第32話

連続殺人の動機は?


 倉科は綾乃の言葉に相槌を打っていたが、アルコールの回り始めた頭の中では幾つものもの考えが交錯していた。

 もし、二件が自殺と事故じゃなく殺人事件だとしたら? 犯人の動機は? 一番簡単な推理は金銭トラブルだろう。怨恨以外は金銭問題が事件の重要部分を占めているのが実情だ。二件が殺人事件だとすると、金か怨恨か? 綾乃から聞いた限りでは怨恨の線はなさそうだ。そうすると金銭問題? 

しかし、金の分配を巡る争いなら、これからも学生をリクルートしてくれる金の卵を産むニワトリを潰すことは考えにくい。一番多くの利益を得ているのは星野遼介なのだから。逆ならありそうな話だけれど…。何か別の理由があったに違いない。

それにしても、二人を殺害? 相当強い動機がなければ実行できないことだ。その動機の生み出した遠因は何だろう? 学生のリクルート、楽器のリベート分配を巡る争いなんかじゃ動機が弱すぎる……。もっとも、理屈に合わないのが犯罪である。倉科の長い探偵歴の中で、耳にした事件には『その程度のことで?』と思われるのが動機になっている場合も多かった。

 「もう、いいでしょ?」

 倉科があれこれと考えを紡いでいる間に、綾乃は帰り支度を始めた。タバコ・ケースをテーブルから取り上げバックに入れて、ソファーから腰を浮かせようとしている。

 「最後にもう一つだけ。亡くなった二人のうち、どちらかがお金に困っていたなんて考えられる?」

 「さあ……。二人とも実家はお金持ちだから」

 「鈴木正恵さんの御実家はもちろん知っているけど,榊江利子さんの方は?」

 綾乃がもう一度ソファーに腰を下ろした。

 「江利子のおとうさんは九州にある大きな銀行の取締役よ」

 「それじゃ、二人ともお金に不自由ってことはないか……」

 倉科は金銭関係の動機からなかなか離れられない。自分が金銭的に不自由なこともあって、いつも事件の裏には金が絡んでいると考えがちなのだ。

 「正恵のことは知らないけど、江利子の場合、生活するお金には困っていなかったと思うわ。でも、卒業してからはお家の方針で、自活させられていたから余分なお金はなかったみたい」

 「へーっ。お金持ちのお嬢様が自活ね。例の仕事以外に何かしていたの?」

 倉科は驚きと奇異の念で問い返した。

 「あの仕事は不定期だから収入が安定してないでしょ。だから、実家が所有しているマンションでチェロとピアノを教えていたわ」

 「ふーん。結構な収入になっていたのだろう?」

 綾乃は口元を少し歪めながら倉科をチラッと睨んだ。まるで、馬鹿ね、とでも言うような風情だ。

 「そんなになる訳ないじゃない。ホント、音楽関係のこと何も知らないのね。でも、何も知らない倉さんと一緒にいた頃が楽しかったわ……」

 綾乃と倉科の眼差しが瞬間、交差した。綾乃は罰の悪そうに、居住まいを正して、何もなかったかのようにきっぱりと、

 「私の知っていることは、それくらいよ」

 倉科はハッとして綾乃から視線を外しながら質問を続けた。

 「ついでにもう一つ。星野遼介氏とは、最近会った?」

 「里香さんの事件から一週間程して、電話があったわ。久しぶりに会わないかって」

 綾乃はこともなげに話した。

 「それで、会ったの?」

 「留学の準備で忙しいから、時間が無いって言ったの。そしたら時間は取らせない少し聞きたいことがあるので、チラッと蕨駅で会うだけでいいって」

 「蕨駅? 彼は君がどこに住んでいるか知っているのか? それとも君が教えたの?」

 綾乃は何を勘違いしたのか強い口調で、

 「何を言っているのよ。籍を置いていた事務所の専務だから知っていて当然でしょう!」

 「それで、会ったの?」

 「ええ。電話があった次の日だったかしら。レッスンを受けに行く途中だし、時間は取らせないって言うから。蕨駅で」

 「何を話したの?」

 綾乃は何故、倉科が二人の会話内容を知りたがっているのか、不思議だった。

 「江利子と正恵のことで大変だったねとか……。もうすぐロシアへ行くこととか」

 倉科は正面から綾乃の目を見ながら、ゆっくりと尋ね始める。

 「亡くなった二人のことで何か聞かれなかった? 最後に会ったのはいつとか、いつも連絡は取り合っていたのかとか? どんなことでもいいから思い出してくれる?」

 「ええ。聞かれたわ。二人とはいつも電話かラインかメールで連絡を取り合っていたし、三人の間に隠し事なんて無かったって答えたの」

 目を閉じて綾乃の言葉を聞いていた倉科が、目を大きく見開いて、

 「彼、びっくりしていただろう?」

 「えっ!? 何故わかるの? 相当驚いたみたいだったけど……」

 倉科に一種の確信? のようなものが生まれつつあった。

 「取り敢えず用心したほうがいいよ。周囲で三人も非業の死を遂げているんだから。自殺と事故と殺人でね。警察は殺人以外については、自殺と事故だと断定しているけどね」

 綾乃はまじまじと倉科の顔を見て、真剣に、

 「疑っているの? まさか?」

 顔に驚愕と恐怖が入り混じった表情になった。

 「あっ、そうそう。今思い出したけど、江利子と正恵が、『専務はアノ楽器だけじゃなくて、トアとかビッグコインだとかシルクロードとかの取引でも儲けているはずなのに』って話した後、江利子が、『専務のパソコンも、事務所で覗いたこともあるわよ』て言っているのを聞いたとき、貴子が飛び上がる程びっくりしていたわ。私は何のことだか全然判らなかったけど……」

 倉科は、ん? と思ったが、遼介が副業で経営しているバーかクラブの店名だろうと、大して気にも留めなかったが、「取引」と言う言葉に何か引っ掛かるものを感じた。

まさか、その店で何か違法なモノが取引されているなんてことを想像するのは探偵小説じゃあるまいし、気の回し過ぎだ、と自分に言い聞かせた。

「あっ、それかから、江利子が、『貴子の曾おじいさんって昔の満州で偉い人だったのね。私の曾おじいさんも満州で、満鉄(南満州鉄道)に勤めていたの。その知り合いから、貴子の曾おじいさんのことを聞いたの。小倉高太郎って名前で、満鉄の理事だったみたいね』っ言っているのを聞いたわ」

綾乃は更に続けて

「その時、貴子が、『そんなの関係ないでしょ!』ってすごい剣幕で大声を出していたわ」

倉科は、小田貴子が自分の曾祖父が批判された訳でもないのに、激昂したのは、少し不審だと感じたが、何故なのか全く判らなかった。

 「ありがとう。また何かあったら連絡するので、よろしく」

 倉科がお礼の言葉を述べると同時に、綾乃は立ち上がり、足早にバーから出で行った。ずっと綾乃を目で追っている倉科。後姿が三村里香と見紛うほどよく似ている……。

 一瞬、倉科に一つの仮説が浮かんだ。しかし、あまりに単純すぎて、そんなことはないだろうと、打ち消した。

 勘定を済ませて、バーを出た。ロビーを横切り正面玄関に来ると、雷鳴が轟き強い風雨が倉科の前を走り抜けた。雷は梅雨明けの予兆だ。そろそろ雨の季節も終わりに近づいているのだろう。


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