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朝陽に染まる空。美しい、景色。
自分は、あの空の、向こう側から来た。
そして今。ここにいる。
なんで空の向こう側から来たのか。なんのために、どうしてここにいるのか。分からない。
ただ、わけもわからず、ここにいる。
戸籍も、住所もあった。住む場所も、仕事も。
それでも、わたしは、ここで生まれたわけではないし、ずっとここにいられるかどうかも、分からない。
最初は、よく分からなくて、とりあえずレンタルショップに駆け込んで自分と同じような出自の作品をたくさん借りて、部屋にこもってたくさん見た。
全部、なんというか、微妙。私の頭からは何も弾け出してこないし、突然ひとをこうげきしたりしない。血も緑色じゃない。
いったん返却して、またたくさん借りて、部屋にこもってたくさん見た。
わたしの回りには、誰もいない。屈強な身体つきのひとがミサイルランチャーを片手に突撃したりも、してこない。
そんなことをしているだけで、土日が終わった。
シャワーを浴びて、少しだけ眠って、スカートと上着を着て仕事に出た。ヒールというのだけは、慣れなかったので、スニーカーにした。行きがけに、レンタルショップに映画を返却。
普通の仕事。
普通の日常。
まるで、私が今までもずっと、ここにいたみたい。不思議。
「
「はい」
「今日、早めに上がったら?」
「なぜですか?」
上司。気遣うような視線。
「目の下のくま。すごいわよ」
「あ、ごめんなさい」
化粧室に立って、メイクを施す。そういえば、お化粧を忘れていた。つかれているのかもしれない。
「ばっちりです」
自分の席に戻り、上司にウインク。
「いや、やっぱり帰ったほうがいいって」
「でも、仕事が」
「なんとかなるわよ、そんなもの。急ぎのものでもないし」
でも、自分のことを、もっと知りたかった。
上司の視線。やすみなさいという、つよいいしをかんじる。
「わかりました。今日はこれで失礼します」
「また明日ね。休みの連絡はラインでもいいから」
「ありがとうございます」
家に帰る道の途中で、レンタルショップに寄ろうとして。
空を見た。
綺麗な、夕陽。
街を、ひとを、照らしている。
「きれい」
何かを綺麗だと思う。景色を、美しいと感じる。そのときだけは、自分のことを、忘れていられる気がした。
レンタルショップ。
次は、どの棚を。
「あ、いつもありがとうございます」
店員さん。屈強なからだつき。端正な顔立ち。もしかしたら。
「どうしました?」
「いや、ミサイルランチャー、って、持ったこと、ありますか?」
「ミサイルランチャー、ですか?」
あっ。そっか。映画と現実は違うもの。
「ごめんなさい。忘れてください」
「あっ。そうか。そういえば、最近よく借りられてますよね。エイリアンもの」
「あ、はい」
エイリアン。聞き慣れない単語。わたしは、エイリアンなのか。せめてこう、異邦人とか、そういう感じの響きがよかったのに。
「新作のが入ってますよ」
彼の後ろを、歩く。大きな、背中。
「これです。映画ではなくドラマですが、海外の人気作品なんです。ようやく吹き替えができまして」
「じゃあ、それを借ります」
「ありがとうございます」
レジまで、また、彼の大きな背中の後ろをついていく。たぶん、前を歩く他の客にわたしは見えてない。それぐらいの、大きさ。
映画を見たときも思ったけど、この店員さんのほうが。大きなミサイルランチャーを抱えて撃ちまくる人のほうが、エイリアンなんじゃないかと、思う。
「ありがとうございました。またお越しください。待ってます」
「はい」
またお越ししないと、借りたもの返却できないじゃないですか。私の口から出かかった軽口をなんとか呑み込み、店を出た。
家に帰る。
もう、夜。
シャワーを浴びて、借りてきたドラマを流す。
ぞんびというのが出てきて、ひとをこうげきしてる。そして、こうげきされると、自分もぞんびになる。周りのひとがぞんびになるなか、ひとりぼっちのこわさとたたかうひとたち。
