第31話
リクルートが三人の秘密?
倉科にはある程度の確信があった。綾乃は驚きを見せ「えっ!」と小さい声を上げた。
「以前から不思議だと思っていたことがあるんだ。 何故、プロフェッショナルの域に達していない君達四人が事務所から優遇されていたのか。ギャラもスケジュールも特別扱いだったよね。当時から、どう考えても納得がいかなかった。何かあるのだろうと想像はしていたけどね。折に触れて、問いを差し向けたけど、君は何も教えてくれなかった……
これまでに起こった一連の事件と関係があると思っているのだけど、違うの?」
綾乃はソファーの背もたれに身体を預けて、じっと壁に掛けられた油絵を凝視いている。
話そうか話すまいか逡巡しているようだ。低い声でボソッと
「分かったわ…」と答えた。低いトーンに倉科は綾乃の警戒信号を感知した。
綾乃は背もたれから身を起こして、倉科の視線を避けるように、少しうつむき加減で話し出した。
「そりゃあったわよ。話してないことだって。いくら付き合っていたって……」
今、聞こうとしていることは、倉科が三年前に聞きたかったことでもある。大体の総像はついていた。夢想花音楽事務所は彼女達四人に演奏以外の仕事をさせていたのだろう。
当時綾乃は「営業」と称して、郷里の札幌と東京の間を頻繁に往復していた。
しかし、四重奏または綾乃単独の演奏をしていた形跡は全く感じられなかった。倉科は不思議に思い何度か尋ねたが、「いろいろあるのよ」と、いつもあやふやで不十分な答えだった。
「実際には何をしていたの? 札幌へ帰っていたけど? 今なら教えてくれてもいいんじゃない? もしかしたらこの一連の出来事と関係があるかも知れないし……」
「それはないと思うわ。たいしたことじゃないから……」
綾乃は倉科の問いを言下に否定した。
「じゃあ、是非聞かせてよ。たいしたことじゃないのなら」
倉科は憮然として問い返した。インタビュアーとしては最悪である。有能な質問者であるためには相手の心を和ませてから事の核心に迫る必要がある。相手の不興を買ってしまっては聞き込みそのものが成立しない。探偵の聞き込みは、相手の好意にすがってなされるのが常であり、無能な刑事のように警察手帳かざして尋問するのとは訳が違う。案の定、綾乃の表情が険しくなった。
「そんな聞き方ってないんじゃない!」
「いや、亡くなった江利子さんや正恵さんの真実に迫りたくって、つい、あせってしまったんだ。気を悪くしたのなら申し訳ない」
倉科は自己の非礼を素直に詫びるとともに、亡くなった二人のためにも、と言う点を強調した。
「学生の募集をしていたの。音大を志望している」
機嫌を直した綾乃が語り始めた。声のトーンが少し高くなっている。
「えっ? 音大志望者の募集? 事務所は音大専門の予備校でも始めるつもりだったの?」
「違うわよ。音大はレッスンを受けている教授で大体の入学が決まることが多いって知ってる?」
「よく判らないなぁ。もう少し詳しく説明してよ」
綾乃の顔が輝き出した。プライドの人一倍高い彼女は、自己が少しでも優位な立場にいることを何よりの喜びとしているのだ。まるで幼児に聞かせるように話し始める。
「音大の付属校なら別だけど、音大志望なら中学、高校でどの教授についたかで大学まで決まるの。一流の音大に入りたかったら、その大学の教授からレッスンを受けていないとだめなの」
「それと学生募集はどういう関係があるの?」
綾乃は「判らない人ね」と言いながら続けた。
「音大志望の生徒を教授に紹介するのよ。どの教授を紹介するかは事務所が取り仕切っていたわ。私の音大の場合もあったし、別の音大のことも」
綾乃が足繁く郷里の札幌へ帰っていた理由がやっと理解できた。おそらく自分が幼少の頃から通っていた音楽教室を手掛かりにして音大志望者をリクルートしていたのだろう。
「つまり、生徒に教授を紹介する仕事をしていたんだね。もちろん親の承諾を得てだろうけれど。多分、結構な紹介料が必要なんだろうね? それで大学まで決まるとなると…」
「子供を音大へ行かせるのに貧乏な家庭は少ないんじゃない?」
倉科は綾乃の実家は代々続いた大学教授の家系だったことを思い出した。
「リクルートの方法は、まさかパンフレットやチラシじゃないよね」
