ローガンダルの怪物
一集
エントルシアの鐘
「ラギ! 聞いたか? あの一番でっかい屋敷で飯がもらえるんだってよ」
「子供優先だから俺たちでも並べばもらえるって、さっき騎士の格好をした人に言われたんだ」
ばたばたと駆け寄ってきた少年たちは一人静かに空樽の上に座っていた子供を急き込むように囲んだ。
読んでいた拾い物の本から鬱陶しそうに顔を上げたラギと呼ばれた彼もまた、少年たちと同じような年ごろに見える。
彼らの身なりは汚れていた。
煤けた肌は長らく洗われた様子もなく、服はところどころ破けつくろわれた様子もない。
手足が長く見えるのは単に肉付きがよくないからだし、髪の色も肌の色も服の色もあらゆるものが埃で同色だ。
そんな中、清潔とは確かに言い難いが、妙にこざっぱりとした雰囲気を醸し出しているのがラギと呼ばれた少年だった。
興奮気味に話す少年たちの話の内容に彼は眉を顰める。
「……なにその怪しい話」
「と思うだろ? だけどホントらしいぜ。俺たちみたいなのだけじゃなくて、子供を連れた一般市民も並んでんだ。これで罠ってこともないだろ、行こうぜ!」
ラギたちのように身寄りのない者のための配給や炊き出しは前々からあるのだが、それが善意に寄るものでないことは多い。
特に子供に限定した善行は要警戒だ。
最悪なのは子供を集めるだけ集めて売るというパターン。
食べ物に薬でも混ぜられれば簡単に捕らえられるから、人身売買を生業とする商人などにとっては元手のかからないいい商品になる。
孤児にはうるさい親もいないから後腐れもない。
親があってもスラムにいるような親は訴えることも稀だし、訴えたとしても聞き入れられることはほとんどない。
こうなると商人たちはこれをやらない理由がないほど不利益がない。
一般市民の中には、むしろ日々を生きるために軽犯罪を繰り返す社会の塵を減らす行いだと讃える者もいる。
もちろん道徳に反する行為と思っている者も多いだろう。
そんな者も、町で子供が消えることにもう慣れている。
日常の一部である出来事に一々怒りの声を上げたりはしない。
だから自分の身は自分で守るしかないのだ。
そんな環境で、彼、ラギの目利きは確かだった。
一度もハズレを引き当てたことがない。
彼は誰かの行動を縛ったことはない。行うのはただ忠告のみ。
その後の行動は自己責任とばかりに突き放した態度。
だがラギの忠告に反したものはだいたい無事には帰って来ない。
そんなことを繰り返していれば、自然と周りの者はラギに判断を委ねてくるようになった。
いま少年たちがラギを囲んでいるのはそんな経緯だった。
「早く並ばないとなくなっちゃうかもしれない。な、行ってもいいだろ?」
ラギは少しだけ悩むそぶりを見せる。
周りに集まった少年たちははしゃいではいたが、勝手に走っていったりはしない。
それこそがラギが積み重ねた信頼の強さなのだろう。
「……ま、いいか。とにかく行ってみよう。様子見だ」
ラギの結論に少年たちは今度こそ歓声をあげて我先にと駆け出す。
その背を見ながらラギもゆったりと歩き出した。
少年たちの年齢は様々で、一見すると7歳から12歳くらいまでの年齢に見える。
だが実際のところはそこに2、3歳上乗せした方がいいだろう。
スラムでは成長に回せる栄養が十分に行き渡ることは少ない。
なにせ、世間一般的には比較的背が低いはずの自分が一番の長身。
コンプレックスも所変われば意味ごと消失するものらしいと、ラギは嬉しいとも思えず軽々しいため息を吐いた。
スラムの子供たちが言っていた「一番でっかい屋敷」とは、丘の上に鎮座している領主の館のことだろう。
正直領主が滞在しているという話を聞いたことはないから、ここは別荘の一つなのだろうと踏んでいた。
ラギたちは連れ立って歩き、スラムから出て市街へ、市街を抜ければ比較的大きな家が立ち並び、その先に例の屋敷がある。
