第23話 ペン太

「ペンギン、見なくていいの?」


 水族館を見て回っていると聞かれた。

 急にどうしたのだろう。


「弟くん、ペンギン好きなんでしょ?」

「なんで知ってるの?」


 多分佐倉さんにはペンギンが好きだって言ったことはなかったと思う。

 お姉ちゃんも知らないはずだから、お姉ちゃん経由で伝わってもいないはずだ。


「綾乃たちを追ってるとき、すごく気にしてたから」

「こどもっぽいって思う?」

「思わないよ。でも、可愛いって思う」


 お姉ちゃんたちを監視しながらも、ペンギンに気をとられていた。

 佐倉さんにバレていたなんて恥ずかしい。


「せっかくだし行ってみよう」

「行かない」

「えっ?」

「行きたくない。今日の触れ合いタイムはあのときで終わりだった。ぼくはもう触れ合えないのに、あのくされチンポ野郎はペンギンと楽しそうに触れあった。しかも、お姉ちゃんと! 行けばそのイライラが爆発しそうだから行かない」


 ちくしょうめ。

 また思い出してしまった。こんなことなら最初から2人を無視して佐倉さんとデートすればよかった。

 そうすれば一緒にペンギンと触れ合えたのに。

 くされチンポ野郎、許すまじ!