倉科の質問に綾乃は吹き出しそうになった。
「ははっ。そんなことしないわよ。地方で音楽関係の大学へ進むのはそう多くないの。だから、音楽教室とかクチコミの世界よ。生活環境も似ているし、親同士も知り合いが多いからね」
「仕事は簡単だった、と言うことだ。それにキック・バックもたいした額だろうね?」
「キック・バック? ああ、謝礼ね。紹介料以外に毎月のレッスン料からもあったわ」
「毎月のレッスン料?」
「先生が決まるとレッスン、個人教授を受けるの。月に何回か。授業料は一回五万円程度が標準だったかしら。詳しくは知らないけど……。当時の私にとっては、いいお金だったわ」
当時を思い出しているような口調だ。
「別に隠すこともなかったんじゃない? 以前に俺が聞いた時に…。裏口入学のあっせんをしていた訳じゃなし…」
倉科はタバコを口にして冷ややかに問い返した。
「一応、企業秘密だってことで、口止めされていたし……。生徒に買わせる楽器の件なんかもあったし……。それに、あの頃、あなた、お金に困っていたでしょ。事業資金が足りないって、いつも言ってたでしょ。私がお金持っていると分かったら『貸せっ』て言われるんじゃないかと思って……」
倉科が気色ばんで反論する。
「失敬な! 痩せても枯れても女から金を借りるか!」
綾乃が顔をしかめて、その場を取り繕うとしている。
「冗談よ! 変わらないわね、すぐに頭に血が上る癖。人に嫌われるわよ、本当に」
また、気まずい雰囲気になりそうだ。倉科は急いで話題を変えた。本日の主導権はあくまでも綾乃にあるのだ。
「同じ仕事を残りの三人も?」
「小田貴子は知らないけど、江利子と正恵の業績は凄かったようね。何人もリクルートしていたわ」
バー全体がザワザワっと反応した。テレビで見たことのある、有名な中年のコメンテイターがタレントと思われる若い女性二人を連れて現れたのだ。奥に設えたVIP専用のテーブルに向っている。倉科は一瞥をくれただけだったが、綾乃はじっと凝視している。上品を気取ってはいるが根はミーハーなのだろう。
「それじゃあ、二人は相当儲けていたのだろうね?」
「いくら儲けるって言っても、音大受験生の数はそんなに多くはないから……」
綾乃は倉科の「儲ける」と言う言葉に反発しているようだった。倉科が食い下がる。
「二人がどのくらい稼いでいたか覚えている?」
グラスが空になった。二人とも同じようにマティーニを注文する。
「額までは判らないわ。私も含めて歩合に差があったみたいだから……。一月に何十万円って時もあったみたい」
女子大生が風俗関係以外で何十万円も稼げるとは驚きだ。倉科は自己の年収を思い浮かべて暗澹たる気分になった。
「二人ともその仕事を最近まで続けていたのかな?」
「最後に四人で会ったとき、江利子と正恵がチラッとお金の話をしていたみたいだったわ……。二人が顔を見合わせて、さも意味ありげに、アノ高い楽器まで紹介しているんだから、もう少しコミッションあってもね、とか言っていたわ。貴子はじっと二人の会話を聞いていたようだったけど、私はロシアへ留学する準備で忙しくなったので、その前から手を引いていたし、楽器の紹介はしたことがなかったので、あまり気にしなかった。それより、今年の秋からモスクワなの」
綾乃は少し自慢げにロシア留学を強調した。
「ふーん。ロシアへ留学するんだ。そうか、バイオリンの御師匠さんがロシア人だって言っていたよね…。さっきの話だけど、楽器を紹介した件って?」
「ああ、それ。音大志望者に楽器を扱っている業者を紹介するの。音大へ入ったのだから、今まで使っていたものじゃなくて一流の楽器を買わなきゃねって」
「集金システムがしっかりしているね。つまるところは金か……」
綾乃を直視して呟いた。倉科は音楽特にクラシック音楽に憧憬と畏怖の念を抱いていたが、実情の一端を知ってしまうと、やや落胆した。
綾乃は笑いながら、がっかりしているような倉科に、
「超現実主義者の倉さんが、おかしいわよ。音楽特にクラシックはお金がかかるのよ」
綾乃がバイオリンからピアノに至るまで、楽器の値段をこまごまと説明を始めた。
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