第5話 いつもの朝
小学校を卒業するまで、ぼくはお姉ちゃんとお風呂に入っていた。
「気持ち良いか?」
「うん」
お風呂用の白い椅子に座るぼくの頭をお姉ちゃんがガシガシと洗う。
はっきり言ってお姉ちゃんは頭を洗うのが下手だ。
美容師さんみたいに優しく丁寧に洗ってはくれない。
でもお姉ちゃんの不器用な洗い方が好きだった。
「あっ」
目が染みる。
シャンプーが目に入ったのだろう。地味に痛い。
「わりぃわりぃ」
お姉ちゃんは謝っているけれど、その声は楽しそうだ。
なぜか頭に伝わる力が強くなる。
お姉ちゃんのなすがままに顔を前後左右に揺らされた。
頭がグワングワンする。
――あぁ、シャンプーが。
シャンプーの混ざった水がおでこから垂れてきた。
膝の上に置いていた手を握りしめて、ぎゅっと目をつむる。
「男なら我慢しろよ~」
その姿は見えないけれど、いつものように八重歯を見せて笑っているのだろう。
ぼくが一番好きなお姉ちゃんの顔だ。
目がくしゃっと潰れて、八重歯が見えるお姉ちゃんの笑顔は、いつも本当に楽しそうで、見ているぼくの方も楽しくなってくる。
「うん! 我慢する!」
瞼の裏に浮かぶお姉ちゃんの笑顔に、ぼくも笑い返した。
ぼくはお姉ちゃんと入るお風呂がいつも楽しみだった。
しょっちゅうシャンプーが目に染みるけど、お姉ちゃんと一緒に入るお風呂はすごく気持ち良い。
だけど素晴らしい日々は、小学校を卒業すると同時に終わりを告げる。
「お姉ちゃん、お風呂はいろ!」
「孝彦ももう中学生になるんだから、お風呂ぐらい一人で入りな」
ががーん。
卒業式以降、お姉ちゃんはお風呂に一緒に入らなくなった。
そして中学2年生になった今でも、お姉ちゃんはお風呂に入ってくれない。
◆
ぴぴぴぴ。
時計の針は6時を指している。
目覚ましのスイッチを切って起き上がった。
5月の中頃、朝はまだ少しだけ肌寒い。
身体をぶるっと震わせながら、窓のカーテンを開けると、暖かい日の光がぼくを迎えてくれる。
2階にある窓から身を乗り出せば、爽やかな風が寝ぼけた頭を覚醒させる。
ふと下を向くと、スーツを着て歩いている男性が目に入った。
朝早くからご苦労さまです。
「良い天気だなぁ」
今日の空は雲一つない快晴だ。
陽の光を浴びながら伸びをして1階へと降りる。
リビングにあるテレビをつけるといつものアナウンサーが天気予報をしていた。
――本日は洗濯日和です。
「よし」
脱衣所へと向かう。
ぼくとお姉ちゃんの服が無造作に積まれているカゴを持ち上げて洗濯機に放り込んだ。
「あ」
途中でお姉ちゃんのパンツやブラジャーが見えた。
また一緒にカゴに入れてるよ。
ぼくは洗濯機の中からお姉ちゃんの下着を取り出していく。
「はぁ」
弟のぼくから見ても、お姉ちゃんはガサツだ。
他の洗濯物と一緒に下着を入れないで、といつも言っているのになぁ。
型が崩れて困るのはお姉ちゃん本人なのだけれど。
「あぁ、これなんかお気に入りって言ってたのに」
フリルのついた薄いピンク色で、ところどころに赤い花がちりばめられている。
赤い花柄が可愛くて奮発した、とお姉ちゃんが言っていたやつだ。
他にも、いくつかの下着や服を回収して、洗濯機を運転した。
残ったブラジャーやパンツは手洗いだ。
洗面台の下に閉まってある桶を取り出して、お風呂場で手洗いをしていく。
優しく丁寧に手洗いするのは結構大変だけれども、これも弟の役目だ。
お姉ちゃんにはヨレヨレの服を着てほしくない。
「次はお弁当だ」
台所へと向かう。
ぼくとお姉ちゃんのお弁当はぼくが毎日作っている。
今日のおかずは海老フライだ。
冷蔵庫から海老のパックを取り出して、ぼくはニンマリする。
海老フライはお姉ちゃんの大好物なのだ。
お姉ちゃんがお昼休みに、満面の笑みで海老フライにかじりつく姿を想像しながら、調理していく。
きっと喜んでくれるだろう。
「ふんふんふーん」
一番の調味料は愛情だ。テレビか何かでそんな言葉を聞いたことがある。
であるならば、ぼくの料理はきっと世界一美味しいに違いない。
お姉ちゃんへの愛は誰にも負けないんだ!
手間と愛情をかけたお弁当が完成する。
そうこうしている間に洗い終わった洗濯物を庭に干した。
「さて」
今までは前準備のようなものだ。
ぼくの一日は次の行動から始まると言っていい。
ずばり、お姉ちゃんを起こしに行きます!
階段で2階へと上がり、お姉ちゃんの部屋に入る。
お姉ちゃんは意外と少女趣味だ。
部屋はピンクや白を基調としていて、ベッドや机にはたくさんの人形が飾られている。本棚には少女漫画がズラリと並ぶ。
小学生の女の子の部屋、と言っても通じそうな部屋だ。
そんなファンシーな部屋の主であるお姉ちゃんは、いつも通り豪快に寝ていた。
掛け布団が、蹴り飛ばしたかのように足元にまるまっている。
「ふふ」
幸せそうに眠る姿に思わず笑みが漏れる。
お姉ちゃんはピンクの枕にだきついて、むにゃむにゃと寝言を口にしていた。
口からはヨダレがたれていて枕に少しシミができている。
「ん~ん」
お姉ちゃんが良く分からない声を出しながら寝返りをうつ。
パジャマの隙間から縦長のおへそがチラリと覗いた。
今のお姉ちゃんはかなり無防備な姿をしている。
お姉ちゃんは就寝時にブラジャーを外すタイプだ。
今おっぱいを覆うものは、薄い生地のパジャマ一枚しかない。
平均よりも大きいおっぱいの形がはっきりと浮かんでいる。
両腕で挟むようにむにゅっと押しつぶされていて凄く柔らかそうだ。
お姉ちゃんを起こすためにベッドの横に屈む。
良い匂いだ。
ぼくのベッドとお姉ちゃんのベッドでは匂いが全然違う。布団の洗剤や、シャンプーやボディソープも同じものを使っているはずなのに。
まるでお日様みたいに心がぽかぽかするような、そんな匂いだ。
お姉ちゃんの香りを嗅ぎながら、肩をゆさゆさと揺らす。
「んん」
お姉ちゃんが眉をひそめながら目を開ける。
朝が苦手なお姉ちゃんは余り寝起きがよろしくない。
しかめっ面で目をこすっている。
いわゆる女性的な可愛らしさとは無縁な顔だけど、ぼくは好きだ。
色んな表情のお姉ちゃんを知っているけれど、そのどれもが愛おしい。
「朝だよ、起きて」
「……分かった」
寝たりなさそうにしぶしぶ起きた。
ぼくは先に1階に降りて朝食の準備を始める。
食パンを一枚トースターに入れて、フライパンで目玉焼きを2つ作った。
お皿に目玉焼きを乗せていると、お姉ちゃんが焼きあがった食パンをトースターから取り出した。
「ほら」
「ありがとう!」
半分に切った食パンを渡される。
お姉ちゃんが率先して動くなんて珍しい。今日は良いことがあるかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます