ」

「何がやばい?」

「新種か、新型か……その可能性もありえなくはないかな」


 ありえなくはない……なんだ、その中途半端な感じは。

 新型と言ったら、自分が幼稚園生だったころにはやった新型インフルエンザがあったが、まったく記憶にない。


 麻里菜はただ「ふぅん……」と口にしただけだった。

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