夜が、明けそうだった。少しだけ眠って、スカートと上着を換えて、外に出る。レンタルショップには寄らず、仕事に向かった。
「嶺名ちゃん」
「はい」
同僚。心配そうな視線。
「大丈夫?」
「あ」
また、目の下に、くまか。
「ありがとうございます。次長に会う前にメイクしてこないと」
歩き出そうとして。
転んだ。
「いてて」
ヒール。慣れない。底の部分が、綺麗に二つとも壊れていた。
「嶺名ちゃん、休んだほうが」
「大丈夫です。ほら。歩きやすくなった」
メイクをして、席に座る。
仕事をこなした。うたがわれないように、普段よりも少し意欲的にタスクを完了させる。
「あれ」
定時の時間。
仕事が、すべて終わってしまった。
「あの」
上司に声をかける。
「お仕事、残ってませんか、次長?」
「なにいってるの」
上司。きょとんとした顔。
「仕事終わったんでしょ。早く帰りなさい」
「あ、はい。ごめんなさい」
「せっかく時間できたんだから、好きなひと誘って食事でも行ってきたら?」
「好きなひと」
好きなひと、って。誰だろう。
「次長、おなかすいてますか?」
「いや私じゃなくて。あなたこの前の呑み会で言ってたでしょ、レンタルショップの店員」
「あ」
記憶がない。
でも、レンタルショップの店員を好きかもしれないというのは、ちょっと思った。
「わかりました。お先にしつれいします」
「はいどうぞ」
かかとがなくなって、歩きやすくなったヒールでレンタルショップに向かう。ちょっとだけ、気分がいい。
ぞんびのやつを返却して。
「どうでした?」
店員さん。
「なきました。せつなくて」
「やっぱり。エイリアンと闘うやつより、こっちのほうが好きかなあと思って」
「好きでした。でも、ぞんび」
私は、生きている。ぞんびじゃない。
「あ、そうじゃなくて。ええと、食事」
「食事?」
レンタルショップの店員さん。あの緑色のやつがひとをたべるときのしぐさを、手の動きで真似てる。
「ほしょくするやつじゃなくて、現実の、普通のお食事です」
「あ、はい」
「今日、空いてますか?」
店員さん。嬉しそうな気分が、顔いっぱいに広がる。
「ええ。空いてます。めし食ってきていいですか?」
奥から、手だけが出てきた。親指を立てている。それが、そのまま、ゆっくり、また奥に消えていった。
「ほかにも、人いたんですね?」
「家族経営ですから。おやじもおかんもいますよ」
「そうなんですか」
家族のかたも、屈強でミサイルランチャーを抱える身体なんだろうか。ちょっと気になる。
「では、おしょ、くじに。いき」
そこで、意識が。途絶えた。
目覚める。
頭を確認。大丈夫。緑色のやつが出てきたりはしてない。次に、顔を確認。大丈夫。ぞんび化してない。
起き上がった。
「あ、まだ起き上がっちゃいかん」
「寝てなさい」
普通のひとが、ふたり。おとこのひとと、おんなのひと。
「おとん、おかん、ただいま。買ってきた。熱冷ましのシートと、氷枕」
「買えたか。よかったよかった」
「いやあ、ごめんなさいね。うちは家族全員風邪なんか引かんもんで。備えがなくて」
「いえ」
それよりも。
「あの。ひとついいですか?」
「なんだい」
「おとうさまと、おかあさまですか。店員さんの」
「ええ」
「そうだけんど」
うそ。普通のひと。なんで。
「あ、うちの子ね」
「あいつだけ、でけえんだ。親戚の集まりでも目立つのさ。エイリアンじゃねえかってな」
「おとうさん。DNA検査もしたじゃない」
「あれが俺とおまえから生まれてきたっつうのが信じられなくてな。取り違えだったらもうしわけねえと思って」
「でも99.999999パーセントおとんとおかんの子なんだろ僕は」
「おうよ」
「いい子なんだけどねえ。身体が大きいからいろんなところにぶつかるのよ」
「いえ。その。ごめんなさい」
起き上がろうとして、再び制される。
「寝とけ。そのソファはいいもんだぞ」
たしかに。身体に吸い付くような感じがする。
