第4話 戦国プランナー

 本題以外にもいくつか興味深い話を聞けた。


 日本の戦国時代について。

 彼によると、織田信長が台頭する以前から、徳川幕府はすでに決定されていたとのこと。その信長も、あまり重要な人物ではないそうだ。

 基本的なプランとして、応仁の乱以降衰退を続ける室町幕府に替わって、徳川(松平)家康を祖とする長期武家政権が計画された。それには問題がある。源氏の名門足利家と違い、三河の土豪武士松平家は家柄が低い。

 そこで松平家の家柄の低さが目立たなくなるよう、先に小作農出身の豊臣秀吉に全国を平定させることにした。


 細川家は、室町幕府の三管領家のひとつで、長年に渡り足利将軍家を支えてきた。三好家はその細川家の家来に過ぎなかったが、戦国時代に三好長慶が畿内全てを掌握していた。キリスト教を受け入れたり、鉄砲の威力に注目したり、信長の革新性とされたものは、長慶がすでに行っていた。

 将軍足利義輝をただの飾り物にし、最初の天下人と呼ばれる。


 源氏の棟梁、足利将軍家を百姓上がりの秀吉が直接倒すのは、無理がある。将軍家をないがしろにした三好家なら問題ないだろうが、すでに機内を制していたので秀吉がのし上がる余地がない。地方の大名に上洛させ、秀吉はそこの家臣として出世させる。


 現在、今川義元は公家の格好で描かれ、ひ弱そうだが、先祖が足利氏で将軍家の血縁にあたり、桶狭間で運悪く負けただけで、軍事的にも優秀で街道一の弓取りと呼ばれた。


 この状況で今川義元が上洛し、三好と争って勝利し、畿内を越えて支配を広げる。義元が還暦を過ぎて病死した後、その有能な部下の秀吉が全国を平定し、秀吉病死の後、今川と同盟を結んでいた家康が将軍になる手はずだった。

 桶狭間以前、秀吉はチャンスを窺って今川の領内をぶらついていたし、家康は今川家の人質だった。当初のプランでは秀吉は今川家に仕え、家康はかなり後まで同盟を続ける予定だった。

 まとめると、三好長慶 今川義元 豊臣秀吉 徳川家康の順に天下人が入れ替わっていくはずだった。

 ところが、今川の替わりに、尾張を統一したばかりの織田信長をあてがうプランが急浮上した。


今川ケース


メリット 足利将軍家の血縁で、すでに大軍を率いているので、政治的にも軍事的にも当時の天下人三好長慶に充分対抗できる。家柄が良いので、面倒な手続きなしで自身がそのまま将軍になることも可能だったであろう。


デメリット 畿内で大規模な争いが生じる。

今川から豊臣に権力を移すことが難しい。小作農上がりが、将軍家になってもおかしくない名門を倒せば、公家や他の武士達が反発する。

北条氏と和解し、武田や上杉と同盟を結んでいたので、機内平定後、東に攻めにくい。


織田ケース


メリット 信長の先祖は尾張の守護代の奉行にすぎない。成り上がり大名の信長が死ねば、容易に秀吉の天下が訪れる。


デメリット 対三好長慶という点で弱い。三好は信長に負けない合理主義者で、キリスト教や鉄砲も三好が先駆けだ。

仮に今川を奇跡的に倒したとしても、織田家の軍事力では上洛の準備に時間がかかる。


 まとめると、対三好という点では今川だが、それ以降は織田のほうが計画が進めやすい。


 検討の結果、織田ケースが採用された。

 それにはまず、織田が今川を倒さなければならない。

 当時の織田は兵士の数二千、今川は二万五千と言われている。まともに戦っては織田に勝ち目がない。奇襲くらいしか手はないが、その奇襲でもかなり難しい。奇襲に奇蹟が重なって、ようやく勝利できる。


 そこでまず、織田を攻める今川を緒戦で勝利させ、油断させた。城攻めに力を入れさせ、義元の周りの兵力を手薄にさせる。だが、義元は桶狭間という山にいて、視界が良好。そこで、雹まで降ったとされる猛烈なゲリラ豪雨を起こした。兵は雨で散り散りに、さらに視界不良と轟音で、織田の奇襲部隊に気づくのが遅れ、街道一の弓取りはあっけなく討たれた。