確かに少年たちの言った通り、すでにそこには長い列ができていた。
スラムの住人もチラホラ見えたが、それ以上に一般市民が多い。
……特に子供優先と聞いて、自らもご馳走にありつこうと子供をダシに並ぶ親が。
少々呆れもしたが、それだけ人々の心を誘う魅力的な食事が用意されている証左でもある。
事実、少しばかり高い位置にある屋敷からは食欲を誘う良い匂いが下りてきていた。
一般市民では使うのに躊躇うスパイスたっぷりの匂い。
「な?」
炊き出し情報を持ってきた少年がラギに得意気な顔を向けた。
いくら悪人でもさすがにこれだけの人数をどうこうしようとするとは思えない。
常時飢えている子供たちから、この状況で少々の疑いが残るからと飯にありつく機会を奪うわけにもいかず、ラギは少年たちに列に並ぶことを許可する。
もちろんこれはただ「食べてもいいでしょう?」と聞かれたから頷いただけであって、ラギ自身は彼らに何かを強制するつもりはなかった。
意見を聞かれれば答える。
そんな当たり前のことで、どうして少年たちが取り巻き化することになってしまったのか、ラギはいまだに納得いかない。
――それにしても一体これはなんのつもりだろう。
当のラギは害とは言わずとも、この行いには何らかの思惑はあるのだろうと思っていた。
今まで領主が主催で炊き出しなど行われたことはないというし、人気取りにしては宣伝効果が少なすぎる。
スラムでは地理も情勢の把握も出来ないから全ては想像の域になってしまうが、それでも困らないのがこの世界。
ラギがこの町でその日暮らしを始めてすでに半年。この世界に来てからはだいたい一年。
やっとラギは判断材料不足の場面に遭遇していた。
かつてラギが居た『科学と
大雑把に説明するならよくある勇者や冒険者が活躍するファンタジー世界と言えば想像しやすいだろうか。
――気が付いたらここにいた。
それがラギの正直な感想だった。
最初はまたどこぞの瞬間移動能力者に飛ばされたのかと深々とため息を吐いたものだ。
以前の時などは右も左も同じ風景である森林に飛ばされて、場所の把握に手間取り、帰り着くのに一か月もかかった。
学校で次の授業の準備に追われていたら、突然新設された訓練場に飛ばされたこともある。
次々に襲い来る試練を必死で乗り越える授業はもう思い出したくもない。
それを考えれば、今回はまだ街中である分マシだとすらその時は思ったのだが。早々に何か様子がおかしいことに気付いた。
まず、言葉がわからない。
英語を元に新たに作られた共通語が通じない。
当然ラギの母国語であり、現在では
決定的だったのは、人類が生物の頂点に立ち他者の進化を阻害している地球ではありえない生き物が闊歩していた点だろうか。
獣から進化したのか、あるいは人類から分化したのか、獣姿の二足歩行種がいた。
それから動物たちもラギが知らない姿形を持ったものが散見している。
どう考えても自分がいた世界ではないと結論付けて、ラギは呟いたものだ。
「ついに瞬間移動能力者は『境界』を突破したのか……」
世界の境界。
それすら超えた移動能力。
世界で最もレベルの高い瞬間移動能力者の顔を思い浮かべて、ラギは心の中で称賛を送っておいた。
たとえ偶発的事態だとしても、彼以外の何者にも世界を超えるなどという荒技が出来るとは思えない。
「ま、そういうこともあるだろう」
偶然時空の狭間に落ちたというよりは、能力者の失敗の産物とする方がまだ理解しやすい。
それでもラギはいつものようにすぐに救出されると思っていたし、別世界ということがわかってからはいつもよりは時間がかかるのだろうとのんびりと構えていた。
――こんなに長くなると知っていたら最初からもう少し努力して生活基盤を整えていた、というのは今さらな言い訳だろうか。
