第12話 異変-レグ

 目が覚めると、見慣れない白い天井が目に入った。


「おはよう。気分はどうだい?」

 

 すぐ横から聞き知らない男の声が聞こえた。比呂弥が億劫げに目を向けると厚手の防護服のようなものを着込んだ男が映り込んだ。ネームプレートには大きく「医師」とだけ書かれている。


「……ここ、病院?」


  防護服の男の問いかけには答えずに聞き返す。もちろん気分は良くない。


「結城研究所から一番近い病院の隔離病棟だよ」

「どういうこと?」

「念のためさ。少しの間だけ我慢してくれ」


 男の言葉には胡散臭さしか感じ取れなかったが、頭の中にモヤがかかっているようで上手く思考を巡らせることができなかった。


「他のみんなは?」

「安心していいよ。みんなこの病院に運ばれている。今精密検査を進めてるけど、今のところ誰も命に別状は無いよ」


 比呂弥はそれを聞いてホッと胸をなで下ろした。

 防護服の男は淡々とした態度で「また来るからね」と言い残し、病室を出て行った。

 その日の夜、タビュライトの暴走に巻き込まれた瀬尾家、そして研究所の所員たちは全員異常なしと診断されたが、未知の物質に取り込まれた経緯から大事を取り、全員しばらくの間、隔離病棟に入院することが決まった。


「しばらくの入院か……来霧のやつ、泣いてなけりゃいいけど」


 もうすでに見慣れてしまった天井を眺めながら比呂弥は呟いた。寂しそうに泣いてる妹の姿を想像し、少し不安を覚えたが、すぐに頭を振る。


「ま、二、三日の辛抱だしな」

 

 そう言うと室内灯を消し、瞼を閉じる。それからそう時間はかからずに、ゆったりとした心地よい眠気が訪れ、比呂弥を夢の世界へと誘っていった。


     ✽


 一方、時は少し遡る。

結城研究所の事故現場に複数名の警備員風の男たちと共に、結城総一朗の姿があった。


「確認完了しました。タビュライトは人命救助の際に全て破壊、動き出す気配はありません!」

「分かった、しかし何が起こるかわからん。慎重に調査を進めろ」

「はっ!」


 歯切れよくそう答えると、警備員風の男たちは事件の起こった研究フロアのあちこちに散っていく。


「やはり明子が唱えていた説は正しかった……最悪の事態が起こる前に、例の要請を急がなければなるまいな」

 

 研究フロアはタビュライトの触手が暴れた際にかなり破壊されてしまっていたが、生きている研究データのバックアップなどが無いか、結城製薬の調査班を総動員し、調査を開始していた。

 結城総一朗は小さく呟くと、難しい顔をしながら荒れ果てた研究フロアを眺めた。


  *


『本日の最新ニュースをお伝えします。本日未明、アメリカにあるエネルギー開発を専門とするL・G・O社で巨大な爆発事故が発生。多数の死傷者が出たとの情報が入りました。原因はまたしてもタビュライトによる暴走事故と推測されています』


 結城製薬の研究所で起きたタビュライト暴走事故から一週間。あの事件が皮切りとなったのか、世界中で結城製薬研究施設と同じような暴走事件が多発していた。

 元々タビュライトは日本だけでなく世界中でその存在が確認されており、世界の研究機関が未知のエネルギー塊に魅了され、独自に研究を行っていた。その可能性を最初に見初め、発表した人物こそが、結城総一朗と瀬尾浩介だった。

 二人はタビュライト研究の第一人者として世界でも注目を浴び、結城製薬の研究施設は世界最先端の技術を用いられて進められていた。

その矢先の事件であった。


 『タビュライトに取り込まれた人間は外見上変わったところは無く、また命の危険の心配も無い』

 暴走事故の被災者を対象にした研究治療の結果、専門家はそう世界に発表した。

 実際にも被災者の無事な姿が幾度もネットに放出され、一般の人々はその姿に安堵した。


 しかし、その裏では一般には発表されていない情報が二つ、存在した。


 まずひとつは、取り込まれた人物の性格がそれまでとは大きく異なり、凶暴に、残忍になってしまう特徴を持つこと。

 そしてもう一つが、取り込まれた人間の精密検査の中で発覚した〝とある体内の変化〟であった。

 一般の情報では伏せられているそれについては組織の上の者と数人の研究者のみが知り、当事者となった人間にすら知らされなかった。


  *


 事故から一週間が経ったこの日もまだ、比呂弥は病院で隔離検査を受けていた。


「採血の時間だ」

 

 事務的にそう告げた「医師」は、相変わらず厚手の防護服のようなものを着込んで比呂弥の部屋に入ってきた。万が一細菌などの感染を防ぐための処置だろうが、特に何の変化もなかった比呂弥からすればそれは少しばかり不快感を感じる態度だった。


「ねえ、いつまでここに閉じ込められてなきゃいけないの?」

 

 比呂弥が飽きたように医師に言った。


「今日の検査で何も異常が見られなければ退院できるよ。もう少しの辛抱だ」

「本当に!?」

 

 それを聞いて比呂弥の顔は明るさを取り戻した。何せ、もう一週間もこの自称「医師」以外の人間と話していないのである。外にも出たいし、美味い物もたらふく食べたい。そんなことを考えながら、検査をこなし……ついに退院の瞬間を迎えた。


