最終回 ダメだこいつ、なんとかしないと

「分かってるよ。武田くん"は"、取らないから安心して」


 恭子の言い方は妙に意味深だった。

 颯太は取らないけど、他の人は取るかのような物言いだ。

 どういうことだ?

 恭子に真意を訪ねようとこしたところ、


「おいで、弟くん」


 颯太とじゃれていた孝彦が、不思議そうにテクテクと近づいてきた。


「ハグしよ?」

「えぇ……仕方ないなぁ」


 あたしは視界に移る光景を理解できなかった。

 恭子が孝彦をからかうことは良くあるけど、いつもなら孝彦が拒絶したり、逃げ出したりしている。

 しかし、今はどうだ。孝彦は呆れながらも、特に躊躇う様子もなく恭子の懐に飛び込んで抱きついたではないか。

 さっきも恭子が孝彦を自然に抱いていたし、いったいどうなっているのか。


「佐倉って年下好きだったんだなぁ。そりゃあ同い年の俺ら男子たちを全く相手にしない訳だ」

「失礼な。年下好きじゃなくて、弟くんが好きなだけだよ」


 颯太も驚いているようだが、むしろ納得した、という様子だった。

 なんでそんな平然としていられるんだ!


「弟くんはもらったから」

「おい孝彦、嘘だよな!?」


 否定してくれと祈りながら、孝彦につめよる。

 孝彦は頬を染めながら顔をそらす。その行動は、嘘ではないということを雄弁に語っていた。


「2人は付き合ってるってこと……なのか?」

「今日から私たちも付き合うことになったの」

「そんな……あたしの孝彦が……」


 頭が真っ白になった。

 孝彦にもやがて恋人ができると思ってはいたけれど、予想よりもかなり早い。心の準備が全くできていない。もうちょっとこう、事前に布石のようなものがほしかった。いきなりのことなので受け入れられない。

 でも、思い返せば、孝彦と恭子は良く一緒にいた気がする。あたしが気がつこうとしなかっただけで、きっと兆候はたくさんあったのだろう。


「あたしはやっぱり恭子には敵わないんだ」


 孝彦が恭子を選んだショックで、あたしはその場に崩れ落ちた。




    ◆




 地面に崩れ落ちたお姉ちゃんに武田が寄り添う。

 間髪いれずの行動だった。ぼくも動こうとしたけれど、それよりも先に武田が動いた。

 やるじゃないか。

 武田のことはまだよく知らない。それでも、お姉ちゃんのことを大事に思っているということは、ぼくでも分かった。

 どうやら武田はくされチンポ野郎ではないらしい。色んな問題も起きるだろうし、喧嘩もするだろうけど、それでも彼はきっとお姉ちゃんを幸せにしてくれると思った。


「大丈夫なのか?」


 武田が慰めてもお姉ちゃんは反応せず、ブツブツとなにかを呟きながら項垂れていた。危ない人にしか見えない。


「綾乃は超ブラコンだからねぇ」

「俺も弟や妹に恋人ができたときはショックを受けるだろうからひとごとだとは思えないな」


 武田は弟という存在のすばらしさをよく分かっている。

 それだけでも、凡百の男どもとは違うと言わざるを得ない。


「綾乃も武田くんっていう彼氏ができたことだし、そろそろ弟離れしないとね。綾乃が弟離れできるかどうかは武田くん次第だから頑張って」

「やれるだけのことはやってみるよ」


 ぼくに彼女ができて、お姉ちゃんに彼氏ができた。ぼくとお姉ちゃんの日常は、きっと変わっていく。2人の時間は減ってしまうかもしれない。

 でも、ぼくとお姉ちゃんが姉弟であることにはなんの影響もない。ぼくがお姉ちゃんを大事に思う気持ちが変わることはない。

 だから、落ち込む必要はないのだ。


「よろしくね、お・に・い・ちゃん♪」

「……さ、佐倉がそんなこと言うのは卑怯だろ」


 佐倉さんが武田のことをお兄ちゃん呼びして、武田が顔を赤らめた。

 見るからに動揺している。お姉ちゃんという彼女がいる癖に、他の女性に現を抜かしてやがる。

 ムカムカする。


「なに興奮してるんだよ。やっぱりお前なんかどすけべチンポ野郎で十分だ」

「いや、今のは不可抗力だろ! なぁ!?」

「うるさい、どすけべチンポ野郎!」


 どすけべチンポ野郎と言い争いをしていると、佐倉さんが傍に来た。

 耳元で囁く。


「もしかして、嫉妬してくれたの?」


 図星だった。

 佐倉さんは、そこにるだけで男の人を魅了してしまうような人だ。今までだって皆を惹きつけていた。

 でも、いざ恋人になったら、醜い独占欲がうまれてしまう。


「安心して、弟くん。私のどすけべチンポ野郎は弟くんだけだから」

「佐倉さん……」


 佐倉さんと抱き合って、見つめ合った。

 そして、少しずつ顔が近づいてくる。

 ぼくは目を閉じた。


「ガァァッ! 接触禁止だ!!」


 突然、獣の鳴き声のようなものが聞こえると同時に、佐倉さんから引きはがされた。

 どうやらお姉ちゃんがぼくたちの間に入ったらしい。


「ん?」


 お姉ちゃんは匂いをかぐ仕草する。

 本当に獣になってしまったようだ。


「恭子、あたしの家で風呂入った?」


 ぼくの家で使っているシャンプーやリンスと、佐倉さんの家で使っているものは違うものだ。その匂いの違いを感じ取ったのだろう。


「……うん」


 佐倉さんはチラッとぼくを見て、照れたように頷く。

 一緒に入ったときのことを思い出しているのかもしれない。

 その様子を見ているとぼくも恥ずかしくなってしまう。


「もしかして2人は一緒にお風呂に入ったのか?」

「うん」

「そんなバカな!?」

 

 お姉ちゃんは頭を抱えた。


「恭子お前、さっき孝彦と一緒に風呂に入るのはよくないって言ったのは嘘だったのか!?」

「私は弟くんの姉じゃないから」

「くっ、この卑怯者!」


 佐倉さんはお姉ちゃんに対して、ぼくとお風呂に入るなと言ったらしい。

 むむむ。

 これは後でじっくり話し合う必要があるだろう。


「あたしは孝彦と風呂に入る!」


 お姉ちゃんが叫んだ。

 彼氏の目の前で何を言ってるんだ。さすがに武田も困惑している。


「入らないって約束したでしょ?」

「卑怯な約束は無効だ! あたしは孝彦と風呂に入る!」


 お姉ちゃんはいきなりその場で服を脱ぎだそうとする。錯乱したお姉ちゃんを、ぼくと佐倉さんと武田の3人で押しとどめて、必死で宥める。


「……あたしはお前たち2人のことを認めないからな」


 3人の努力の甲斐あって、なんとかお姉ちゃんは落ち着く。

 お風呂に入ることはいったん諦めたようだが、交際を認めないと頑なに主張している。


 お姉ちゃんの拗ねている姿を見て、ぼくと佐倉さんと武田の3人には、奇妙な連帯感が生まれた。

 ――ダメだこいつ、なんとかしないと。

 お姉ちゃんをなんとかしなければならないと共通の思いを抱き、3人で『お姉ちゃんにぼくと佐倉さんの交際を認めさせる大作戦』を計画し、実行に移すことになるのであった。

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