ひと月、ふた月と時間を重ね、元世界からのコンタクトは一切なく。適当に過ごしていた半年を過ぎ、ラギはやっと結論した。
「こりゃ、本格的にダメなやつだな」
そうして瞬間移動能力のしの字も適性を持ち合わせていないラギは自力での帰還をあっさりと諦めたのだ。
自分一人いなくなったところで世界は変わらないし、地球にある未練と言えば数少ない友人くらいだ。
ラギは遠い世界にいるだろう友人たちの顔を思い浮かべた。
とはいえ彼らはいつも落第寸前の自分とは比べ物にならない高レベル能力者たちだ。むしろ心配する方が失礼かもしれない。
そんなわけでラギは適当にやり過ぎて顔と名前が売れてしまった街をさっさと逃げ出し、行き着いたこの町でのびのびとスラム暮らしを始めた。
毎回決死の覚悟で臨んだPSI授業を受ける必要もない現実は、案外ラギに心の余裕をもたらしている。
戦闘向きではない能力でも、ここでは使いようによってはかなり強力な切り札となる。
情報が手に入れにくいのはどうにかしてほしいが、そもそも一年経つまで困りもしなかったのだから需要と供給のバランスはとれているのかもしれない。
「まあ、科学がないんじゃ文明なんてそもそもこんなモンか」
ラギは改めて周りをぐるりと見渡した。
建物は石造り、あるいは木造、スラムではただの骨組みに藁葺屋根が普通だ。あれが本当に藁なのかは知らないが……。
他の街も同じような光景だったから、ここだけが時代に取り残されているなんてこともないだろう。
こんな時代が永遠と、少なくとも200年以上続いているらしい。
なんとも悠長な話だ。
こうも文明の発展が進まないのは同じ人類文明の担い手としては異常に感じる。
とはいえ、一年もこの世界で過ごしていれば原因の一つや二つ心当たりはあった。
多分、世界を支える土台に起因する問題だ。
かつての世界が『科学とPSI』の世界なら、この世界は『魔術と精霊術』の世界。
科学とPSIは大変相性が良く、手を取り合って人類飛躍の力となったが、この世界の魔術と精霊術は大変険悪で、どちらがイニシアチブを得るかを長く争っている。
まったくもって馬鹿らしい抗争だ。
馬鹿らしいが、それらが引き起こす現象についてはとても興味がある。
なにせ寄りにもよって魔術と精霊術ときたものだ。
かつてPSIが台頭する前の旧時代に、夢と憧れを詰めて語られた数々の物語に存在した正体不明の技術。
初めてラギが目にしたのは魔術の方だった。
PSIを扱えない無能力者しかいない世界だと思い込んでいたラギは、目の前で起きた出来事にさすがに唖然としたものだ。
まあ、原動力が違うだけで引き起こす現象としてはPSIも似たようなものかと思い直してすぐに冷静になりはしたが。
後に知ったことだがここは『魔術勢力圏』であるため、逆に精霊術を見る機会の方がよほど希少で、最初にラギが魔術に行き当たったのは当然だったらしい。
『魔術勢力圏』であるここでは魔術を扱う者が殊更尊ばれる。
魔術が使える者は必ず国に属し、功を認められれば支配階級にも取り立てられ、取り込まれ、やがて国の歯車の一部となる。
貴族などはその典型例だろう。強い魔術を絶やさないことこそが彼らの存在意義と言っても過言ではない。
つまり領主級になると、それなりに大きな魔術を使える人物であるはずなのだ。
――さて、何を企んでいるのやら。
ラギは皆が炊き出しに目を向けている中、一人耳をそばだてた。
幸いにもここには喋る口が大いにある。
「ついにこの町にも来たね。若様の祝いにと各地で同じことをしているらしいが。……若様、成人したわけでもないよなあ?」
「だな。どうせ祝うなら毎年やって欲しいところだ」
どうやら領主は自分の領地を巡っては同じ施しをしているらしい。
名目は自分の息子の幾度目かの誕生日の祝いだとか。
――同じことを? 同じ状況で?