「このソファに座ってテレビを見るのが、最高なんだこれが」
「おとん、ちょっと静かに。お話しするから」
「はいはい。行くぞおかん」
おとうさまと、おかあさまが、視界から消える。
かわりに、大きな身体が、視界に。
「どうしたんですか、って訊くのもおかしいか」
「わかりません」
本当に、分からない。なんで、倒れたのか。
「分からないもなにも、睡眠不足ですよ。目の下。化粧して隠してますけど、すごいくまです」
「睡眠不足」
「夜通し見てたんですか、借りたものを」
「ええ。自分のことを、知りたくて」
「自分のこと」
あ。そうか。わたしのことを知っているのは私だけか。
「いえ。なんでもないです」
「やっぱり、覚えてないん、ですね」
「やっぱり?」
「僕の名前、知ってますか?」
「知らないです」
彼。視界から消えて、戻ってくる。
そして、頭と額が、ひんやり。
「つめたくてきもちいいです」
「そうですか」
そのまま。眠りに落ちた。
次に目が覚めたとき。
視界には誰もいなかった。薄明かりだけの部屋。
起き上がった。
近く。
大きな身体の彼が、ソファにもたれかかって眠っていた。
彼の名前。
思い出せない。
起こさないように、そうっと、部屋を出た。
レンタルショップの奥のほうだったようで、普通に店内に出た。
外。紅くなっている。朝か夜か、分からない。
そっと、店を出た。
街の景色。
誰もいない街を、陽が、紅く染める。
「きれい」
美しい、景色。綺麗な空。
あの向こう側に。わたしが。
「綺麗でしょう?」
声。
振り返った。大きな身体の、彼がいる。
「彼女も、街の景色と空が、好きでした。紅く染まるところが、綺麗だって」
「彼女」
「本当に、何も、覚えてないんですね。薫瑚さん」
私の名前。
「おしえてください。わたしは、どこから来たんですか。私は、誰ですか」
なぜだか分からないけど、涙があふれてきた。いたくもつらくも、ないのに。
「あれ、おかしいな」
「はい」
ハンカチ。手渡される。それで、頬っぺたを押さえる。
「そういうところは、彼女のままですね」
「そういう、ところ?」
「目にダメージを与えないように、頬っぺたにハンカチをあてて涙を拭くんです。あなたの、くせ、でした」
「私の」
分からない。覚えていない。
「僕とあなたは、なんていうか、友だち同士、だったんです。週末には映画を見に行ったりとか」
「そうだったんですか」
知らない。
「僕は、あなたといて、楽しかった。でも、数日前突然、私は私じゃなくなるからって。わたしになるから、よろしくねって言って」
彼。ちょっと困惑したような、しぐさ。
「そして、次の日になったら、あなたが店に来て。僕には気も留めずに、エイリアンものの映画を借りていって。彼女は、いや、あなたじゃない彼女は、そういうのがだめだったんです。こわいやつとかが」
「そうだったんですか」
「それで、ああ、彼女の言ってたことは本当、だったんだなって。あなたは、ええと。聞き返してごめんなさい。あなたは、どういった、かたなんですか?」
「私は、この空の向こうから来ました」
紅く染まった、空をゆびさす。
「わたしにある記憶は、唯一、それだけです。他には、なにも。なにもないんです」
また、ハンカチで頬を押さえる。
「自分のことが知りたくて、ずっと、空の向こうから来たものの映画を借りてみてました。でも、何も分からない」
涙。止まらない。
「あなたからおすすめされたドラマ。おもしろかったです。もしかしたらわたし、あのドラマに出てくるような、ぞんびなのかもしれない」
記憶がない。
ひとりぼっち。
「私は、どうしたらいいか、分からない。分からないんです」
誰もわたしを、覚えていない。
「嶺名薫瑚。メーカ勤務。部屋は小さめ。ヒールはすきじゃない。好きな映画は、感動もの。それだけなんです。わたしには、何も、ない」
空だけが、紅い。
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