Memory Note

酢と鶏卵の逢引

一 袋小路の文房具屋

 今回も駄目だった。

 返却された一学期中間考査の点数を思い出すと、口の中が苦い。


 高二になってからは本気出すって、去年決めたはずだった。

 しかし、進級しても俺の生活リズムが変わることはなく、むしろ部活漬けの毎日に疲労が溜まるようになっていた。まあバスケに責任はないんだが、俺自身こんな点数の責任を取りたくはないのだ。


「簡単に頭が良くなんねぇもんかな」


 溜息まじりにこぼれる言葉は、我ながら情けない。成績で順位がつけられる以上、どうにか上位にいたいという気持ちはあるのだが、つまり自分が「頭が良い」のか全然分からないのだ。


 例えばゲームで敵を倒せばスコアは必ず上がる。

 しかし勉強したことはその時は覚えたとしても、忘れることがある。これが厄介だ。

 もしゲーム画面にスコアが表示されてなくて、敵を倒したりアイテムを取ってスコアを増やす行為をしたとしても、知らないうちにスコアが減少していくことがあればそれまでの努力が無駄になると感じるだろう。

 まったく、人生はクソゲーとは言ったもんだ。


 じりじりと肌を焼く夕陽に嫌気が差してくる。俺は光を厭うように建物の陰へと、そして路地の外れへと足を運んだ。

 普段は見知らぬ路地裏を歩いていると、表通りへの抜け道を探したくなる。だが今日は、無為に時間を過ごすことに罪悪感を与えさせないような、まるで独りでいることを空間が許諾しているようなこの場所に落ち着きを覚えた。


 俺は陰の中をあてもなく彷徨い、ふと何でもない一つの小路に入り込んだ。



 ――その時は思いもよらなかった。まさかこんなことが俺の人生を大きく変える選択だったとは。



 ビルとビルの狭い隙間をくぐり抜けると、奇妙な一角に辿り着いた。


「こんなとこに、店があんのかよ……」


 それは、文房具屋だった。

 窓ガラス越しに見える店内は人工の光を灯していた。


「そういや、赤ペンが切れそうだったな」


 俺は野暮用を済ませるためにそこへ入った。

 言っちゃなんだが、そこは小汚い路地の先にある店のわりには随分と綺麗な店内だった。

 しかしペンのありそうなコーナーを物色するも、探してたような赤ペンは無かった。


「普通置いてないか……?」


「何かお探しで?」


「うぇっ!?」


 独り言に反応があったことに肩を強張らせてしまった。

 息を整えて後ろを振り向くと、さらに身震いがした。


「て、店主さんですか?」


「ええ。この文具屋を管理しています。『袋小路』とでもお呼びくださいな」


 そう言う袋小路は、灰色のフードに細い身を包んだ、見るからに怪しい男だった。

 顔立ちは良く、温和で普通のサラリーマン的な印象だが、何より服装が店員のそれじゃない。



「あ、はい……。俺、赤いボールペンを探してるんすけど」


 入る店を間違えたかな、と思いつつも会話を始めてしまった手前、中断するのも申し訳ない気がした。


「なるほど。すみませんがそのような一般的な文具は取り扱っておりませんでな。代わりといっては何ですが、久々のお客様におすすめのモノがありますでな」


 そう言うと袋小路はカウンター前から一冊の白いノートを持ってきた。


「これですな。これ、名前を『メモリーノート』といいます」


 初めて聞く名前だった。というより、なんか格好いいな。

 袋小路に手渡されたそれはプリント一枚よりもずっと軽く感じられた。A4ノートよりも小さい感じで、表面に「Memory Note」というロゴと大きな記名欄がある。

 いろいろと、俺の知っているどのノートとも合致しなかった。


「なんか不思議なノートだけど、これって他のやつとなにが違うんすか?」


「良い質問ですな」


 この質問を待っていたとばかりに袋小路はぎこちない笑顔を浮かべた。

 そして、次の答えは、俺の興味を引いた。


「このノートは……書いたことを忘れなくなるノートですな」




「……はぁ?」


 

 俺の反応は至って正常だと思う。

 一言で言うにはあまりにも説明不足だ。



 俺の反応を見ても袋小路は笑みを絶やさず、胡散臭い話を続けた。


「まぁ、その反応も想定内ですな。では、実際にその効果をご覧に入れましょう。ご自分の黒い油性ペンはございますかな」


「ありますよ、はい」


 肩掛けの通学鞄から筆箱を取り出し、油性ペンを用意した。


「では、メモリーノートにご記名を。ノートの効果は所有権を持つ人に与えられるのですな。ご満足いただけなければ後ほど処分致しますので、遠慮なさらず」


 俺はノートの表紙に「相馬灯哉」と丁寧に書いた。


「相馬様ですな。よろしければそちらを一旦お貸しください」


 袋小路にノートとペンを貸すと、袋小路はノートを開いて何かを書き込んだ。


 ──記憶。定着。瞠目。証明。これがメモリーノートの力ですな。


 その瞬間、いくつかの言葉が俺の脳内に流れ込んできた。

 頭に電気が走るという表現が似合う奇妙な感覚に、曲がっていた背筋を伸ばした。


「さて、私は貴方様のペンを用いて五つの単語を書きました。何と書いたか、お分かりになりますか?」


「……いや、最後の単語じゃなかったっすよ。記憶、定着、瞠目、証明、これがメモリーノートの力だ。これで合ってますよね」


「えぇ、その通りでございます」


 袋小路はノートのページを広げて俺に見せた。確かに、頭に流れ込んできた文字列が丁寧な字で記されていた。

 そしてこの実験によって、このメモリーノートがとんでもない道具だということを認識せざるを得なくなった。



「文章でも図でも、写真を貼るでも構いません。とにかくこのメモリーノートに書き込まれたことは、所有者の記憶に恒久的に刻み込まれるのですな」


「簡単に覚えられて、忘れないってことか」


「左様。忘れたかったらまた上から塗り潰せば良いですな。書いたものが後から二度と復元できないようにするのです」


 いろいろルールがあるみたいだ。表紙をの裏にそういった記述があった。


「さて、いかがでしょう。こちら、お買い求めいただけますでしょうかな。」


 袋小路の仮面のような笑みが輝いた。

 見ようによっては、やはり白いノートは眉唾物だ。

 記録するだけで何でも覚えられるなんて、あまりに虫のいい話だとは思う。


 ただ、書くだけで永久に使える記憶を手に入れられる奇跡のようなノート。もし本当にその効果が有用なら、俺はすぐにでもそれに縋りたい気分だった。

 これがあれば、テストでいい点が取れる。これがあれば、先輩や友達が言っていたことを忘れずにいられる。これがあれば、きっと忘れる事に悩む必要が無くなる。


 これがあれば、これがあれば、これがあれば……!


 この際、金額は問題ではなかった。


「下さい。それが欲しいです」


 ポケットから財布を取り出し、手渡しでお金を支払った。袋小路は「毎度あり」という言葉とともに純白のメモリーノートを俺に渡した。交渉成立である。


「ノートがいっぱいになったらまたお尋ねください。必要とあればいくつでもお持ちいただけますのでな」


「はい、あざした!」


 外は既に日が沈み、街灯の冷ややかな光に覆われていた。俺は足早に袋小路の店を後にした。


 結局赤ペンはコンビニで買った。

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