はて、とラギは首を傾げる。
それに何の意味があるのだろう。
ゆるゆると進む列は次第に短くなり、そう時間もかからずに少年たちの順番になる。
配られた椀に具だくさんのスープ。
皿には炒められた野菜とスパイスをたっぷり使って味付けされた骨付きの肉が載せられる。
肉など生まれてこの方、誰かの食べ残しでしか味わったことのない少年たちは喜びも驚きも通り越して呆然としていた。
予想以上のご馳走に食べていいものか戸惑っているらしい。
それにしても豪華だ。
これを全員に配っているのだから出費は相当のものだろう。
それに見合うだけの報酬がなければやっていられない。
――見返り。それは一体何だろう。
ラギは自分の食器に盛り付けられる食事から目を離してちらと屋敷の二階の窓を見た。
正確に言うなら窓の手前を。
領主に一体何の意図があるのか、その答えを紐解くためのヒントがそれだったから。
さっきから鬱陶しいほどに存在感を主張するソレを無視するのはさすがに限界だったともいう。
瞬間。
ラギは「あ」と思った。
しまったという気持ちもあったし、やられたという気分でもあった。
目が、合った。
その瞬間に細まった目は、きっと笑み。
感情を浮かべることに機能を割り振っていないと一目でわかるソレはひどく歪。
ずっとこちらを見ていたのだ。
目が合うのを、待っていたのだ。
ラギとてソレを見たのは初めてだった。
だが確信もしている。
あれが『精霊』だ。
――魔術勢力圏になぜ精霊なんてものがいる。
そう眉間に皺を寄せた瞬間、
「お前! 見つけたぞ!」
がしりと掴まれた腕が痛みを訴えた。
衝撃で久々の温かい料理は足元に落ちる。
振り向けば背の高い身なりのいい男が鬼気迫る顔をラギに向けていた。
「やっと見つけた! これで助かる!」
鬼気迫りながらも器用に喜悦を浮かべた男はラギを離してなるものかと更に力を込める。
骨が折れるのではないかと危機感を抱くほどに強く。
だから思わず声を出した。
「
途端にするりと男の手が離れる。
ほっとするラギと不思議そうに自分の手を眺める男。
どうもこの世界は地球では『最弱の能力』であったはずのラギのPSIですら大きな効力を発揮するらしい。
他にもいくつかの要因に目星は付けているのだが、もっとも影響しているのは地球環境よりよほど多いPSI伝達物質だろう。
うっかり発動させてしまったPSIを誤魔化すためにも、ラギは警戒しながら男に尋ねた。
「突然何なんですか? あなたは誰です?」
不審そうに後退るのも忘れない。
はっと我に返った男は急くようにラギの肩を掴み直した。
「頼む、話を聞いてくれ」
身分が高いと思われる男(身なり的にどうせ領主)に懇願されてラギは諦めと共に頷いた。
なぜ領主らしき人物が精霊を見張りに、一人で配給列を眺めていたのか。
――どうやら厄介ごとに巻き込まれたらしい。
その原因になった生物もどきを少し強く睨み付けるが、精霊は当然精霊術士でもない人間の感情など意に介しない。
……まあ、いざとなったら逃げればいいのだ。
先ほどのようにPSIで。
ラギはつんのめるような速度で男に腕を引かれたまま屋敷へと招かれた。
連れていかれたのは屋敷奥の一室。
「まず確認させて欲しい」
案の定この地域の領主だと名乗った壮年の男は幾分か落ち着きを取り戻し、応接の椅子に腰を掛けて重々しく口を開いた。
屋敷の中に招かれたのはいいが、着古した服で汚すわけにはいかずラギは立ったままだ。
そんなラギを不思議そうに見ていた男は、それでも自分の疑問を先に解決することにしたらしい。
浮かぶ表情は焦燥に近かった。
「君は精霊術士だね?」
ラギは間髪入れず、当然首を横に振った。
PSI能力者であった覚えはあるが、精霊術士になった覚えはない。
「そんなわけないだろう! 嘘を吐くな!」
突如領主が激怒した。
ラギは戸惑う。
