夜行

高里 嶺

夜行

 消灯した夜行バスには奇妙な安らぎがある。シートから静かな振動を感じつつ、自分の座席にすっぽりと収まり、運ばれていくあの感じ。自分が運搬される荷物のひとつになったようで、なんだか妙に安心するのだ。長距離の夜行バスに乗ること、これが私の密かな趣味だった。


 携帯から夜行バスの予約を入れるときの高揚感、無事バスに乗り込んだときの安堵感。指定された座席に座り、ゆったりとバスが動き出す。やがて高速のゲートをくぐると、快適な走行が始まる。そして消灯。わずかな誘導灯の明かりを残し、時速80キロで進む金属の箱の中で私は闇に包まれる。対向車線を行き違う車のヘッドライトや通り過ぎる街の灯りを眺め、私は深い安らぎを味わう。そのうち眠気がやってきて、私は愛用のアイマスクをすっぽり被る。走行音とエンジンの振動に身を委ね、幸福な時間に溶けていく。


 いま、この瞬間、私は誰でもない。

 26歳のしがないOLでも、地方出身のつまらない田舎者でも、ましてや彼氏と疎遠な寂しい女でもない。あらゆる雑音は遠ざかり、すべてのしがらみから解放される。密閉された四角い空間には、無機質な心地良さがあった。私は座席に深く腰掛けて、時速80キロで輸送される貨物のひとつとなる。


 この性癖を、友人に打ち明けてみたことがある。彼女はああ、最近の高速バスってシートも座り心地良いらしいね、安いし快適なんだよね、と相槌を打った。

 そうではなくて、と思いつつ私は諦める。単純に離れた目的地への移動手段であれば新幹線を使うだろう。そうではない。世間一般では移動の手段としてしか見られない高速バス、しかも夜行、これに乗ることこそが私にとっての目的であり、救済なのだ。


 相変わらず一定の速度でバスは走行を続ける。

 もし、私が眠っている間にこのバスが地面を離陸し、闇夜に紛れて空を飛んだらどうだろう。私は想像する。やがて宇宙に到達したバスは、永遠に目的地のない旅を続ける。恒星の明かりに照らされながら、漆黒の宇宙空間をゆったりと航行するバス。窓の外は真っ暗だからずっと夜行だし、どこにも到着しないから延々と走り続ける。もちろん私は生きてはいなくて、でもそれは問題ではない。自分の意志でその状態にあるということが私を満足させるのだ。


 そんな妄想をするうちに、私は深い深い眠りにつく。

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夜行 高里 嶺 @rei_takasato

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