 

 続いて、畿内で三好長慶と身内を相次いで早死にさせ、三好家に内紛を起こし、信長が上洛しやすい環境を整える。

 長慶より先に、二人の弟、続いて嫡男が亡くなり、さらにもう一人の弟を自ら成敗。そして本人を四十三歳の若さで病死させた。計画通り、残った一族は権力の座を巡って争い、三好家は急激に衰退した。

 桶狭間より八年後、信長は上洛を果たした。


 浅井朝倉と対立している中、戦国切っての兵法家、甲斐の武田信玄が上洛を開始した。三方ヶ原で織田徳川連合軍を粉砕。信長もこれまでかと思われたが、信玄は突然の急死。武田は甲斐に戻った。信玄は上洛してはいけないのである。


 今川義元降板の代役、長慶から秀吉までのつなぎにすぎない信長は、本州中央部を制した四十九歳の時、本能寺で嫡男とともに討たれる。今川ケースでは六十を超えた義元が病死するタイミングである。その後、織田家は後継者問題につけこんだ秀吉によって、簡単に取って代わられる。これが今川ケースでは複雑で、足利元将軍家や公家朝廷を巻き込んだ権謀術数劇が展開する予定だった。


 秀吉以降は当初のプラン通りだ。身長150センチあるかないか、痩せぎすな秀吉の後継者秀頼は、身の丈2メートル近く、体重百六十キロ、当時としては異常な大きさだ。誕生日から考えると、秀吉が九州にいたとき母親が身ごもったことになり、明らかに実子ではない。秀吉本人もそのことを自覚していたが、後継者に決めていた甥を殺害してしまった。冷静で賢い補佐役の弟が亡くなった後、秀吉の素行はおかしくなった。

 そのせいで、豊臣家を見限る大名が現れ、徳川の天下が訪れた。


 足利から徳川に変える狙いは主に二つ。


 日本の中心を京都から関東に移す。

関西は、大阪、奈良、京都といった狭い平地がところどころ点在している。関東平野はほぼ一続きで広大だ。武家と公家朝廷の関係修復のため、鎌倉から京都に戻したが、今後のことを考えるとこれからは関東のほうがいい。


 源氏という家柄の価値を落とす。

源頼朝の血筋が絶え、鎌倉幕府の実権は頼朝の妻の実家北条家に握られた。室町幕府の誕生は、全国の武士が外戚にすぎない北条家の専横に不満を抱いたことも一因に挙げられる。足利家が将軍になったのは、血筋からして源氏の筆頭に当たり、武士達に担ぎ上げられたからだ。

三河統一後、松平家康が徳川家康に改姓したのは、松平氏の家柄が低いことを気にしていたからだ。そこで松平氏の先祖に清和源氏新田の流れをくむ得川某がいるという根拠のない伝承が持ち出され、本来の苗字に復姓したことになった。しかも、松平氏全体ではなく家康個人だけが苗字を変えた。異例の改姓要求に朝廷は困惑した。ちなみに、家康は藤原氏を名乗ったこともある。

 この頃は源氏の価値はまだ生きていたが、徳川の天下が安定すると、さほど重要ではなくなった。家康自身が頼朝にとって替わったのだ。




 ところ変わって中国の戦国時代。


 中国の歴史は、夏王朝(華夏、中夏)から始まる。夏が衰えると、東の殷に攻め込まれ、殷が衰えると、西の周に攻め込まれた。周辺の蛮族(夷狄)に攻め込まれての王朝交代では、その都度前王朝の領土に夷狄の支配地が加わり、拡大していく。

 モンゴル族の元の後も内蒙古が分裂し、満州族の清で満州と内蒙古が加わった。今の中国がでかいのは、弱った時に周りの蛮族が侵略したせいだ。勢いを取り戻すと、蛮族は追放されるか、漢化されるか、少数民族になりはてる運命だ。