一体なにを根拠にそんな頓珍漢なことを言い出したのか。
いや、わかってはいる。
ラギが一番初めに居ついた街でも、同じように精霊術士だと思われていたのだから。わかってはいるのだが、誤解だ。
ふわふわと漂う精霊らしきものは時折ラギの頭上をぐるりと回る。
あまりにも鬱陶しいので蠅を払うように手を振った。
「
領主が苛立ちを隠さず睨んでくる。
あからさまな嘘に怒っているらしい。
一方のラギは心の中で「そんな不可解な異能は知るか」と言い返す。
この世界では魔術やら精霊術やらの(ラギにとっては)異能が横行している。
それすなわち、自分に害をなすことが可能だという意味でもあった。
PSI以外の能力に純粋に興味があったこともあるが、異能への一番の警戒理由はそれ。
敵を知るにはまず情報。そしてラギがかつてあっさりと出した結論。
魔術は魔力という地球人であるラギには存在しない力で超常現象を発現する。
精霊術は精霊なる超自然存在に頼って超常を成す。
そういう力だった。
なにを隠そう、PSIとは媒介が異なるが、ラギにはそれらの物質を
いや、PSI能力者としても特殊な立ち位置にいるのがラギだ。
彼だからこそ知覚できている可能性は高い。
とは言えこの世界にPSI能力者はラギただ一人。検証しようにもサンプルがない。
『純PSI能力者』にも同じものが見えるのかという疑問は当分解決しそうになかった。
ラギの特殊性に言及するならば。
彼は能力発現の起源が『純PSI能力者』とはまったく別物だった。
単純に言い表せばPSI能力が台頭する以前から存在した『古能力』の流れを汲んでいる。
例えば、シャーマンや錬金術師、呪術師や魔女なんて存在がそれにあたる。
日本文化で言えば、陰陽師がわかりやすいだろうか。
これら古能力者側から言わせれば、その力は厳密には超能力とは方向性が違う能力だった。だが時代の流れに逆らえず、あるいは異能であることを理由に排斥されることを恐れ、自ら積極的にPSI能力と迎合していった。
そうしてPSI能力の一種である振りを続けて幾世紀。
今となっては、当の古能力者ですらその事実を忘れ自らを単なる『PSI能力者』だと思い込んでいる。むしろすでに取り込まれたと言って過言ではないかもしれない。
だが忘れていない者もいる。
そんな数少ない者の一人として、ラギには異能の流れを見る『目』が備わっていた。
この世界の人間にはそれがすでに異常なのだろう。
魔力が見えれば魔術が使えて、魔術師で。
精霊が見えれば精霊術が使えて、精霊術士で。
そこから外れる者がいるという考えがない。
この世界に来てからずっと、ラギの目には精霊も、魔術を発動するための魔力も映っている。
見えるに越したことはないと気にも留めていなかったが、ここに来てまさかの弊害だ。
よりにもよって魔術師であるはずの貴族に、精霊術士と間違われるとは。
精霊がまとわりついているのは、精霊術士でもないのに『見える』目を持っているからだろう。
ただただ、誤解なのだ。
ラギが例外中の例外なのであって。
だが普通、人は自分の常識に当てはめる。
ラギを精霊術士と断定した領主に否は少ないだろう。
「君が精霊術士であることを隠す気持ちはわからんでもない」
焦ったり、怒ったり、呆れたりと忙しい領主は、どうしようかと悩んでいたラギに今度は穏やかな表情を作って理解を示し出す。
何の話かとラギが目を向けると領主は椅子に座ったまま手を広げた。
自らの寛大さを表現しているのかもしれない。
さすが領主、気障な仕草が様になる。
そんなことではラギの評価は1mmも上昇しなかったが。
「ここは魔術勢力圏。精霊術士など排除の対象でしかない」
疲れたような表情を混ぜて領主は苦笑した。
独り言なのか、ラギに言ったのか、声の大きさでは判断がつかない。
なので賢明にもラギは無言で返す。
