第17話 墓場鳥計画②
(1)
歪な三日月は森の奥深くまで照らしていた。
不気味な赤い月光は樹々の一本一本を、湿った黒い地面までもを赤く染めている。月光というよりも夕陽に似た赤に、時折、暖かな橙色の光が入り混じる。微かな足音、馬の蹄が地を蹴る音を響かせて。
真夜中の森で、ユーグはランタンの灯りのみを頼りに手綱を引いて馬と共に一人歩いていた。
シャツにジョッパーズ、ロングブーツという私服に黒い外套を纏う様は、闇に紛れて国を去る者に似つかわしい姿というべきか。歩みを進めるごとに、ローブの中で腰の帯剣がガチャガチャと鳴る。
追放刑と共に剣も没収されるものだと思っていたが――、ヴァンサンは剣について何も言及してこなかった。
剣技に秀でているのはもちろん、魔法の使い手でもあるユーグから剣を没収しないのは何故――、ユーグが
剣以外の荷物といえば、鞍に乗せた大小の麻袋が二つだけ。小さい袋はユーグ自身の荷物、そして、大きい袋は地下牢で事切れたエンゾの死体だった。
「父上、お加減は如何ですか」
鮮やかな群青の空一面、天使が舞い踊る天井画の下、国王の寝台、かつてコティヤール夫人がしていたように天蓋の影からヴァンサンは国王に語りかけていた。国王は聞こえるか聞こえないかの譫言を繰り返し、力無く開閉する唇の動きに耳をそばだてる。
「父上、何を仰っているのか私にはよく聞こえないのですが。コティヤール夫人はよく聞き取れたものですね。彼女は余程耳が良かったのか、それとも……、父上の言葉だと偽り、適当に言葉を作って皆に告げていたのか……。おや、顔色がいつにも増して優れませんね。申し訳ありません、不貞を働いたあげく不義の子を宿すような売女の話など……、お耳汚しにも程がありました。あぁ、そんな、飛び出しそうな程目を剥いて睨まないでください」
皺だらけの皮膚に埋もれた濁った眼で国王はヴァンサンを弱々しく睨みつけ、痩せ細った土気色の手で枕をきつく握り締めた。その手はぷるぷると小刻みに震えている。
起き上がることすらできぬ程衰弱しているにも関わらず、王位を譲るとは決して口にしない。
「未だ私に王位を譲るおつもりがないようでしたら、少しでも健康を取り戻されるべきだと思います。私の配下の者で治癒回復魔法を使える者がいますゆえ……」
『無用だ』と国王は告げる。声は聞き取れなくとも唇の動きで理解できた。
ヴァンサンは目を軽く伏せ、二、三度瞬きした後鼻先で笑ってみせた。笑いながら、扉の前、壁際に佇む近侍の者数名を横目でさっと確認する。
「では、共に見舞いに訪れた楽士の演奏でもお聴かせしましょう」
寝台から少し離れた場所でヴァイオリンを抱えて跪いていたスレイヴに目配せする。スレイヴが立ち上がって演奏を始めた間もなく、国王の頭上から虹色の光が突如舞い降りる。
光と、光の中から姿を現したロビンに驚きの声を上げる間もなく、ヴァンサンは自らの手で国王の、実の父の口を塞いだ。
「遠慮など無用ですよ、父上。さぁ、ロビン。いつものように歌っておくれ。返事はしなくていい、父上の耳元で、子守歌を囁くように歌っておくれ」
国王の上に跨り耳元に麗しい唇を近づけて、小さな、小さな声でロビンは歌い始める。
コティヤール夫人の趣向であつらえた、厚地のベルベットの天蓋は光を完全に遮断してくれた。加えて、スレイヴのヴァイオリンの
国王の近侍達は密かに行われる凶行に全く気付く由もなかった。スレイヴが演奏を終え、ロビンが姿を消したのち、『父上が突然変調をきたした!誰か、侍医を呼べ!!』というヴァンサンの叫び声によって初めて異変に気付いたくらいであった。
目立った外傷もなければ毒を飲まされた形跡もない。
国王の死は『心臓発作の類』だと診断された。
(2)
夜通し歩き続け、やがて空が白み始めた。
ユーグが向かう先はオルレーヌとヴァメルンの東の国境沿いで、両国間の境界に跨るように針葉樹林の黒い森が拡がっている、らしい。その黒い森を抜けるとヴァメルンへと通じるという。
追放者が堂々と広い街道を行く訳にもいかないので、大きく迂回する形となるがこうして森林地帯を少しずつ行くしかない。死体の埋葬場所を探す手間も省ける。
そろそろ疲れてきた馬も休ませなければ。足を止めた場所で手綱を繋ぐための手ごろな樹木を見つけ、馬を誘導する。ついでに、といっては何だが、この樹の周辺にでも死体を埋められればいいが。
しかし、死体を埋めるための道具がない。試しに、と、短く詠唱し、緑と赤が入り混じった光弾を地面に一発、指先から撃ち放つ。シュンッ!と撃ち込まれた光は地面を抉り、泥土がそこらに跳ね跳んだ。
馬を脅かさないように、第三者に気付かれないように、と思うと、光弾もあまり派手に撃ち込むことができない。少しずつ、少しずつ撃ち込んでいくしかない。気が遠くなる程の地道な作業になるな――、溜め息をつき、ちらと麻袋を見やった時だった。
袋がほんの僅かに動いた、ような。
目の錯覚だろうと引き続き光弾を地面に放とうとして、今度は視界の端で確かに袋がもぞりと動いた、気がした。
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