「行ってみたら良いことあるかもしれないし、行ってみようよ」

「イヤだ」

「いじけてないで行くよ」


 ぼくの手を、佐倉さんが引っ張っていく。

 佐倉さんがからかって手を繋いでくることは以前にもあった。そういうときはぼくの反応を楽しんでいるのか、手を握ってぼくの反応を見ていることが多い。

 でも今はぼくの手を強く引っ張って、先に進んでいく。

 なんだか新鮮だ。


「どうしたの?」

「えっ?」

「なんだか嬉しそうだけど」

「ないしょ」

「えぇ~、気になるなぁ」


 ぼくたちはデートしてるんだ。

 佐倉さんがぼくの手を引っ張ることで、改めてそう感じた。




    ◆




 確かにぼくはお姉ちゃんたちのデートを妨害することを諦めた。

 お姉ちゃんの新しい一面を見て、それはぼくには引き出せないものだと悟り、2人を妨害はしないと決めた。

 でもくされチンポ野郎を認めた訳ではない。今でもあいつは憎き敵だ。むかつくやつだ。

 でもくされチンポ野郎には腹が立つけれど、ペンギンに罪はない。

 なんと愛らしい姿だろうか。

 かっこよく泳ぐ姿、ペタペタと歩く姿も好きだけど、一番好きなのは直立不動で虚空を見つめている姿だ。


「あいつの名前はペン太にしよう」

「どのペンギン?」


 一匹のペンギンの名前を勝手に付けた。

 佐倉さんはどれがペン太なのか分からなかったのか、ぼくの顔のそばに顔を寄せて、目線の先を見ている。


「あれだよ、あの隅にいるやつ」


 ペン太は隅っこで一人、誰かと仲良くするでもなくぽつんと立っている。

 仲間たちがいる場所には目もくれず、壁の隅を見つめていた。

 何を考えて何を見ているのか。何も考えていないのかもしれない。

 じっと、ただ壁のどこか一点を見つめて立っている。


「可愛いなぁ」

「そうだね。弟くん、すごく可愛い」

「ほら、佐倉さんもこっち見てないでちゃんと見てよ」


 ペン太に夢中になって、くされチンポ野郎に怒りを抱いていたことをすっかり忘れるのであった。




   ◆




「さっきからスマホを見て、どうしたの?」


 壁とにらめっこしているペン太を観察していると、佐倉さんがスマホを何度も確認していることに気がついた。

 お得意の盗撮をしている様子もない。誰かからメッセージが届いたのだろうか。


「もうすぐ時間だなって」

「なんのこと?」

「ふふ、見てればわかるよ」


 ペンギンたちのいる場所に飼育員の女の人がやってきた。

 持っているバケツにペンギンが集っている。


「エサやりの時間! 知ってたの?」

「明確に決まってる訳じゃないけど、大体これくらいの時間であげることが多いんだって。インターネットに書いてあったよ」

「佐倉さん、すごい!」


 尊敬だ。

 くされチンポ野郎に苛立ちをぶつけて思考停止してしまったぼくとは違う。

 最善の手段がとれなくても、次善の策を探しだしてくれた。

 さすがは佐倉さんだ。尊敬できる大人な女性だ。


「キラキラした眼差しが眩しいっ!」


 ネットで調べただけだから大したことはしてないと謙遜している。

 照れている姿が、女の子って感じで可愛くて見惚れてしまう。


「ほら、ペンギンたちがエサ貰ってるよ。私よりあっち見ないと」


 ペンギンたちは飼育員さんにエサを求めている。

 普段はまるで人形みたいだけど、エサを求めている姿は彼らが生きていることを実感させる。

 彼らはひな鳥がエサを親鳥に求めるときのように、飼育員さんからエサを渡してもらおうと騒いでいた。こうしてみると、彼らが鳥の仲間だということがよく分かる。

 我先にとみな必死だ。


「でも、ペン太は違うはず」


 ペン太はマイペースに生きる孤高の存在だ。

 飼育員の施しに集る他のペンギンたちとは違うだろう。

 エサが配られても、気にせず壁を見続けて、飼育員さんが彼のもとにエサを渡しに行くのだ。

 そう思ってペン太を見れば、ひと際目立ってエサを要求していた。誰よりも鳴いて、はやくエサをよこせと飛び跳ねている。


「ペン太~~!」




    ◆




 飼育員さんはペンギン一匹ずつにエサをあげている。

 一匹のペンギンに偏ってあげたりはしていない。たくさんいるのにすべてを見分けているらしい。

 エサをあげるたびにノートにメモしている。多分、どのペンギンに何匹あげたかを記録しているのだろう。

 彼女の目は真剣で、ペンギンになにか不調やおかしなところはないか一匹一匹を確認しているようだ。

 ペンギンへの深い愛情が伝わってくる。

 

 かっこいい。

 ぼくは一生懸命に働く人を尊敬している。

 自分の仕事に責任を持ち、情熱をもって働く人は素敵だと思う。輝いているんだ。


「ぼく、ペンギン好きなの?」

「大好きだよお姉さん!」


 飼育員さんがぼくの元にやってきた。30代後半の女の人だ。

 ぼくはよく知っている。こういう年ごろの女の人は、小さいこどもにお姉さんと言われたら喜ぶのだ。

 子どもは正直ものだ。そして、子どもにとって、お姉さんとおばちゃんの境界となる年齢は、一般的な大人が判断するものよりかなり低い。

 だから、子どもにお姉さんと言われることは嬉しいらしい。


「エサやりの姿、見せてくれてありがとう。お姉さん、かっこよかった!」

「ふふ、どういたしまして」

「触れあいタイムが終わってて落ち込んでたけど、お姉さんのお陰で良い体験ができたよ」


 ぼくは中学2年生だ。

 でも飼育員さんはそれを知らないから、ぼくのことは小学生の子どもだと思っていることだろう。

 だから喜んでもらうためにお姉さんと呼んだけど、効果はてきめんだった。お姉さんと言われた途端、凄く上機嫌になった。


 彼女を見て、お姉さんだとは正直思わない。

 心にもないことを口にして、ある意味嘘をついていることになる。

 でも別に悪いことじゃないはずだ。

 挨拶をするとき、笑顔で挨拶する。それと同じようなものだ。相手に喜んでもらうためにやっている。


「ねぇ、ぼく」


 ぼくのことを手招きした。

 アクリル製のフェンスを挟んで飼育員さんに近づいた。

 頑張れば乗り越えられそうなフェンスだけど、ぼくにその資格はない。飼育員さんだけが向こうに入ってペンギンの世話をすることができる。


「一番気になるペンギンはどの子かな?」

「あの子、ペン太!」

「ペン太……? あぁ、あの子ね。ちょっと待ってて」


 いつの間にか再び隅っこに戻っていたペン太に近づいていく。


「どうしたんだろう」

「さぁ?」


 佐倉さんも不思議そうだ。

 飼育員さんを見ていたら、なんとペン太を連れてきてくれた!


「はい、ペン太だよ。背中をそっと撫でてあげてね」

「いいの?」

「特別だから、みんなには秘密ね」

「うん、ありがとうお姉さん!」


 フェンス越しに手をのばし、おそるおそるペン太の背中に触れる。


「おぉ」


 もっと羽毛の感触がするかと思っていたけれど、どちらかといえば筋肉の感触の方が強い。イメージしてたよりもだいぶ堅い触りごごちだ。

 ペン太は背中を撫でても気にした様子はなく、どこかをぼーっと眺めている。


「ありがとう、ペン太」


 お礼を述べると、ちょうどタイミングよく右の羽が上にあがった。

 どういたしましてって言ってくれたんだろうか。

 そんなはずはない。偶然だとは分かっているけれど、ペン太がぼくに応えてくれた気がして嬉しく思った。


「ありがとう、お姉さん」


 改めて、飼育員さんにお礼をのべる。

 彼女は私も良い思いさせてもらったからいいのと笑って戻っていった。


「あの人、良い人だったねぇ。よくやってるのかな。それもインターネットに書いてたの?」

「え、いや……ま、まぁ、そんな感じかな?」


 佐倉さんは戸惑った様子で、なにかをぼそっとつぶやく。

 小さい声だったから聞き取れなかった。


「さすが年上キラー。恐ろしい」

「ごめん、聞きとれなかったけど、なんて言ったの?」

「なんでもないよ、次のゾーンに行こ」

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