それをどう受け取ったのか、領主は一つ頷いた。
「警戒するのは当然だ。……信用を得るためには先に誠実にならねばな」
真剣な眼差しを向ける領主は勝手になにやら秘密を打ち明ける気になっているらしい。
聞いてしまえば完全に厄介ごとに巻き込まれるだろう。
……が、別に巻き込まれたからと言って何なのだという気持ちもある。
特に大事なものも失うものもない今、好奇心が勝ってラギは彼の言葉を止めなかった。
「実は息子も精霊術士なのだ」
重々しく告げた領主にラギは空気を読んで目を見開いておいた。
正直な感想としては「へー(棒)」である。
この世界の人々にとって魔術師か精霊術士かというのは大きな問題だが、あいにくとラギは世界を別にした異端のPSIだ。
魔術士も精霊術士も等しく異能。
だから何だよ、と思ったとしても仕方がない。
心の声が聞こえた訳ではないだろうが、領主は秘密を打ち明けた理由を語ってくれた。
ラギの身なりが良くないことから色々と察して知識人の間では常識であるだろう情報まで噛み砕いてわかりやすく。
正直助かったし、欲していた情報でもあった。
簡単に言えばこうだ。
魔術vs精霊術は新たな局面に入った。
ついに和解の道を探ろうというのだ。
長く対立していただけに最初からはうまくはいかないだろう。
ならば少しずつ歩み寄ろうではないか。
そんなわけで緩衝地帯に若い世代を集め、学友として学び舎に通わせようと決められた。
当然、その若い世代には条件がつく。
魔術と精霊術の懸け橋になる人材でなければならないからだ。
つまり、歴史上幾人か確認されている魔術と精霊術両方を扱える者か、魔術勢力圏で生まれた精霊術士か、精霊術勢力圏で生まれた魔術士か。
地図上で区切られた地域ごとに一人を必ず選出するようにというお達しが出た訳だ。
その一地域を担うのがこの領主。
他の地域の領主たちはこの選出に大変苦労しているらしい。
そもそも魔術勢力圏では精霊術士は生まれにくいし、生まれたとしても肩身の狭さとそれ以上に身の危険を感じて命がけで土地を移る。
そんな中、この領主は幸いだった。
なぜなら息子が精霊術士だからだ。
探さずとも傍に居る。
「しかし、息子は体が弱いのだ。道中の旅にすら耐えられる体ではない。精霊術を扱う代償なのか……。ならばそんな力はいらなかった」
息子可愛さ。
けれど精霊術への若干の嫌悪も見える。
一般的にはそれでもいい父だ。
貴族の中には精霊術士など家族に生まれようものならなかったことにする者もいるという。
よくても一生軟禁生活だろう。
ラギはそんな精霊術士への風当たりの強さならば息子の脆弱さも当然だ、と口を出したくなった。
むしろ今回の件など打って付けのリハビリ機会ではないか。同じような境遇の子供たちが集まるのだから。
もはや隠す必要もなく、大手を振って外の世界に飛び出せるのだ、自分なら喜びこそすれ断る理由はない。
だが目の前の領主は違う考えらしい。
領主がラギを屋敷に招いた理由を最後に話す。
「息子の代わりとなる者を探していたのだ。
ここまでくればその結論は目に見えていた。これでも彼はまだ息子を隠そうというのだ。
そこまで病弱なのだろうか。
いや、とラギは半透明の精霊を眺めた。
嘘だ。領主はたぶん何か嘘をついている。
精霊と術士はスピリチュアルな部分(笑)で繋がっていると聞く。この精霊はどこをとっても過不足なく満ちていた。
そんなことをラギが考えているともしらない領主は、やっと息子の代わりを見つけたと爛々と瞳を輝かせている。
表情が逃がしてなるものかと雄弁に語っていた。
「今の暮らしよりはずっといい生活ができる。飢えもせず、寒さに凍えることも、虫に悩まされることも、泥を啜って飲料にする必要もない」
スラム暮らしの内情をそこまで知っているなら、どうにかする政策の一つでも打ち出せよと思わなくはなかったが、ラギはそもそもこの世界の理の外にいる。
