第24話 素敵な思い出
「楽しかったね」
あっというまに時間が経ち、気がつけば夕方になっていた。
夕日の光が一条に海に伸びている。
展望デッキで外の景色を眺めながら、佐倉さんは笑った。
「楽しかったからあっという間だったよ」
景色を見ようと色んな人が展望デッキに来ていた。
もしかしたらお姉ちゃんたちも来ているかもしれない。
どこかにいないか、つい探してしまう。
「こら! 弟くん、今は私とデートしてるんだよ?」
「ごめん」
「せっかく夕日が綺麗なんだから、見ないと勿体ない」
彼女の言う通りだ。
綺麗な景色を、佐倉さんと一緒に見ているんだ。
この瞬間を大事にすべきだろう。せっかくだから、写真で撮って記録としても残しておきたいと思った。
「佐倉さん、一緒に写真撮ろうよ」
「そうだね。じゃあ向こう行こっか」
佐倉さんが示した先は撮影スポットだ。
水族館のロゴやマスコットのイラストが描いてある看板があって、そこで水族館のスタッフが写真をとっている。
カップルや子連れの家族が順番待ちをしていた。
「それもいいけどさ」
背伸びしながら顔の頬と頬をくっつけて自撮りした。
「いつもの仕返しだよ」
恥ずかしかったから照れ隠しで、ふざけた口調で言った。
佐倉さんは目を丸くして、無言になる。
「どうしたの? 怒った?」
「ち、違うよ。ちょっとびっくりしただけ。その写真送ってもらってもいい?」
「うん、今送るね。あんまり写真撮らないから、佐倉さんみたいに上手に撮れてないかもだけど」
送られてきた写真を見て、佐倉さんは微笑んだ。
「私、写真が好きなんだ」
よく知っている。
どれだけ一緒に写真を撮るように迫られたり、盗撮されたことか。
展望デッキで、手すりにもたれて夕日を眺めながら続きを語る。
「私、あんまり記憶力がよくないんだ」
「そんなことないと思うけど。テストの点数もいっつも凄いってお姉ちゃんが褒めてたよ?」
「勉強とかはできるんだけど、過去に体験したことを中々思い出せないんだ。こういうの、どんくさいっていうんだと思う」
運動が苦手だから、そういう意味でどんくさくて可愛いって思うことはあったけど、今言ってるような意味でどんくさいって思うことはなかった。
いつも余裕があって、なんでもスマートにこなしているように見えるから、自分のことをそんな風に思っていたとは意外だ。
「綾乃は逆に、記憶力がすごい。例えば1か月先に、今日の水族館のことをどうだったって聞いたら、きっとほとんど全部覚えてる。どんなできごとがあったとか、そのときどんなことを喋っていたかとか、すぐに返ってくる」
なるほど。
ぼくもお姉ちゃんと同じで、すぐに思い出せるタイプだ。でも、思い出すことが苦手な人たちがいることも知っている。
その人が、ものごとに注意を払ってないから覚えられないわけじゃない。単純な得意不得意だ。
「一度会っただけの人でも名前を憶えてるし、その人の特徴もすぐに言葉にできる。だから、色んな人とすぐに仲良くなって、たくさんの人とつながりを持ってる。綾乃のそういうところ、すごく羨ましいと思うんだ」
お姉ちゃんは興味がないことはあまり覚えない。
勉強も積極的じゃないし、家事の仕方なんかも全く覚える気がない。でも自分の興味があることはよく覚えていると思う。
「綾乃はいつも私のことを羨ましいって言うけど、私だって綾乃が羨ましいって思うことはたくさんあるよ」
佐倉さんとお姉ちゃんは中学からの親友だ。互いに互いを親友だと自認しているし、よく一緒に遊んでいる。
でもそんな2人でも、いや、そんな2人だからこそ、相手の良さが誰よりも分かるから、より一層羨んでしまうのだろう。
ぼくには親友と呼べる人はいないから、2人の関係を羨ましく思う。
「でもね、私も覚えてないわけじゃないの。きっかけさえあれば思い出せる。自分が撮った写真を見返したら、すぐにそのときの記憶が浮かんでくるの」
記憶は連想ゲームだ。
いきなり目当ての引き出しに辿りつけなくても、連想して色んな道を経由しながら、目的の引き出しをあけることができる。
佐倉さんにとってその最初の出発点になるのが写真なのだろう。だから彼女はよく自撮りする。
「一緒に変装してデートを妨害しようとして上手くいかなかったこと。弟くんが、2人を見ているのが苦しいって打ち明けてくれたこと。一緒にデートして、サメを見たり、ちんあなごを見たりして楽しんだこと。弟くんの同級生の女の子と会ったけど、私がタイプだって言ってくれたこと。ペンギンと触れ合ったこと。弟くんがふいをついて写真をとってくれたこと。今なら全部すぐに思い出せる」
今日は色んなことがあった。
忘れてもらいたいこともあるけれど、どれも大切な思い出だ。
「でも、きっと1か月後の私はすぐに、今日のことをすぐには思い出せない。すっごく楽しくて、嬉しくて、ドキドキしたことは覚えていても、じゃぁ具体的にどんなことがあったのかは、記憶の奥から取り出せなくなってると思う。奥底にしまわれていて思い出せないできごとなんて、体験してないのとほとんど一緒だよ。思い出は、思い出して初めて思い出になるの」
なにをもってして思い出というのか。
大体のことは思い出せるから、深く考えたことはなかった。
彼女の苦悩はきっとぼくには理解できない。でも、寄り添いたいと思う。
「この写真を見ることで、私は今日のことを全部思い出せる」
スマホを大事そうに胸に抱く。
瞳に涙を浮かべながら、夕日をバックに彼女は笑う。
その笑顔は、きっと今日一番のものだった。
「素敵な思い出をありがとう、弟くん。この写真は私の宝物だよ」
◆
「ねぇ、佐倉さん」
「なに?」
「佐倉さんがよく自撮りする理由は分かったけど、じゃあどうしてぼくを盗撮するの?」
「……趣味?」
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