 春秋戦国時代(前770~前221)。

 周王朝が混乱により東遷(東に都を移す)し、春秋時代が始まり、周の親戚筋に当たる中原の大国晋が、韓魏趙の三国に分裂し、戦国時代になった。戦国の七雄と呼ばれる韓魏趙斉秦楚燕の七カ国が激しく争った。

 そのうち西の秦、南の楚は、どちらも中原諸国から蛮族の地と見なされていた。

 どの国も大きな浮き沈みを経験したが、最終的にはこの両国に交代で中華全体を支配させ、戦国の結末とする方針だった。その狙いは、遅れていた南と西の開拓だ。

 具体的には、先に楚が支配し、その後、秦の地で反乱が起き、楚が倒される計画だった。

 当時の楚は、領土は広いが人口が少なく、各地の有力者が力を持ち、王の権限が弱くまとまりにかけていた。

 楚が天下を制する為に特別な人材が選ばれた。孫呉の兵法で知られる天才兵法家呉起。


 衛に生まれ、学問を学び終えると、孔子の生まれた小国魯に仕え、文官として頭角を現す。魯が大国斉に攻められると、兵法を学んだ経験から援軍の将を任され、斉を追い払う。実績を上げたが、悪い噂を流され、魯を去り、魏の文候に将軍として召し抱えられる。文候は魏の歴史の中で最も名君とされる。

 馬に乗らず、一般の兵士と同じ格好で出陣し、食事もともにしたので、兵士の志気は異常に高まった。傷を負った兵士の足の膿を吸ったとも伝えられる。感激したその兵士は、死を恐れずに戦い、戦死した。

 呉起の活躍で、秦の五城邑を落とすなど戦果を上げ、魏は強国になる。

 秦から奪い取った西河の太守となり、行政面でも優秀だった。すぐに宰相になると言われたが、文候が亡くなっても、太守のままで、他の人物が宰相となった。理由は、呉起が優秀すぎて、新たな若い王が信頼を勝ち取れないからだ。

宰相が亡くなると、新しい宰相は呉起を警戒し、謀(はかりごと)を巡らし追放した。

 呉起は楚に向かった。悼王に仕え、一年余りで宰相になり、革新的な政治改革を実行した。

 功績のあった家臣に土地を与えるのではなく、農作物などを給与という形で与える俸禄制に切り替える。

 名門貴族であっても実績がなければ領地を剥奪するなど、身分より実力を重視。

 都で優雅に暮らしていた貴族達は、地方へ強制的に移住させられ、楚の国力は増大した。

 陳、蔡を併合。韓魏趙秦に勝利し、楚の天下統一は時間の問題となった。

 だが、後ろ盾である悼王が亡くなると、呉起に恨みを抱く貴族達は、葬儀にかけつけ反乱を起こした。呉起は王の棺の安置されている霊堂に逃げ込んだ。さすがに霊堂まではふみこめないと考えたからだ。しかし、恨み骨髄の貴族達は霊堂で矢を放った。

 矢は呉起と王の遺体に突き刺さり、呉起は死亡した。兵士達がかけつけた時にはすでに遅かった。反乱に参加した貴族達は処刑されたが、呉起の改革は引き継がれることなく、楚は以前の状態に戻った。


 貴族達が処刑覚悟で反乱を起こしたことは、運営の想定を越えるものだった。以前に比べ生活の質は落ちても、おとなしくしていれば、そこそこの暮らしは維持できる。それが処刑確実な行動をとるとは考えにくかった。理由はどうあれ、結果的に計画は頓挫した。想定外とはいえ、悼王の寿命を延ばすか、警備を固めるべきだった。

 運営の中には、いまだに楚は蛮族で、統一王朝にふさわしくなく、秦を優先すべきとの声が上がった。

 こうして、楚が先に天下をとるプランは破棄され、秦が先に統一を果たすことになった。


 選ばれたのは、天下統一の最大のキーパーソン商鞅。

 呉起と同じ衛に生まれる。魏の宰相の食客となる。宰相が亡くなる前、見舞いに来た王が次の宰相は誰が良いかと尋ねる。宰相は、自分が抱えている食客商鞅を推した。さらに、あの才能を他国で使われるとまずいので、採用しないなら殺さないといけないとまで忠告した。王は食客風情に重要な仕事を任せる気はなかった。