抜け出そうと思えばいつでも抜け出せる実情が彼を他人事にさせ、わざわざ口を開く意義を見失わせていた。
「どうだろう、我が領地の代表として、ローガンダルに出向いてはくれないか」
緩衝地帯に指定された遠き地、ローガンダル。
新たな時代の幕開けとなるべく『理想郷』、あるいは『新天地』の意味を持つそこに白羽の矢がたったのは必然だったのかもしれない。
「国を担う貴族として、息子を想う父として、どうかお願いしたい」
一応頼んではいるが、それは形だけで、実質は領主命令。
スラム暮らしのラギに、最初から選択肢はない。
――わけではない。
土地に執着していないラギは領主に睨まれたら逃げればいいだけだ。
勢力圏など関係ないのだから、彼らと違ってラギの世界は広い。
けれどラギは粛々とそれを了承した。
「あのガキどもの面倒を見てくれるなら、いいよ」
窓の外で、ラギの姿を心細そうに探す少年たちを指して言った。
これくらいの特典はあって然るべきだろう。
「
「……約束しよう」
領主は言葉が脳に浸透する不可思議な感覚に陥りながらも重々しく頷く。
それを受けてラギはきょろきょろと辺りを見回した。
領主がどうした、と尋ねる前にラギは口を開く。
「ところで聞きたいことがあるんだけど、この部屋には他に誰もいない?」
言外に他人に聞かれたくはないと意味を乗せて。
領主はあっさりと是を返した。
ラギはにっこりと笑う。
「嘘つき」
身分のある者が、スラム出身者と万が一でも二人きりになるわけがない。
少し考えればわかることだ。
どこかに護衛の一人でも潜んでいることだろう。
「まあ、別にいいけど。困るのはどうせあなただし。なんなら……『あなただけに話しかければいいだけだからね』」
「な!」
おかしなことが起きた。
言葉の後半、彼は口を噤んだのに。
『声』は確かに領主の耳に聞こえてきた。
PSI能力者にとっては基本の『感応能力』だ。
こちらにきてしばらく、言語がわからない時期はこれですべて乗り切った超便利能力。
『勝手に口を開くのは禁止だよ』
黙ったまま、にこにこと領主を見るラギ。
脳内に響く声。
目を見開く領主。
不思議な光景がそこにはあった。
『ねえ、そこにいる精霊はあなたの息子の精霊?』
スラムの少年は先ほどから視界の端でウロチョロとしている精霊を指差して尋ねた。
領主は奇妙なことを聞く、と思った。
精霊術士なら、常識であるはずの質問を彼がしたからだ。
だが、沈黙と共に思考を働かせる時間は許されない。
『
その『声』は、口を開かずに伝えられる言葉の中でも、酷く異質だった。
働いたのは強制力。
勝手に首が振られる。
横に。
悲鳴を上げそうになって、声が出ないことに気付いた。
領主は思い出す。
『口を開くな』と言われていたことを。
「へえ。いい父親かと思ったら、自己保身の塊か」
声に出して伝えられた言葉は逆に領主の背筋を冷やす。
ぞわりと背筋が粟立った。
なにか、得体の知れないものが目の前にいる。
それだけが彼の認識できる事実。
『息子のものでないなら、それはアンタの精霊だな?』
確信を持って発せられた問い。
領主は必死に自分の口を手で覆った。勝手に口が答えない様に。
だが強要されずとも、もはやそれは答えに等しい。
「なるほど。厄介ごとを全て子供に押し付けて、いままで逃げおおせていたのか」
子どもの体が強くないと同情を誘い。
あの家には精霊術士がいるのではと噂されれば、「息子は悪くない!」と子を想う憔悴した父親を演じ。
地位の高さと人々の善性に縋り、子を犠牲に自らの自由と地位を守り続けてきた男。
『……で、魔術勢力圏の精霊術士はどんな扱いを受けるんだっけ?』
「な、なにが悪い! 息子は私がちゃんと守っている。誰にも迫害なんて受けていない。だが私だと知られてみろ! 地位を剥奪され、息子共々どんな目に合わされるか! ならば、この方がよほどいいだろう!」
