白日夢 或いは駅を目指して歩いた沿線の道

鯨井イルカ

第1話



 大叔母の家へガチョウの卵を1ダース届けてこい。


 そんなことを唐突に言いつけられた。

 だから、重い荷物を抱え、一人で炎天下の沿線の道を歩いている。

 まったく、面倒なことになったものだ。


 大叔母は隣の町に住んでいるため、荷物を届けるには列車に乗る必要がある。

 しかし、列車に乗るための駅は、家からかなり離れた場所にある。

 しかも、駅に向かうバスは存在しない。

 さらに、この辺りにはタクシーも早々通らない。

 そのうえ、私は自動車はおろか、自転車にさえ乗ることができない。

 だから、ガチョウの卵が1ダース入った篭を抱え、徒歩で進むより他はない。

 それでも、線路沿いに道があるだけ、幸せなのかもしれない。

 こうして歩いていれば、道に迷うことなく駅に辿り着くのだから。


 それにしても、暑くてかなわない。

 遮るもののない陽射しが、頭部をじりじりと焼いていく。

 熱されたアスファルトが、靴底のゴムを溶かしていく。

 陽射しの強さだけでなく、湿度の高さも厄介だ。

 噴き出た汗が蒸散せずに、全身のいたるところに纏わり付く。

 今すぐにでも、倒れてしまいたい。


 しかし、倒れてしまえば、ガチョウの卵が潰れてしまう。

 そんなことになれば、私も潰されてしまうだろう。


 潰れた自分の姿を想像し、思わず身体が震えた。

 それでも、暑さは変わらない。

 せめて、駅に着くまでは倒れないように気を張らなくては。



 雲一つない紺青色をした空の下、沿線の道を歩き続ける。

 線路と道を隔てるフェンスには、ヒルガオが絡みつき花を咲かせている。

 真夏に不釣り合いな淡い紫色をしながら。


 重そうな荷物だね。


 投げ捨ててしまえば良いのに。


 真面目に運ぶなんて馬鹿みたい。


 ヒルガオたちは口々に勝手なことを呟く。

 たしかに、ヒルガオたちの言うとおりだ。

 1ダースのガチョウの卵が入った篭など、投げ捨ててしまいたくもなる。



 それでも、そんなことをしたら、私が線路に投げ捨てられてしまう。



 再び、涼しさを伴わない震えが背筋を襲った。

 ヒルガオの言うことなど気にせずに、駅へと急ごう。



 陽炎が立つ程の暑さの中、沿線の道を歩き続ける。

 しかし、駅には一向に到着しない。

 それどころか、駅舎が見えさえもしない。

 この道には、上り坂も下り坂もないのに。

 どこかで、道を間違えたのだろうか?

 しかし、道沿いのフェンスの先には、線路が横たわっている。

 路面と同じように、陽炎を立てながら。

 だから、この道で合っているはず。

 それでも、もう随分と歩いているのに、線路には一回も列車が通っていない。

 もしかしたら、この路線は廃線になってしまったのだろうか?

 そんな話は、聞いたことがないが……

 疑問に思いながら歩いていると、道の前方から何かが向かってくるのが見えた。

 目をこらすと、それは真っ黒でガサガサした人だった。

 丁度良い、あの人に道を聞いてみよう。


「すみません」


 声をかけると、真っ黒でガサガサした人は歩みを止めた。


「はい。なんでしょうか?」


「駅まで行きたいのですが、この道で合っていますか?」


「何を言っているのですか?」 


 私の質問に、真っ黒でガサガサした人は、怪訝そうな声を出した。


「線路沿いなのですから、合っているに決まっているでしょう」


「それでも、さっきから列車が一本も通っていないので」


 そう言った途端、線路の奥から近づいてくる艶やかな紺色の何かが目に入った。

 それはプアンと音を立てながら、私の横を過ぎ去っていった。


「ほら、ちゃんと列車がきたじゃないですか」


「そうですね」


 私が同意すると、真っ黒でガサガサとした人は頷いた。

 それから、ガサガサと音を立てながら、私の横を通り過ぎて去っていった。

 しかし、線路を通ったものは、本当に列車だったのだろうか?

 私には、シーボルトミミズの塊にしか見えなかったのだが……

 訝しんでいると、再び道の前方から何かが向かってくるのが見えた。

 目をこらすと、それは真っ白でべちゃべちゃした人だった。


「すみません」


 声をかけると、真っ白でべちゃべちゃした人は歩みを止めた。


「はい。なんでしょうか?」


「駅まで行きたいのですが、この道で合っていますか?」


「何を言っているのですか?」


 私の質問に、真っ白でべちゃべちゃした人は、怪訝そうな声を出した。


「線路沿いなのですから、合っているに決まっているでしょう」


 真っ白でべちゃべちゃした人は、真っ黒でガサガサした人と同じように答えた。

 その途端、線路の奥から近づいてくる艶やかな黒い何かが目に入った。

 それはプアンと音を立てながら、私の横を過ぎ去っていった。


「ほら、ちゃんと列車がきたじゃないですか」


「そうですね」


 私が同意すると、真っ白でべちゃべちゃした人は頷いた。

 それから、べちゃべちゃと音を立てながら、私の横を通り過ぎて去っていった。

 しかし、今通ったものも、本当に列車だったのだろうか?

