第19話 墓場鳥計画④

(1)


 ヴァメルン王都を囲む高い城壁と同じ赤砂岩の王城は、外観が堅牢かつ優美さに欠けている。

 内装に至っても、装飾の少ない黒檀製の家具調度品、深緑や濃紺、臙脂など暗色で統一された絨毯やカーテン、ロングシューズ、タペストリーの色調。どれをとっても最上級の質だが重苦しさばかりが際立つ。

 重苦しいのは内装だけではない。広い座卓の向かいに座すヴァメルン国王夫妻、国王の傍らに控える宰相、王妃の傍らに控える侍従の意匠も暗色系。壁際を埋め尽くす数の衛兵の軍服も濃灰色。ついでに言えば、各々の表情も暗く厳しい。

 まるで、オルレーヌへの度重なる進軍、進軍する度に返り討ちの負け戦で疲弊しきったこの国の現状を映しだしていくような暗さだ。


 室内全体に漂う重苦しさ、切迫する空気。それらに気圧されるでもなくこの場でただ一人、ヴァンサンは穏やかに微笑んですらいる。護衛も側近もつけず敵の陣中に居るというのに泰然自若とした態度は、ヴァメルン側の警戒を一層強めていた。その様子すらもヴァンサンには可笑しくて堪らなかった


 前国王の死による王位継承直後、ヴァンサンは突如としてヴァメルン王家に和睦交渉を持ちかけた。

 若き新国王の完全なる独断――、だが、反対する者は誰一人として現れなかった。前国王の葬儀後に殉死が相次いだのだ。しかも新国王と反目、もしくは注進を促しそうな重鎮ばかり。

 新国王が己にとって都合の悪い者を排除したのだろう。だが、恐ろしいことにヴァンサンが密かに手を下したという証拠は一切見つからなかったという。

 王位継承間もなく黒い噂を纏うヴァンサンの真意をヴァメルン側は図り兼ねていた。その証拠に書簡を使者に届けさせてから返事が届くまで半年近く待つ羽目に。


 ヴァメルン側も馬鹿ではない。交渉の場をオルレーヌではなくヴァメルンに指定。王の代理人の外交官ではなく、両国間の王が直接膝を交えての会談という、常識から逸脱した前代未聞の提案。こちらは新国王一人で会談に臨むが、そちらは交渉官を何人同席させても構わないとまで譲歩される。ヴァメルン側に一見有利と取れる条件に何の魂胆を感じないと言いきれる筈がない。

 だが、ヴァンサンは書簡通り、交渉官はなし、秘書官、護衛、馬丁、侍従等併せて二十名にも満たないごく少人数を伴ってヴァメルン入りを果たした。会談もたった一人で臨んでいる。

 あえてヴァメルン側が寝首をかいてくるかを試しているのか。かけるものならかいてみろとの挑発か。

 もしも挑発であれば、一度乗ったら形成不利に陥るのはヴァメルン側。

 全て理解しているからこそ、ヴァンサンもまた余裕でいられるのだ。


 和睦交渉は順調に進んでいく。ヴァメルン国王夫妻の表情が少しずつ和らぎ、ほんの僅かにだが笑みを浮かべさえし始めている。年老いた宰相の、皺に埋もれた目に宿る疑心と警戒も少しずつ薄れている、気がする。締結するのもそう時間は掛からないだろう。

 ほくそ笑みたいのを堪え、代わりに柔らかな笑みを深めてみせる。


 物事は成就した瞬間よりも、成就しそうだと確かな手ごたえを感じた時の方が人の気は緩むもの。

 唇の端が皮肉げに持ち上がりそうなのを必死に堪える。


 さぁ、もうすぐ始まる――!




 ヴァメルン宰相の白い眉がぴくりと持ち上がる。


「……誰だ、重大な会談の最中に音楽を奏でる輩は」


 最初に気付いたのが老齢の宰相だったことにヴァンサンは意外だと感じた。宰相が発した言葉に耳をそばだて衛兵達も一様に眉を潜め、黒檀製の重厚な扉、正確に言えば扉の向こう側の廊下に意識を向ける。

 王妃と国王は周囲の怪訝な様子を不思議そうにしていた。ヴァンサンより年が少し上なだけ、まだ若いと言うのにこの反応の鈍さときたら!微かに聞こえる音色に気を取られているのをいいことに、夫妻に侮蔑を含んだ視線をそっと投げかけた。


「む、歌まで……。誰か、廊下へ出て声の場所を突き止めてこい。全く、どこの楽士だか知らぬが、礼儀知らずめが……。失礼致しました。どうぞ、会談を続けていただけますか……」

 衛兵の一人に命令し、ヴァンサンに向き直った次の瞬間、宰相は落ち窪んだ目をカッと見開いて身体を硬直させた。

「どうしたのだ……、あっ」

「かは……、く、くるし……」


 宰相に続き、国王夫妻、衛兵達は次々と目を見開き、硬直する。

 歌声とヴァイオリンの音色が近づくごとに異変は大きくなっていく。


 奇声を発し座卓の角に額を打ち続ける宰相の白髪は血に赤く染まり。

 ロングシューズの背もたれにしがみつき、嘔吐しながら国王は全身を打ち続け。

 ドレスの裾が捲れ上がり白い脚が露わになるのも構わず、王妃は頭を抱えて床にのたうち回り。

 衛兵達も壁や床に自らを激しく打ち付け、苦しみから逃れようと自ら短剣で喉を裂く者すらいる。


 血と吐瀉物が混じり合った匂いが充満する中、音が扉の前を通り過ぎていく。阿鼻叫喚の地獄絵図も最高潮。

 彼らは呻き声や悲鳴、怒号以外はもう上げられない。ヴァンサンを問い詰めることもできない。


 涼しい顔で優雅に茶を飲む、ヴァンサンの灰茶の長い髪に埋もれた耳孔にはしっかりと耳栓がはまっていた。












(2)


 オルレーヌ王都の建物群が白で統一されているなら、ヴァメルン王都は赤で統一されている。エンゾとユーグの目的地も例に漏れず、赤砂岩で作られ、屋敷というより小さな要塞のような頑強な雰囲気だった。守衛の許可を得て裏側の赤い石門を潜り、奥の井戸端の近くに荷馬車を停める。


「厨はこっちだ」


 荷台から下ろしたワインの木箱を抱え、辺りをきょろきょろ見回していると先に前をいくユーグが厨の裏口を顎で差し示した。おぅ、わかった!と返事しかけた時、その扉が乱暴に開き、使用人らしき男が一人慌てふためいた様子で飛び出してきた。

 男の勢いある動きをユーグは余裕で躱したが、エンゾの肩と男の肩が強くぶつかってしまった。足がよろめくのを踏み止まり、どうにか態勢を保つ。木箱を落とすのだけは何としても死守せねば!

 木箱を抱える腕に更に力を込めて振り返る。ぶつかった弾みで転んだ男は起き上がっている最中だった。


「何をしている。早くしろ」

「お、おう」


 間抜けな後ろ姿を睨みつけているとすかさずユーグに先を急かされた。気を取り直し、再び厨へと歩き出した時彼に続こうとして――、厨から悲鳴に似た女達の声が響いてきた。

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