 宰相は、自分の言葉で商鞅が王に殺されることを心配して、彼に逃げるように言った。商鞅は、採用しないなら、殺すだけの価値がないと思うはずだから、逃げる必要はないと返した。

 宰相が亡くなると、商鞅は秦に向かった。

 武力で諸侯を従わせることを主張し、孝公に採用された。呉起の法家思想を受け継ぎ、より厳しく法を定めた。

 各家庭を五、あるいは十ごとにまとめ、互いに監視させる。悪事を犯した者が出れば、その単位で罰せられる連座制となった。

 農業や軍功に信賞必罰を徹底し、成果を上げなければ罰せられた。

 他にも度量衡統一等。


 改革によって秦は大きく国力が増した。報償欲しさに兵士が必死に戦うので、兵力も増し、魏から領土を奪った。先に孫子の子孫である斉の孫臏に大敗し、秦にも負け、戦国初期の覇者魏は没落していった。

 呉起の死から四十余年。商鞅も呉起と同じように、後ろ盾となる王が亡くなると、恨みを抱いた者達によって、死ぬことになるが、呉起の時の反省から本人が亡くなっても制度が続くように手配してあったので、秦の改革はその後も継続した。彼の死後およそ一世紀。始皇帝が十三歳で王位に就いた頃には、他国がひとまとまりになっても勝てないほどの大国となっていた。


 楚の天下統一は、政治にも軍事にも優れた呉起を起用し、彼一代で実現しようとして失敗した。その間、たった数年間に過ぎず、急ぎすぎた嫌いがある。その反省から、秦の場合、商鞅には二十年以上にわたり政治改革に専念させ、統一まで百年以上の時間をかけて慎重に行われた。


 その秦も統一して間もなく、楚の勢力(陳勝・呉広の乱、項羽、劉邦)により、崩壊する。その後に建国された漢は、秦楚のバランス調整のため、秦の地に都を置き、楚由来の皇帝によって統治された。



 天下という言葉がある。文字通り、天の下のこの世界を指す。この世界は天の意のままに動かされている。天とは運営のことだ。彼の話を聞くと、天でさえも百パーセント思い通りにはならず、失敗したり、突然計画を変更したりしている。

 天のそのまた上の存在が、マルチバースの管理部門といえる。その関係者のせいで、天のこれまでの努力が水泡に帰している。



 まだ彼と話を続けたかったが、弟達が思いの外早く帰ってきたことで中断された。

 部屋から出る際、彼はこう言った。

「近々、ミーティングを開きたいと思いますので、それまでの間、ご検討をお願いします」


 店内に僕の弟と彼の妹がいたが、別々だ。相手は普通の人間ではない。うまくいかなかったのだろう。 

 自宅に帰る車の中で、僕は弟に聞いた。

「早かったな。まあ、あの公園じゃ時間潰すのも難しいか」

「彼女綺麗だけど、何聞いても、事務的というか固い感じ。それになんか不気味。それで早く切り上げた」

「表情がなく本物の人形みたい?」

「そんな感じ」

 

 自宅に戻るとすぐに、竹本清治から聞いていた作家の件を調べてみた。

該当作品を見つけ、電子ブックをダウンロードし、本文を読まずにいきなり後書きに目を通した。

 確かに謎の転校生について書いてある。


 その内容は、昭和十九年十一月、疎開で半分に人数が減ったクラスに転校生がやってきた。目立たないタイプで不思議なことに光瀬氏もクラスメートも彼の名前を覚えていない。用事があって彼の家に行くと、中に何もなく、空き家のようだった。それから二十分ほど彼と話していると、突然、人のいる気配のない隣の部屋から十四歳くらいのモンペ姿の美少女が乳母車を押して入ってきた。

 すると転校生は、今日この家に爆弾が落ちると言って、氏の帰りを促した。その日本当にその家は爆破された。転校生も少女の遺体も見つからなかった、というものだ。


 謎の転校生は、学校関係者との手続き、空き家の手配、正確な空襲の予知、他人の記憶操作までやってのけている。能力からして幽霊とは較べ者にならない。下手な心霊体験よりもはるかに怖い。


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