唾を飛ばし、目を血走らせ、領主が歯を剥き出しに保身を叫ぶ。
ラギはそれを冷めた目で見つめていた。
別に誰がどうなろうとどうでもいいというのが正直な感想だ。
病弱という建前で人前に出ることさえできず、部屋に押し込められている、本人に非のない息子とやらがどう思っているかは知らないが。
だがまあ、
『どうやら領主殿はとてもお困りのようだ』
目を細めてラギは嗤う。
その元凶はもちろん一つ。
ちらりと視線を上げて地球にはなかった『生物に擬態した物質』を見る。
精霊はなぜか少しラギから距離を取った。
まるで本物の生き物のようだと感心していると、精霊は威嚇するように牙を剥いた。
ラギはそれを何一つ意に介さず。
『ならここは一つ、人助けでもしようか』
いっそ無邪気に微笑んだ。
敵意らしきものを見せていた精霊が怯えたように部屋の隅に身を寄せる。
超自然的な高次元の存在である精霊が、人間に対してそんな感情を持つはずがないと理解していても、領主はそう感じた。
『だって、これから俺は精霊術士としてローガンダルに行くのだし?』
スラム街の少年は領主に首を傾げてみせた。
けれど彼は答えなど求めてなどいない。
ただ、ゆっくりと口を開く。
アレだ。
そう領主は咄嗟に思った。
あの、訳の分からない現象。
逆らえない言葉を発する能力。
あれが彼の精霊の力なのか。
だとすると、その力はどこまで及ぶのか。
彼は囁くように命じた。
「
彼は特別なことはなにもしなかった。
ただ一言、口にしただけだ。
――だが、精霊はその言葉に服従した。
人間に!
その他愛無い言葉に!
少年の差し出した手に吸い寄せられるように精霊が近付く。
ふっと力が抜けて、領主は自分を縛る力がもう消えていることに気付いた。
生涯に渡り離れることのないはずの存在が感じられない。
魔術の振りをした精霊術を振るうことももはや出来ないだろう。
ふらりと揺れる足元は、今まであった自分の力が失われたせい。自力でまっすぐに立つこと一つ、こんなにも気力を使うものなのか。
精霊のない精霊術士の行き着く先を彼は知らない。
ただ寄る辺のない漠然とした不安が心に巣食った。
衝撃に呆然としていた領主がはっと顔を上げれば、すでに少年は精霊を従え部屋を後にするところだった。
「ま、待て! お前! お前の精霊はどこだ! それだけ見せてくれ!」
ラギは少しだけ足を止めて、肩越しに振り返る。
返すのは歪めた笑みだけだ。
領主はその時、自分が始まりの鐘を鳴らしたことに気付いた。
結末は知らない。
ただ、この登場人物を表舞台に押し上げた。
「お前は一体何者なんだ!? ……精霊術士だって? いや、そんなものじゃない!」
「いやだなぁ、あなたが言ったんじゃないか。俺は精霊術士だって」
スラムの少年は目を細めて続けた。
「現にほら、精霊だって傍にいる」
指さす精霊は領主を睥睨する。
価値のない人間を見る精霊の目はとても冷ややかなのだと領主自身が最もよく知っていた。
顔面を蒼白にした領主が魂を抜かれたように膝から崩れ落ちる。
ラギはその目に普通の人間にすら劣ることになった、いまだそれに気付いてもいない哀れな男を映して不敵に笑う。
「だけど、そうだね。とある人たちは俺をこう呼んだよ。――
お茶目心を発揮して飛ばしたウインクは生憎と領主の心には残らなかったらしい。
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PCで眠っていた古いファイルを供養がてらアップ。
気が向いたら続くかもしれない。
ローガンダルの怪物 一集 @issyu_
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