「ヒロ兄―っ、こっち!」

 

 病院の入口には浩介、結子、昇、朱美、司、そして猛に来霧、そのほか一緒に取り込まれた研究所の職員たちが勢揃いしていた。

 全員、同じタイミングでの退院らしかった。


「一週間も会えなくて寂しかったよヒロ兄……」

 

 駆け寄ってきた来霧が甘えた声で比呂弥にすり寄る。


「もう大丈夫だよ来霧。父さんたちも、大丈夫そうで良かった」

「ああ、問題は無い」

「父さん?」

 

 比呂弥は、この返答の中で不可解な違和感を感じ取った。兄たちも、母の結子も、言動はそれまでと変わらなかったが、どこかにそれまでとは明らかに違う、なんと言えばいいのか分からないが、とにかく一週間前までとどこか違っていた。


「どうしたのヒロ兄?」

 

 腕を絡ませながら来霧が不思議そうに訊いた。


「いや何でも無いよ」

 

 妹に要らぬ心配はかけまいと、疑問は心の奥にしまうことにした。


「それじゃ、俺はここで」

 

 猛は浩介たちに一礼を告げると荷物を背負い、自分の家へ帰っていった。他の研究員たちもそれぞれの家路についた。


「俺たちも帰ろう、一週間振りの我が家にさ」

 

 そう、何でもない。きっと気のせいだ……。比呂弥は自分の心に、そう言い聞かせた。


  *


 それから数日後。

 その日は結城製薬の本社で重要な重役会議が行われる日であった。


「おはよう諸君」

 

 結城製薬社長を務める結城総一朗が、会議室に入った。会議室の中には既に製薬会社の幹部たちと、研究チームの責任者である浩介と昇の姿もあった。


「浩介、昇君。もう体はいいのかね?」

「ええ、お陰様でな」

 

 浩介が他人行儀に答えた。この瞬間、総一朗は少しばかりの違和感を瀬尾浩介に感じていたが、そのまま社長席に腰掛けた。


「それでは定例会議を始める。最初の議題だが――」

「その前に」

 

 よく通る声で浩介が割って入った。


「何だ、浩介?」

「君に伝えたいことがあるんだ総一朗。本日この時刻を以て、結城総一朗を結城製薬の社長から退任させることになった」

 

 総一朗は突然の言葉に目を見開いた。


「それは一体どういうことだね?」

「これは役員全員の意見が一致した結果だよ。会社の規定に従い、社長を交代させる」

「ずいぶん急な話だな。私に何か落ち度が?」

「ああ。タビュライトの研究……その計画を凍結させようと考えているのだろう?」

「そうだ。君たちも知っての通り、あれはまだ我々人類にはコントロールできない代物であることは明白だ。これ以上危険を出さないためにも一度プロジェクトは凍結するべきだと――」

「それでは困るんだよ。あれは、次世代のエネルギー問題を解消させるためになくてはならないものだ」

 

 浩介の言葉に、総一朗は先ほど感じた違和感を思い出した。親友が、親友でないような違和感を。


「何を言っているんだ浩介。あれの危険性は君自身が身を以て経験したはずだ。大切な家族を無くすところだったのだぞ? 研究はもっと慎重にやり直すべきなのだ」

「違うな。あの事故は人類にとっての大いなる一歩だ。そう、『レグ』との対話が行われた歴史的瞬間なんだよ!」

「レグだと!?」

 

 「レグ」という名前は昔、瀬尾浩介の前妻である瀬尾明子が残したデータの中で見たことがあった。


(確か、それは宇宙に生まれた宇宙の意思そのものだと明子は言っていた)

「浩介、お前はレグに会ったのか?」

「対話をしたと言っただろう? あれは純粋な意思の塊であり、生命が進化する正しい道を指し示してくれる存在だ。人類の救世主となる存在だよ!」

 

 浩介の顔が狂気に染まっていく。


「人類の救世主だと?」

「そうだ。我々には先導者としてレグが必要だ。そのためにも、タビュライトの謎を解明しなければならない。そして、その指揮を私に執れと、レグはおっしゃられた!」

「そういうことか。お前たちはそのレグとやらに」

「これまでご苦労だったな総一朗、もうここにお前の座る椅子は無い。これからはこの私が、会社も、タビュライトの研究も、指揮を執ることになった。お前はもう用済みだ」


     ✽

 

 結城製薬の上層階にある会議室の窓から外の様子が見て取れる。はるか下には今まさに会社を追われて出ていく総一朗の姿があった。会議室には、その総一朗の姿を見送る二つの人影があった。


「いいのかい、あの男をこのまま行かせてしまって。やはり今消しておいた方が」

 

 昇が初めて口を開いた。


「構わんさ。これから始まるのは選ばれた人類を選別するプログラムだ。どうせやつは生き残れまい」

「分かったよ、父さん……」

 

 そう言うと昇は会議室を出て行った。


「……私の心の中に、まだ情というものが残っていたのか? しかし、それもすぐに消える。さらばだ、我が友だった者よ」

 

 眼下の総一朗へ冷酷に吐き捨てると、浩介も会議室を後にした。


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