 私には、クロイロコウガイビルの塊にしか見えなかった。

 絡まり合った無数の環形動物や扁形動物を思いながら、私は再び道を進んだ。

 すると、またしても道の前方から何かが向かってくるのが見えた。

 目をこらすと、それは紫色のブヨブヨした人だった。


「すみません」


 声をかけると、紫色のブヨブヨした人は歩みを止めた。


「はい。なんでしょうか?」


 駅までの道は、と聞きかけて、私は口を閉じた。

 きっと、同じ質問をしても、また同じ答えが返ってくるに違いない。


「あの、さきほどそこの線路を通ったのは、本当に列車だったのでしょうか?」


 私は、なにか有意義な答えが返ってくることを期待した。


「何を言っているのですか?」


 私の質問に、紫色のブヨブヨした人は、怪訝そうな声を出した。


「線路を通ったのだから、列車に決まっているでしょう」


 しかし、帰ってきたのは先ほどの二人と同じような答えだった。

 落胆した途端、線路の奥から近づいてくる艶やかな暗緑色の何かが目に入った。

 それはプアンと音を立てながら、私の横を過ぎ去っていった。


「ほら、ちゃんと列車だったじゃないですか」


「そうですね」


 私が同意すると、紫色のブヨブヨした人は頷いた。

 それから、ブヨブヨと身体を揺らしながら、私の横を通り過ぎて去っていった。

 しかし、今通ったものも、列車ではなかった。


 あれは、たしかに、アオズムカデの塊だった。


 このまま進んでも、駅に辿り着くことはできないのかもしれない。

 しかし、ここまで来たのだから、引き返してしまうのも気が引ける。

 それに、もしかしたらもうすぐで、駅に辿り着くかもしれない。

 悩んだあげく、私はもう少しだけこの道を進むことにした。



 茹だるような暑さの中、線路沿いの道を駅に向かってさらに歩き続ける。

 1ダースのガチョウの卵が入った篭を抱えながら。

 それにしても、この暑さの中で、ガチョウの卵は無事なのだろうか?

 ひょっとしたら、すでにいくつか腐っているのかもしれない。

 しかし、殻を割って中身を確認するわけにもいかない。


 そんなことをすれば、頭を割られて中身を出されてしまう。


 身震いをしていると、かすかに篭からも震えを感じた。

 目を落とすと、一つの卵にヒビが入っているのが見える。

 篭を抱える手に、暑さからではない汗が滲む。


 どこでぶつけた?


 他の卵は無事か?


 このままでは、頭を割られてしまう。


 なんとか、修復することはできないか?


 それか、大叔母が納得するだけの理由を考えられないか?


 頭の中で、色々な声が渦を巻いた。

 そうしているうちに、ヒビの入った卵がガタガタと揺れだした。

 それから、殻の一部が吹き飛び、中から長いガチョウの首が現れた。

 呆然としていると、ガチョウの首はグニャリとこちらへ顔を向けた。

 それから、ガチョウの首はクチバシを動かし、ギーギーと声を出した。


 そのクチバシの間から、白い歯とピンク色の歯茎が覗いている。


 はたして、ガチョウに歯や歯茎などあっただろうか?

 そんな疑問を抱いていると、ガチョウの首がスルスルと伸びた。

 そして、ギーギーと声を出しながら、肩の辺りを囓りだした。

 囓られた部分に目をやると、ぽっかりと穴が開いている。

 あまりの事態に動けずにいると、残りの卵にもヒビが入りだした。


 このままでは、身体が穴だらけになってしまう。

 一旦家に戻り、他の卵と取り替えてもらおう。


 そう思いながら、後ろを振り返った。


 しかし、私の背後はいつの間にか崖になっていた。

 その崖は、今もパラパラと崩れ続けている。


 先ほどすれ違ったものたちは、どうなったのだろう?

 そんな疑問を抱いていると、また一つ、卵の殻がはじけ飛んだ。

 そして、歯と歯茎が生えたガチョウの首が現れる。

 どうやら、他のもの心配をしている場合ではないようだ。

 私は再び前を向き、ガチョウの卵と首、合わせて1ダースを抱えて歩きだした。

 引き返すこともできないのなら、進むしかない。

 ここで止まっていたら、崖の下に落ちてしまう。

 もしくは、ガチョウに囓られて身体がなくなってしまう。

 私は歩みを早めながら、線路沿いの道を進んだ。



 歩き続けるうちに、辺りは真っ暗になった。

 ギーギーというガチョウの首が発する声の他は、何も聞こえない。

 それでも、私は未だ駅に辿り着けず、歩き続けている。

 真っ暗になったおかげで、暑さは少しだけマシになったと、言い聞かせながら。

 すでに、1ダースのガチョウの卵全てから、ガチョウの首が現れている。

 そして、ガチョウの首は次々と私の身体を囓っていった。

 私は、もう半分も残っていない。

 それでも、私は歩き続ける。

 立ち止まれば、崖の下に落ちてしまう。

 荷物を投げ出してしまえば、どんな酷い目に遭うか分からない。

 しかし、1ダースのガチョウの卵は全て孵ってしまっている。

 これでは、当初の言いつけを守らなかった、と言われるに違いない。

 それから、酷い目に遭わされるに決まっている。



 いっそのこと、このまま駅に辿り着かなければいいのではないだろうか?



 そんなことを考えた矢先、線路の先に人工的な光が灯っているのを感じた。

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白日夢 或いは駅を目指して歩いた沿線の道 鯨井イルカ @TanakaYoshio

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