第16話 墓場鳥計画①
(1)
とてつもなく青臭く苦い香りが狭い厨房の中を満たしていた。
鼻が曲がりそうになりながらも土間を下り、竈の前に立つ母へと歩み寄る。ふわりと流れるスカートの裾をツンツンと引っ張れば、母は鉄の大鍋をかき回す手を止めてロビンを振り返った。
『あら、どうしたの』
『おかあさん、あのね』
『うん』
母をじっと見上げる。まだ幼いロビンの背丈は母の腰あたりまでしかない。互いの目と目の距離は遠いので、訴えるように見上げてみせる。
『お隣のおばあちゃんが棺桶にいれられてね、土に埋められるのが見えたの……』
瞬時に母の顔が凍り付く。
叱られる!と怯え、掴んでいたスカートからパッと手を離して母から二、三歩後ずさろうとした――、が、できなかった。ロビンの背丈に合わせてしゃがんだ母に肩をしっかりと掴まれてしまったからだ。
『ロビン、そのことは絶対誰にも言っちゃ駄目よ。ううん、今回だけじゃない。もしも他の誰かの未来がまた見えてしまったとしても、絶対に黙ってなさい』
『え、でも……』
言葉を返そうとして詰まらせる。自分に言い聞かせる母の目は余りに真剣なものだった。何も言えずにいるロビンを母はぎゅっと強く抱きしめた。
『……うん、分かった』
ひとまず母を安心させるべく微笑みを浮かべて答える。
母が言わんとする意味はよく分かる。人間離れした白い美貌、成長がひどく遅い身体、生まれつきの魔力――、今後ロビンが無事生きていくためにも、必要以上の奇異の目に晒されないようにしたいと。だから、ふとした時に人の未来が見えるなど、世間の人々に知られるのは――
母を心配させたくないので気を付けよう。
そう思う一方、自分の魔力が生まれつきではなく母のように元は只人から魔女になった者であれば。逆に先読みの力は重宝されただろうに。
以来、ロビンはふいに誰かの未来が見えそうになった時は意図的に他事を考えたりなどして、意識を逸らすように徹底した。だが、そのせいでヴァメルンの王妃による母への残酷な仕打ちを予見できなかった。
その、何にも勝る強い悔恨の念から、使えるものは何であれ躊躇なく利用するべき、と考えるようになった――、つもりだった。
(2)
くらくらと眩暈がしそうな程、アマリリスの濃厚な香りが室内を漂っている。
夜闇に揺れる燭台の火影が広すぎる寝台の寝具の白さを、寝台の真ん中で眠るロビンの白い肌、枕に散る白い髪を橙色に染めていた。
その、橙がかった白に黒い影が一つ、重なる。
影は更に手を伸ばし、ロビンを包む羽根布団をそっとまくり上げる。それだけに飽き足らず、その手はロビンの寝間着に伸びていく。前開きのボタンを一つ、二つ……、外し、はだけさせた細い肩や胸元を、ゆっくりゆっくりと撫で回し――
「殿下」
「なんだ、まだいたのか」
突然の呼びかけに動じるどころか、一切悪びれもせずにヴァンサンはスレイヴを振り返る。
拷問用の新曲を、威勢の良い、良すぎる世話係の
追放刑に処したユーグを私室に立ち入らせる訳にもいかず、さりとて他の者に命じる訳にもいかない。仕方なく、ヴァンサン自らスレイヴと共に二人掛かりでロビンを私室まで運び、今に至る。
小柄で華奢とはいえ生身の人間(厳密に言えば魔女だが)を運ぶなど、ヴァンサンもスレイヴもこれまでの経験にないこと。スレイヴはともかく、貴人に似つかわしくない重労働の対価として、少しくらい
王太子ともあろう者が寝込みを襲う真似など――、と、大抵の者ならば眉を潜めるかもしれない。目撃者がユーグであれば即座に灯りを点し、有無を言わさずロビンを部屋から叩き出すに違いない。そして、ヴァンサンにもくどくどと注進を促すに違いない。
しかし、寝台から少し離れた壁際にもたれかかるスレイヴは、眉一つ動かさずにヴァンサンとロビン、どちらも軽く一瞥したのみ。腹では何を思ったかまでは知らないが、誰のお陰で今現在も命を繋げていられるか、彼はよく理解している筈。
だが、スレイヴの呼び掛けによってヴァンサンの興はすっかり削がれてしまった。
例え、彼が今すぐ部屋から出て行ったとしても、一度萎えてしまった気持ちは簡単には戻らない。
「ヴァンサン様、王太子殿下。
そう言えば、そのような旨を約束した、気がする。
ヴァンサンを見据えるスレイヴの視線が、ほんの一瞬だけ尖った、気もした。
「心配せずとも、戯れで滑らかな肌に触れてみたかっただけさ。それ以上は何かするつもりはないから安心するがいい。お前の勘気を被って計画が狂う事態は避けたいからね、……という訳だ。
誰も彼もが愚かしい。
誰かに心を囚われ、執着することなど愚の骨頂だというのに。
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