第4話 良い湯だなぁ

「相変わらずの豪邸だな」

「そうだね」


 佐倉さんの家はお金持ちだ。

 ぼくの通う中学校と同じぐらいありそうな大きな敷地に、お城のような屋敷が建っていた。

 外観は古風な洋城だけれど実は最新の電気設備がついていて、巨大の門の横にはインターフォンが設置されている。

 インターフォンで呼びかければ、門が開いてメイドのお姉さんがぼくたち二人を出迎えた。

 メイド喫茶やコスプレではない本物のメイドがいるのだ! しかも美人さん。

 入り組んだ廊下に迷うとでも思ったのか、メイドさんはぼくの手を繋いで佐倉さんの部屋へと案内する。

 中学生になって迷ったりしないよ……。

 もしかしたら彼女は僕を小学生だと思っているのかもしれない。


「突然悪いな」

「気にしないで」


 お姉ちゃんが佐倉さんに申し訳なさそうに謝った。

 これには理由がある。

 ぼくたちの家のお風呂でお湯が"突然"出なくなった。

 "偶然にも"我が家の水道トラブルを知った佐倉さんが、お風呂を貸してくれることになったという流れだ。


「ただ、ちょっと謝らないといけないことがあって」

「何だ?」

「私の家ではお湯は深夜に作ってて、一日に使えるお湯の量が決まってるの」


 勿論、嘘だ。

 佐倉さんの家はお金持ちなだけあって給湯システムも最新のものを使っている。お湯は24時間使い放題だ。

 だけどお姉ちゃんは単純な人間なので、その嘘をあっさり信じる。

 ちょろい。ちょろすぎて少し心配になる。


「だから綾乃と弟くんで一緒に入ってもらっていい?」

「は?」

「別に姉弟だから問題ないでしょ?」

「あるだろ」

「節約しないといけないから……」

「いや、でも」


 お姉ちゃんは首の後ろに手を当てながらうろたえている。

 姉弟でお風呂に入ることに抵抗がある。でも一方で、佐倉さんにお風呂を借りることに負い目もある。

 その隙間を突けば行けるはずだ!

 密かにゲスい笑みを浮かべていると、


「じゃあ私が弟くんと入ろっかな」

「へ?」


 佐倉さんが迫ってきて、頭全体が柔らかい感触に包まれて目の前が真っ暗になる。

 口と鼻が塞がり窒息しそうになって、焦って呼吸をすると良い匂いがした。

 お日様みたいなお姉ちゃんの匂いとは違う、花のように甘い匂いだ。

 状況を理解できず頭がぼーっとする。


「やめろ」


 お姉ちゃんの声とともに、ふわふわとしたものが離れて視界が晴れていく。

 目の前には、お姉ちゃんに肩を掴まれ、強引に後ろに引っ張られて体勢を崩している佐倉さんの姿があった。

 上下に揺れる二つの塊に目が奪われる。

 えっと、つまり、ということは――


「おっぱい?」


 ぼくは佐倉さんのおっぱいに抱かれていた。

 状況を理解した途端、急に顔が熱くなる。きっと真っ赤になっているはずだ。

 恥ずかしくなって両手で頬を抑えると、おっぱいに顔をうずめた感触を思い出して、ますます熱くなってしまう。


「ちょっと、撮らないでよ」


 ふと嫌な予感がして佐倉さんの方を向けば、いつの間にかスマホでぼくを撮影していた。

 一緒に自撮りをするときは一言断ってくるけれど、ぼく単体を写すときは無断で盗撮していることが多い。しかも、自撮りのときと違ってシャッター音がしないカメラアプリを使うため、気付かぬままに撮られていることも多々あるはずだ。

 人には肖像権ってものがあるんだよ!

 さすがに犯罪ではないだろうか。


「可愛いよ弟くん」 


 ぼくの言葉が聞こえていないのか、はぁはぁ言いながら盗撮している姿は完全に危ない人だ。彼女を慕う世の男どもがこの変態的な姿を見たら、さぞや幻滅することだろう。

 盗撮癖がなければ尊敬できる人なんだけどなぁ。


「あたしの弟を盗撮すんじゃねぇ」

「うびゃっ」


 得意の脳天かち割りチョップが佐倉さんの頭に炸裂した。

 痛そうだ。

 お姉ちゃんはいまにも胸倉を掴みそうな様子で佐倉さんに迫る。


「あたしが恭子と入る。それで良いな?」

「は、はいぃ!」


 怒髪天なお姉ちゃんのドスの効いた声に、佐倉さんが首を何度も縦に振った。

 スマホを大きな胸に抱えながら、ズルズルと引きずられてお風呂場へと向かっていく。

 涙目でぼくに助けを求めているけれど、両手を合わせて見送った。

 ご愁傷さまです。

 佐倉さん発案の作戦は失敗に終わった。




    ◆




 メイドさんにまたもや手を繋がれて浴室へと向かった。

 たどり着くと、彼女は「お背中をお流します」と一緒に入ってこようとする。

 客人の背中を洗う必要があるなんて、メイドというのは大変な仕事だ。

 丁重に断ると無念そうに立ち去っていった。さすがはプロなだけあって、奉仕というものにこだわりがあるのだろう。


「うわぁ」


 浴室に入ると、その大きさに圧倒される。

 バスタブは4~5人は同時に入れそうだ。お風呂場というよりも浴場という言葉が適しているかもしれない。

 白い大理石が敷き詰められていて、マーライオンの口からお湯が流れ出ている。

 まさしくお金持ちの浴室で、広すぎて一人で入るのが寂しく感じるくらいだ。

 お姉ちゃんと一緒に入りたかったなぁ。

 とはいえ広すぎるので、ぼくが意図していたお風呂とは少し外れるかもしれない。


 シャワーで軽く洗い流して、置いてあるシャンプーを手に取る。

 なんだか高級そうなシャンプーだ。

 通販で取り寄せたのだろうか。家で使ってるものと違って薬局やスーパーでは置いていないものだ。さすがは佐倉さんだ。日用品の一品一品が高級である。

 シャンプーを手に広げて頭を洗った。


「あ、佐倉さんの匂い」


 香ってきた花のような匂いに手が止まった。

 佐倉さんに抱きしめられたときの感触を思い出す。

 柔らかかったなぁ。


「ッ!」


 シャンプーが目に入って、ハッとする。

 ぼくは何をやってるんだ。変態みたいじゃないか。

 甘い匂いに惑わされないようにひたすら無心で頭を洗った。

 頭と身体を洗い終えるとシャワーを止めて、大理石の床をペタペタと歩いて巨大なバスタブへと向かう。


「ここに二人が入っていたのか……」


 バスタブを見下ろしながら、ごくりと唾を呑みこんだ。

 ゆらゆらと揺れる水面が光を反射していた。

 緊張しながらお風呂に足から入る。


「お、おぉ」


 ゆっくりと肩までつかれば、まるで極楽にいるような気持ちになる。

 家のお風呂ではこんなに気持ち良くならない。一体何が違うのだろう。

 お湯の成分が違うのだろうか。

 両手でお湯を救う。この透明な液体の中には佐倉さんの汗が染み込んでいるんだ。


「い、良い湯だなぁ」


 全身が火照ってきた。

 きっとお風呂で身体が温まったんだ。そうに違いない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る